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スキルとしての「性格」

 性格が悪い、というのがコンプレックスだ。
 そのくせ簡単に気を許してしまうので、ひとに会うとつい迂闊なことを言ってしまって、家に帰ってきてから、ああ、今日はあそこのあのタイミングであんなこと言うべきじゃなかったな……という脳内反省会が始まってしまい、ひどいときにはそれが寝て起きてもまだ続く。脳内会議は踊り、されど進まず、三日寝込んで家族と仕事先のひとに迷惑をかける。性善説は性格の悪さととにかく食い合わせが悪いので、性格が悪いならせめて他人に気を許さず性悪説を突き進むべきなのだ。

 広告代理店で会社員をしていたとき、求人広告では「明るい人大募集」と書いてはいけないと教えられた。それはメーカーから降りてきた表記規律で、「原則的に人間の先天的性質に触れる要素を募集要件にしてはならない」とのことだった。しかし仕事には向き不向きがあり、たとえばイベント事業などでお客さんを盛り上げないといけない職種の募集とかだと「明るい対応ができる人」と書く。つまり、技術であれば後天的に身につけられるからオッケーで、そのとき「性格」とはスキルなんだと感心さえした。
 営業職はぶっちゃけ苦手だった。しかし営業職を選んだのは「苦手」ゆえだったし、一生の仕事にするつもりもなかった就職活動をしていた当時、じぶんから縁遠い仕事をやってみたらどうかと知人が助言をくれた。
 それはそれとして、苦手なことをやる、できるようになるとは、スキルとして不足しているものを習得することである。ぼくができなかったのは、嫌いなヤツのことを「嫌い」と言わず我慢することだった。ひととのコミュニケーションはそれなりに好きだと思っていたけれどそれは半分間違いで、ぼくは「友だち」が好きであって「友だちとコミュニケーションをとることが好き」なのであり、ここから「友だち」を抜き取ると「無」しかない。人付き合いと友だち付き合いはまるで違っていて、社会とやらに放り出されるまでそんな単純なことを知らずに生きていた。

 性格が悪く、嫌いなものをすぐに〈嫌い〉と言ってしまう性格はSNSとの相性が悪く、このあいだ会った方に「注意してください。あんまり評判悪くないですよ」と言われたのだった。
 相手が完全に正しいのだが、面と向かってそう言われるとやはりショックである。当然のようにその夜の帰りの電車から脳内反省会が始まり、三日ほど寝込むハメになってしまった。そうこうしているうちに友人がSNSで大炎上を起こしてしまい、まったく関係ないくせになぜだかぼくも傷ついてさらに寝込み、これはいい機会だと思って自身の性格の悪さに由来する言動をSNSでは慎もうと決めた。そう性格とはスキルなのだから。

 性格の悪さ、というより、性格の悪さを隠せない技術的な拙さのわりに、ぼくは交友には恵まれている気がするのだった。定期的にLINEをくれる高校時代の友だちがいて(いつも素っ気ない返事でごめん)、大学時代のサークル関係のひとびとがいて、アマチュア時代からの創作友だちがいて、去年にひょんなことから知ったのだけど同じマンションにはなんと同業者がいてたまにごはんに付き合ってくれる。特に今年はいくつか作品発表をさせて貰えたとはいえ、上手くいかないことも多かったのだけど、それを心配した先輩作家の方が何人か声をかけてくれたりしてくれた。献本がダブった本を1冊くれた方もいた。何か嫌なことがあると「大滝さんの嫌いなヤツの名前はわたしが憶えておいてあげますのでサッサと忘れてください」と言ってくれる呪詛の下請けをしてくれる友人もいる。小説を書いていて思いついたことを嫌がらせレベルの頻度で送り付けても怒らないひともいて、ネット麻雀に付き合ってくれるひともいる。みんなありがたい。
 甘やかされているとは思う。しかし気にかけてくれるひとびとのリアクションを見ると、「性格が悪い大滝」を別に否定しているわけじゃないように感じた。きっとみんな諦めているのかも……と思ってみて、諦めと肯定のあいだに何が違うのかふとわからなくなる。
 おそらく「諦め」とは技術的に解決可能な問題に使う言葉で、たぶん技術的な性格の改善の見込みはぼくにはない。ただ、その諦めの上で言葉をかけてもらえるなら、具体的な問題を起こすわけでもなく、ただ緩やかになんとなく嫌われていくだけのぼくであるが、なにかしらのなにかを肯定されているのかもしれない。ちゃんと小説を書こうと思った。しばらく前から構想していた小説を、先週の1週間で125枚の長めの短編として書けたのは遅筆のじぶんにしては上出来だ。
 小説を書いているあいだ、すこし性格が悪いのが治った気がした、というより、性格の悪さを隠せる心の余裕ができた。そういうことを最果タヒ『神様の友達の友達の友達はぼく』を読んで思ったのだった。

 小説を書いているあいだ、ぼくは健康で、技術的に性格の悪さを隠すことができる。技術的に健康で健全な生活のために、そして小説家の本分として、来年はとにかく小説をたくさん書こうと思います。

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