ゲームは感想よりも思い出を語りやすい(スーパーマリオブラザーズ編)

ゲームは一作あたりの必要時間が他の作品よりも長い。SFCのドラクエをクリアする時間があれば映画は10本20本見れるし、本でも5,6冊は読めそうだ。長めのRPGや、オンラインゲーム、ソシャゲなら占有時間で勝てる作品ってのは中々ない。

ゲームは思い出を語りやすいと思う。漫画の感想は言葉にしやすいけど漫画の思い出ってのは数ある強烈な何作かしか書けなさそう。だけどゲームは巧拙合う合わないが全部思い出として語りやすい・・・気がする。

自分のゲームの原体験は小1のときのマリオコレクションだ。

マリオコレクションはスーパーマリオブラザーズ、2,3、USAが一つのソフトでできる夢のような存在だ。それまでのゲームに触れるくらいは経験があったけど、明確に向き合ってプレイした作品がマリコレだった。

スーパーマリオブラザーズは知名度のあまりみんな忘れているけど、正直言って小1には難しすぎた。有名だから簡単とかそんな甘えはこの世にない。

敵が強いとかそういうの以前で、マリオの慣性ある動きを制御しきれない。1-1のクリボーに突っ込むやつだ。ファイアーボールがなきゃ先に進めないし、今までのノウハウが使えない水中面も大嫌いだった。

もちろん当時の自分もやられっぱなしじゃない。あのとき自分はゲームごとに負けという屈辱を与えられるのを恐れていた。どこからか攻略のヒントを手に入れる。

ワープクリアだ。

マリオシリーズはステージを超えてのワープが基本的に実装されておりある種の伝統でもある。マリオブラザーズのワープは1-2から4-1、4-2から8-1のワープするもので、このおかげでたった8ステージクリアすればゲームクリアだ。なりふりかまってはいられない。

1-1、1-2はさんざんプレイしたからなんとかなった。4-1も2面以降の数あるステージに比べたらだいぶ楽。4-2でワープして迎えたワールド8。

クリアできるわけがない。

アクションゲームはプレイヤーの成長のゲームである。人の成長に合わせステージの難易度もあがっていく。ワールド7までの技術の集大成を駆使してクリアするものがワールド8だ。

だからクリアできるわけがない。俺はスーマリに敗北した。

月日はそこから10年以上経過する。大学生になった自分はある日、ニコニコ生放送を見始める。ニコニコ生放送は様々な配信主が様々な配信をして、その中にゲームのタイムアタックというジャンルが一世風靡し、気が付けばのめりこんでいた。そのうちによく見る配信主やその周囲の影響もありあっという間に自分も配信主になった。

配信主になった自分は何を行うかで、とある一つのポリシーを定めた。

「自分が未クリアのゲームをすべてクリアする」だ

上記のマリオコレクション以外も様々なゲームを挑んでは挫折してきた自分であり、このようなポリシーを持つのは必然だ。なんたってゲーム未クリアを恥と考える思想をもったまま大量の未クリアを抱えているのだから。

一番最初の標的がマリオコレクションのスーパーマリオブラザーズだった。不思議なもので、大学生になって改めてプレイするマリオは簡単だった。なぜだろう、たぶん単純に忍耐力が上がっただけだと思う。あと分析能力も。当時あれだけ苦しめられたキラーやブロスも、待つ行為を覚えて凌ぐことができるようになった。

といっても大人でもワールド8までくるとあほほどムズイ。俺は大人なんだという部ちぎれを行いながら8-1をやる。8-1は難しい。ワールド8以前は失敗しても中間地点という良心があった。リカバリーのやりようがあった。だが、8-1は違う。あいつは中間地点なんて持つべき良心をもっていない。あるのは序盤のワンナップキノコだ、つまり死にもせず生きもせずひたすら8-1をぐるぐるまわる輪廻だ。

あと8-3とかアホだろ。ブロスたくさんだせば良いってもんじゃないぞ。
今まで一匹ずつだったじゃんあの暴力装置。ファイア前提で倒すやつあんな出しちゃダメだろ。あいつ技術とかじゃないじゃん。

とか言いながら、なんやかんやで6時間かけてクリアしたマリオ1。達成感はひとしおだ。俺がピカソだったら

「6時間じゃありません、14年と6時間です」

って言ってた。マリオ1、それは自分の人生のうち14年と6時間を消費させた悪であり良い思い出だ。


ちなみに、それ以降普通にマリオ1のタイムアタックプレイヤーになったので実時間で200時間くらいプレイした。

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