「カメラをとめるな」の感想

三週間前くらいに話題作の『カメラを止めるな』でフェチを感じた部分書きます。自分は構図や構成でしか話を見れない人間なのでそのあたりを軸に。まとめると好きなシーンは「冒頭」と「エンディングクレジット」

とりあえず、冒頭の観客への圧をかけるために「監督がキレる」シーン
ホラー見に来たんだと初見者を騙す効果として最高に良かった。ドキドキした。ネタ晴らしの二週目でも客に一発で意図を伝える効果としてもどっちでも完璧な。このシーンのパロディとかみんなやってくれ。ここから先はちゃんと書く。

『カメラを止めるな』の世間受けした面白さを解釈すると
一つのシーンが二重の意味を持つと人は興奮する」という点にあります。

A.作中作のゾンビ映画
B.Aを作成中にゾンビに出会うという映画
C.Bを作成するというコメディ

という複数の次元で意味が別物になるというのがそもそも楽しい。例えば、「冒頭の監督が役者に怒り散らす」シーンは最初のB次元と二週目のC次元で
まるでとらえ方が異なっていて
それが面白いや納得って感情につながります。丁寧にどう異なるかわかるように提示もされていますし。

 で、この作品は「二重に意味を持たすシーン」の精度の雑さのバラつきをかなり意図的に行っています。これが人の好みで評価がわかれるポイントにもなると思いました。「B次元では奇麗に成立がしているが、C次元ではめちゃくちゃ」という上手く描いたなあという形式と「B次元でもめちゃくちゃ、それがC次元では裏でこんなことが」というパターン。「ナイフを拾う」シーン前後とかは雑に見せることでC次元で見たときのコメディにつながるんですが、B次元で見ているときはただただ「今後二週目の謎明かしで見るときに意味がわかるけど、今は何一つわからなくてストレス」と感じました。
 手の上で遊ばされている上に、今はとりあえずつまらないシーンになってることを意識してしまう感じです。先に物語の仕組みに気づけば気づくほどストレスになる部分が多くなって辛いです。個人的にはB次元中は比較的に自然に見せてたがC次元ではてんやわんやになっていたというパターンの所が好きです。

 自分がフェチだったのはエンディングクレジットです。先ほどのABC次元に加えて
D.を本当に作成しているスタッフのたちの姿。
が描かれます。これの何が良いかというと、まずB次元とC次元の関係性は極力シンプルに抑えさせてるんですね。B次元でいた人はC次元では監督以外全員役者と固めてあります。B次元にいない人はC次元では全員スタッフ。

 でも、C次元とD次元はその関係もそうとう複雑なんですよ。例えばB次元で描かれていた血は、C次元のスタッフが作っていたんですが、そのスタッフは現実のD次元のスタッフでもあるんですよ。なのにC次元のカメラマンはD次元では役者であり、D次元のカメラマンはまるで別にいたり。B次元では演出として、C次元ではカメラマンのぎっくり腰としてカメラが動かないシーンは、D次元のカメラマンの休憩シーンになっていたり。BとCの関係を成り立たせるためにいかに作りこむかの結果のしわ寄せが全部D次元に影響しているのがフェチでした。
 エンディングクレジットの冒頭のカメラマンまみれのシーンの動線どうなってんだってアレ、最高です。

こんな感じ

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