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小説を書いていてつらいこと、しあわせなこと

 先月、あたらしい小説を書きはじめた。いまで100枚をちょっと過ぎたところで、たぶんそれなりに長くなるとおもう。長くなるというのは困ったことにどこにも持ち込めないということでもあって、これはほんとうにじぶんや、いつも読んでくれている友だちのためだけの小説になるだろうなとおもう。だけどそれでもこの小説を今年は完成させなければならないような気がした。書きながらじぶんがどうして小説を書いているのか、どうしてこれほど小説を書くことにこだわるのかを考えた。小説がなぜ書けてしまうのかについて、つまり「小説を書く」という現象については毎日毎日かんがえていたけれど、じぶんが小説にこだわる理由なんていままでほとんど考えたことがなかった。

 去年の目標は次作を発表することだった。育児と仕事の隙を見つけてなんとか書けているというかんじで、短編ひとつ書くのにえらく時間がかかったけれどそれでもなんとか書けた。それらをどうにか世に出せないか……とおもったけれど、それを読んでくれる編集者というのがひとりもいない状態で2019年がはじまった。オファーなんてひとつもなくて、だからといって金も時間もないので外出できるわけでもなく、SNSやブログをひたすら更新し続けてなんらかの接触を待つよりほかなかった。このときがいちばんしんどかった。あきらかな挙動不審なネット上の動きに大学時代の先輩からも心配におもわれてLINEが飛んできたり、まったく知り合いでもなんでもない有名ミュージシャンにこっそり嫌われもした。しかし「ネットでがんばっているやつ」の気持ち悪さはめちゃめちゃわかる。じぶんがそれになっているのをわかってすごくつらかった。だれからも仕事をもらえなかった。
 書いたものは友だちに読んでもらっていた。むかしの友だちは作家になったり学者になったりして、あたらしくできた友だちも多くが作家だった。そうした友だちになにかひとつ書けるたびに送っていて、みんなは律儀に忙しくても毎回読んでくれて「これはダメ」とか「これは良い」とかを教えてくれた。ひとつ、ぼく自身もかなり手応えのある小説が書けて、それはみんながおもしろいといってくれた。ひとりは「これは読まれるべきタイミングがくるまで手元に置いていてください」といった。方程式から花が咲く小説だった。
 娘も保育所に入れたタイミングで外に出歩けるようになった。そのタイミングでtoibooksが開店し、前々から仲良くしてくれていた磯上さんがイベントでたくさん使ってくれた。イベントをやるたびに、毎回ぼくの小説を読んでくれているひとがいるというのにとても驚いた。大滝さんの小説を読んで、大滝さんのイベントだから来たと言ってもらえたことが何度かあって、また、イベント後にぼくが寄稿した「たべるのがおそい」や、エッセイアンソロジーの「エンドロール」や、早稲田文学の「笑い」特集増刊号などを買ってくれるひともいた。これはとても純粋にうれしいことだった。それと同時におもったのは、編集者とイベントなどで会ったとき、ぼくはこれまでに1度も「あなたの小説を読みました」と言われたことがないのに気がついた。
 ぼくはお金が極端にないし、単に不特定多数に読まれたらそれでいいとも思わないので、じぶんの書いたものをネットで無料公開できるような余裕がない。ぼくの小説観というか、小説の関わりかたとして一貫してあるのが、「じぶんの求める次元で小説のことを考え続けるためには、その考えたことでお金が稼げないといけない」というものだった。そうしないと時間があまりにも足らなさすぎる。所詮、長生きしてもせいぜい80年とかそのくらいしかない。絶望的に短い。だから小説をやるというのはせめてじぶんの人生程度の時間において小説について徹底して考える時間を確保できなくちゃならない。それができないというのはじぶんの力不足そのものなんだけれども、ただ、それだけじゃないかもしれないと、toibooksのイベントをさせてもらって考えるようになった。やりとりをしていた編集者にはダメ元で小説を送ったが、どの編集者も返事はいまもくれていない。それは仕方がないことで、そもそも実績のないたまたま知り合ったどけの作家がポッと送ってきた原稿を読む義理なんてない。原稿に対するリアクションをなにひとつもらえないまま、別の原稿を書きながらもそれに万にひとつの可能性をかけて何ヶ月も待ち続けるのはほんとうにつらい。50枚程度の短編を読む時間も労力も割いてもらえないという事実は、「大滝瓶太は作家なんかじゃない」という現実そのものだ。ボツさえもらえないぼくは存在していないのとおなじだ。今年のはじめにまた原稿を別の編集者に渡したけれど、これで返事ひとつ、ボツさえもらえないなら、もうぼくは無理だろうなとおもう。志は低いけれど。ボツをもらえる程度の作家になりたいとおもった。

 しかしありがたいことに、友だちやSNSでいつもぼくを気にかけてくれるひとたちが、ぼくの知らないところでもぼくの話をしてくれているらしいとさいきん人伝に知った。ぼくが書いた小説のことや、ぼくが翻訳した小説のことを話してくれているひとがいる。これがどれだけありがたいことかを去年しった。
 ある作家の方は某賞の待ち会でぼくの小説(コロニアルタイム)が超おもしろいとその場にいたひとたちに話してくれて、また別の作家の方はじぶんの担当編集に原稿を渡してあげるといってくれて、実際に掛け合ってくれている。ある編集者の方はぼくが翻訳したリチャード・パワーズの短編「メジャーズ滝へ」を読み、なんとか世に出せないかと業務範囲を超えてまで奔走してくれた。阿波しらさぎ文学賞を主催する徳島文學の方々はイベントをすると立派なお花を会場に送ってくれる。古い友だちはぼくに商業誌で批評をする機会を与えてくれて、SNSでも「大滝さんの本が出たら買います」といってくれるひとがいる。そうしたことがたとえ小さくてもいろんなところで実は起こっていて、しかしじぶんがいま何もかたちにできていない。よろこびと苦しみの境界がわからなくて、ただじぶんががんばってどうにかなる問題でもなく、ただただじぶんの書いたものが査定されるときを待つよりほかない。そこにものすごく無力をかんじる。そして、それを考えれば考えるほどぼくはダメになってしまう。それを考えることっていうのは、複数の方々がぼくに抱いてくれているものに応えることなんかじゃ全然なくて、ただ小説のことを大きなスケールで自由に考えることを妨げる結果にしかならない。じぶんの文章を世に出すことでしか恩を返せないのに、じぶんの文章を世に出そうとするほど道を間違えてしまう。

 ことし、たとえ世に出せなくても長編を書こうと心に決めたのは、それを乗り越えたいからだ。じぶんにとっての小説を書くよろこびを取り戻したい。小説に対するじぶんの考えを確信に変えたい。そうしなければならないとおもったからだ。
 読んでくれるひとが増え、少しでも期待してくれるひとが増えるほど、ひとりで書いていたときとはちがうよろこびも苦しみもうまれると去年知った。それはすべて小説の外部にあるもので、小説の外のことなんて、これまで考えたことがなかった。このことを考えるのはほんとうにつらかった。現実的に生ていかねばならないという問題がそこにかけあわさって、じぶんのなかから小説が消えてしまいそうで、それがつらかった。
 今年は去年苦しんだことが、ほんとうは苦しみなんかじゃないんだと証明したいとおもった。

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