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版画は楽しい

丼鍋のステンレス感が気に入っています。丼鍋のどこに惹かれるのか考えると、まず、形がシンプルで、邪魔にならない使用感であること。あまり丼という料理をしたことがないので、調理する映像が目に現れて憧れる。ほこりが、うっすら溜まっていても美しい。鍋の薄さがいい。取っ手が変わっている。中央が膨らんだエンタシスの柱のようである。銀のステンレスと黒い取っ手がいい感じだ。円盤状の蓋が面白い。


鍋とすもも 2017



この丼専用の鍋を、ピンホール写真の題材にしている。ピンホール写真は、絵を描くのに近い感覚があります。撮影場所は、台所。缶カメラの、虫の目線によって、その狭い一角が、別の空間に変貌する。視線の位置で、見慣れている世界が違う場所になっているのに驚く。ファインダーがないので、映り込む景色は、いつも新鮮で飽きることがない。
ピンホール写真は、陽の光にによって印画紙に風景を焼きつける光の版画だ。光の足跡の記録。その瞬間を切り取る。その瞬間というより時間と言った方がいい。光の時間を記録する。時間が映りこむ。台所とか、室内での撮影は1秒とか2秒とかいう瞬間では撮影できない。露出不足の写真になっていしまう。陽の射しこむ廊下を撮影していた時は、大抵40秒くらい、黒いビニールテープのシャッターを開けていた。適正な露出はあるはずなんだけれど、もう、30秒も、40秒も、たぶん、あまり50秒も変わらない。



鍋とトマト 2017

考えると、写真を好きな人は多い。撮影することもそうだけれど、写真を鑑賞することも楽しい。
私がカメラを好きなのは、父の影響がある。小さい時に遊んだ日光写真もいまだに忘れられない。もし、父に「今、缶カメラで写真を撮ってるよ」などどいえば、ぷっと笑うに違いがない。父は「カメラの履歴書」という小さなノートを残している。レンズ、シャッター、サイズ、価格、購入した場所、入手年月日、手放した時、などが書いてあって面白い。35㎜カメラを欲しい意欲にかられて、とうとう買ってしまう Kallo 180 の話が楽しい。もともと、Olympus 35s が盗難にあってしまったので、別の35㎜カメラが欲しくなってKallo 180 を買ってしまうのだが、子供に貸してしまう。4泊5日の旅行に5本のフィルムを持って行った兄は、最後の5本目撮影時にシャッターを壊して帰ってきたらしい。シャッターの修理には2カ月かかり、修理代は700円。そのうちに、子供専用になってしまうとある。夏休みに持ち帰ったカメラは、9月、大学に戻る際、家にケースを残して、兄は帰ってしまう。この時がカメラの見納めであった、と父は書いていて可笑しい。そう思えば、父の部屋には、中身のないカメラのケースがあって、なぜだろうとずっと思っていた。


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