【神奈川のこと90】いすゞ天国(藤沢市/藤沢高等自動車学校)

21歳の長男が運転免許を取った。

よって、これを書く。

1989年(平成元年)3月。高校卒業直前から藤沢自動車学校に通い始めた。
鎌倉の自宅からは結構遠いし、もっと近場にいくつもの自動車学校があるにもかかわらず、なぜ、ここにしたのか?

恐らく、当時藤沢にあった丸井で、「電話優先予約ができるので早く取れる」のうたい文句かなんかにつられて申し込んだか、母校、東海大相模高校の同級生で一緒にアルバイトをしていたトシが通っているからという理由からであろう。

とにかく、毎日、小田急線の長後駅で降りて、送迎バスに乗ったり、神奈中バスに乗って通ったわけだ。

そこは、隣に大きないすゞ自動車の工場がある。だから、教習車はほぼ全てがいすゞ車であった。アスカというセダンの車種だ。そして、ほんの数台だけマツダの車があったように記憶している。あれはルーチェだったか。教習所内を見渡せば、アスカ、アスカ、アスカ、たまにルーチェ、そしてその背後にでっかいいすゞの工場建屋。まさしくいすゞ天国である。

今やいすゞ自動車は乗用車の製造を廃止してしまったが、当時は個性的な乗用車があった。ジェミニ、ピアッツァ、117クーペ、そしてアスカ。ジェミニは何てったってあのTVコマーシャルが印象的。パリを舞台にしたアクロバティックな映像に「どうやったらこんなことができるんだ?」と感嘆し、ピアッツァはマヨネーズのチューブのようでユニーク。117クーペには他に類を見ないスマートさがあった。

それにしてもマニュアル車の運転は楽しかったな~。帰りの送迎バスでは、教官の運転をほれぼれしながら見ていた。無駄のないスムーズなギアチェンジ、制限速度以内だが決してじれったくない、滑らかな走りに感心した。

仮免許期間中、公道に出ての教習で「うん、いい走りしてたよ」と教官に言われた。陸上部出身の自分には最高の褒め言葉だ。公道の教習は特に好きでいつまでも運転していたかった。コースを回って教習所の前にあるボウリング場「ミネボウル」が見えてくると、「あ~、もう終わっちゃう」と残念な心持ちとなったものだ。

それから優しい事務員のお姉さんも印象的であった。丸井の電話優先予約サービスで申し込んだのに、混雑していてなかなか予約が取れずにいたことをいつも気にしてくれていた。眼鏡の奥にある細い目で、忙しい中でもちゃんと気にかけてくれた。あの事務員さんのお陰で予定通りの期間で終えることができた。

学科の授業では、「〇〇は〇〇では、あ・り・ま・せ・ん」と連呼する司馬遼太郎と仲本工事(合掌)を、足して2で割ったような顔の教官が分かり易かったな。社会人になって、とある説明会の場でその教官を真似て調子こいて要項説明をしたら、後で社長に「くどい」と言われてしまったけどさ。

久しぶりにアスカのマニュアル車を運転したくなってきた。

いすゞのずは「つ」に「〃」では、あ・り・ま・せ・ん。





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