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【神奈川のこと99】大阪より持ち帰りし鎌倉=後編=(かまくら春秋)

甲子園を後にした前編の続き、つまり後編を書く。

臨時阪神電車で梅田駅に到着。
8期上の先輩で、母校の応援団長を務めたクリスチャンの同窓会長に連れられ、梅田の地下街でランチをご馳走になる。
その後、同窓会長と梅田地下街の雑踏の中、お別れの握手。そのお姿が人混みの彼方に見えなくなるまで、感謝の気持ちで見送った。

さあ、一人になりましたよ。10年ぶりの大阪です。
時はすでに14時15分を回っている。
今日中に神奈川まで帰るため、あまり長居もできますまい。
「紫色、東梅田、紫色」とつぶやきながら、地下鉄谷町線東梅田駅を探す。

10年前の単身赴任時代。日曜の夕方、神奈川の自宅を出て梅田駅まで着くと、最短ルートを東梅田駅へと歩く。谷町線でなんもり(南森町駅)、堺筋線で堺筋本町駅下車。階段をトトトントンと上って地上に出たら、瓦町通りにあるウィークリーマンションの14階自室に到着。家族と離れた寂しさと、自室でのケツの座りの居心地良さがちょうど半々の心持ち。手を洗ってうがいして、テレビをつけたら大阪の日常がすぐさま戻った。

そんなことを思い出しながら東梅田駅で谷町線に乗り込み、これから向かうは、玉造(たまつくり)。たにろく(谷町六丁目駅)で長堀鶴見緑地線に乗り換える。それにしても外国人トゥオリストがやたらと目につく。

玉造駅に到着すると、街並みは10年前とさして変わっていないように見えた。カトリック玉造教会を目指す。かつての行き方、大阪女学院の塀が続く道を北に上ってさ、白い砂地の公園を横目に見ながらさ、猛烈なる懐かしさと暑さにまみれて心はただ何も言わず、歩だけが進む。

果してどんつきに城星学園の正門を認めたら、はいはいありましたよ。左手にでっかいカテドラルのカトリック玉造教会が。

「こんにちは。神奈川県から参りました!」と玄関で告げると、汗だくのシスターが「あれまあ、わざわざ?」と驚きながらのお出迎え。

そして、11年前にこの教会で一番初めに友達となり、その後、ずっと繋がっているソウルメイトのないやんとの再会。応接室のソファに腰掛けてシスターの出してくれたアイスコーヒーを飲みながら、しばし話す。

「かまくら春秋」20冊。

これがないやんの用意してくれたお土産。
「あんな、前田万葉枢機卿が書いてんやんか~」「送ろう思って取っといてんねんな」「そしたらこんなに重くなってしまってな~」と、私の書く大阪弁はあまりにまずいのだが、ないやんはネイティブの大阪弁でいきさつを説明してくれた。それにしても、ないやんの発する大阪の言葉に触れると、妙に懐かしい、ふわふわとした遠い記憶の中に引き戻される感覚になるのはなぜだろう。

まあ、このお土産の話はつまりこういうことだ。

大阪教区の前田万葉大司教がかまくら春秋というマガジンに毎月寄稿しているから私にも読ませてあげたいと取っておいていつか送るつもりでいたらいつの間にかたくさんになってしまって送るに送れなくなってどうしようかと思案していたところに突然甲子園に行くから寄ると連絡が来たからこれはちょうどいいので持って帰ってもらおう。ふ~っ、息継ぎなしで書いてみた。

タラ~と冷や汗が流れて気が遠くなる。この猛暑の中、すでに甲子園観戦でくたくたなのに、その上かまくら春秋なるマガジンを20冊も持って帰るのか。「な、ないやん、あ、ありがとう…」とひきつった笑顔の裏では、なんば花月の舞台でハンカチをくわえた横山たかしの泣き面のようになっていた。

その晩遅く、ほうほうの体で神奈川の自宅に帰ると、泥のように眠った。

その後、その20冊は書斎の床に放っておいた。2022年1月号から2023年8月号まである。積んでるだけで手にも取らない日が3週間ほど続いた。そして、9月のある日、ほこりをかぶり始めた頃にようやく読み出すと、止まらなくなった。

今や通勤電車の中、一日を終えて眠りにつく前の静かなひととき、ページをめくれば、そこには美しい鎌倉の路地裏の光景が広がる。読み始めてから2ヶ月が経ち、現在、13冊目を愛読中。

聞けば創刊は昭和45年(1970年)で同い年。二階堂で産声を上げ西鎌倉で育ったのに、53年も経ってから知った。そのことに恥じ入るが、今更後悔しても仕方あるまい。これからは、前田万葉枢機卿のハンカチ、いや、寄稿とないやんの優しい心のおかげで知りえたこのタメ年のマガジンと一緒に、鎌倉の路地に心ゆくまま紛れればいい。

そういえば、ないやんとの再会を果たした日の夕方、大阪の街にお天気雨が降った。真っ青の夏空に雨粒がキラキラと光っていた。

「きつねの嫁入りや」とないやんは言った。






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