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魔法少女としての「ゆず」〜いかにして「ゆず」がぼくのなかで死んだか?

紅白歌合戦で「ゆず」をみた。十代のころ、ぼくにとって音楽といえば「ゆず」がすべてで、高校のときにギターマンドリン部に入ってギターをはじめたのはゆずの楽曲の弾き語りがしたかったからだった。1996年に路上で活動を始め(どこかで食ったゆずシャーベットが美味かったからとかそんな理由で北川と岩沢はユニット名を「ゆず」としたらしい)、翌年にインディーズアルバム「ゆずの素」をリリース、そして98年にミニアルバム「ゆずマン」でメジャーデビューした。同年に代表曲となる「夏色」をリリースし、日本のポップミュージックシーンの新星として若年層を中心に大きな支持を得た。ぼくもまた、そのひとりだったというわけだ。

ぼくがゆずのCDを聴きはじめたのは姉の影響だった。中学2年生だったころ、高校に入ったばかりの姉には新しい友だちができたのか、よくCDの貸し借りをしていたことを覚えている。そのなかに「ゆず一家」と「ゆずえん」があって、ぼくはそれをMDに録音する作業を手伝っていた(というか、押し付けられていた)。その年、ぼくはなけなしの小遣いで3rdフルアルバム「トビラ」を買うことになる。
ともあれ姉はゆずのファンクラブに入会し、ぼくはギターをはじめた。しかし、2004年アテネオリンピックのNHK公式テーマソングとなった「栄光の架橋」をきっかけにゆずの楽曲を聴くのをやめてしまった。高校三年生だった当時、翌年から故郷淡路島を出ていくことを決めていたのもあったせいか、あの楽曲か世に出て「ゆず」のアーティストイメージが大きく塗り替えられていくのを目の当たりにし、ひとつの世界が終わってしまったような、大きな喪失感を抱いたのをよく憶えている。

初期楽曲にみられた「意味」の保留

高校のとき、ゆず全曲集という楽譜を買って片っ端からかれらの楽器をギターでかきならしていると、「ゆずを弾く」というのは基本的にめちゃめちゃつまんないとすぐに気づいた。決まったコード進行でカポタストをつける位置が違うとかそんなんばっかで、曲作りの意匠に興味を持つのははっきりいってむずかしい。
しかし、単純な曲構成によりゆずの音楽性をチープだというのもちがうような気がする。事実として、十代のころのぼくにとって初期ゆずの音楽はものすごく好きだったし、いま聴き直してみても好きだ。特に歌詞に大きな魅力があったとぼくは感じる。
たとえば、「てっぺん」、「ところで」、「大バカ者」、「巨女」の歌詞はこんな感じだ。

六大学出のインテリの坊ちゃんには
四回死んでも分かんねえだろうけど
お前らがトップにいるのなら この世のトップにいるのなら
進む道はただひとつ “最強のバカ”になってやる
食べる物がなくても ずっと笑っていられるような
神様がいるならば もし神様がいるのなら
それが知りたくて立ち止まる 今日の昼下がり
(ゆず,「てっぺん」,作詞・作曲:岩沢厚治)
時々僕はここへ来て 雨雲が抜けるのを待ってる
雨降る晩は悲しくても 明日が晴れればそれでいい
こんなこともうやめようよ 何度も叫んでるのに
誰かが幸せになるように 世界が平和でありますようにと
ところで…
君は一体今どこで何を考えているのか?
最近よく夜眠れないそのワケは
多分きっとそのせいなんだろう
(ゆず,「ところで」,作詞・作曲:岩沢厚治)
6月に入る梅雨の季節がやってくる
今夜半にも嵐が来るという
おとなしく今日のところは眠っとこうか?
午前3時じゃ寝るにはまだ早すぎるのかい?
やがて聞こえる雨の音激しく 耳元をつんざく様に
『大バカ者!』とののしられて
それでも『人』として生きてきたけれど
やっぱり今日は眠っとこう
(ゆず,「大バカ者」,作詞・作曲:岩沢厚治)
朝起きて無性にコーヒーが飲みたくなって
僕はあの店にポンコツの車を走らせた
ところで気になるウエイトレスのあの子は
知らぬ間に辞めていったと誰かが言ってた
そんな事はおかまいなし僕はただあの店の
コーヒーを飲みに行くのであって
やましい事など一つもないとは思うけれど
タバコをプカプカと一人でのんびりしたいんだ
このまま風にゆらゆら流されて行きたいよ
今だけは全てを許してみようよ
こうしてコーヒー飲んでいる時だけでいいから
時間が止まればいいのになぁ
(ゆず,「巨女」,作詞・作曲:岩沢厚治)

これらに共通するのは、衝動的な怒りやなんとない危機感の所在を実感しながらも、基本的に「ダラダラ過ごす」ことしかできないでいる若者の姿が描かれていることだ。
歌詞のなかに「意味」や「メッセージ」とも受け止められそうなのではある一方で、対峙すべき問題の具体像はほとんど語られずにそれを保留したままに日常だけが流れている。特に岩沢主導で制作された初期楽曲には、こうした「意味」と「現実」の乖離が表現の通奏低音として流れていたように感じる。

この「通奏低音」は北川主導の楽曲にも見られた。CMにも起用された2ndシングル「少年」の歌詞はこうだ。

人生を悟る程 かしこい人間ではない
愛を語れる程 そんなに深くはない
単純明解脳みそ グルグル働いても
出てくる答えは結局 「Yes No Yes No」
いくら背伸びをしてみても
相変わらず地球はじっくり回ってる
今自分に出来る事を ひたすらに
流されずにやってみよう
(ゆず,「少年」,作詞・作曲:北川悠仁)

この曲はじぶんの存在に関係なく回り続ける「世界」の気配を感じながらも「ダラダラしている感じ」はなく、前向きに奮闘している「すこやかな青春」が強調されている。もちろん、北川楽曲が「少年」や「夏色」のような「さわやかな青春」ばかりではないのだけれど、かれが作る曲は岩沢よりも「意味」や「メッセージ」が前面に出ている傾向にある。
とりわけ初期は楽器経験の差から多くの楽曲が岩沢主導で作られていて、キャリアを重ねるごとに北川楽曲が多くなっていく。

ぼくにとっての「ゆず」の魅力は「意味」や「メッセージ」ではなかった。「意味」や「メッセージ」の重要性をどこか自覚しながらも、それを保留した「宙吊りにされた自我」で形成されたあいまいな世界に対するリアリティだったとおもう。
それがどのくらいの規模なのかはわからなくても、だれもが「世界」なる場所がただでかいことぐらいはわかっている。全体像がみえないその存在に対してあまりにもちっぽけな「わたし」は、ただ生活することしかできない。「世界」と「わたし」のあいだにある大きな溝のなかに個人それぞれの青春があって、その出口にむかう方位磁針として「意味」がある。初期ゆずの音楽は、その方位磁針を捨てるものだった。それによって青春が永遠となり、それじたいが世界でありえたと、ぼくはおもう。
特にぼくが表現的なピークを感じたのが「月曜日の週末」(「ゆず一家」収録)だ。

今さら遅いとか早いとか 言わない方がいいんだけど
あえてあからさまに 曖昧にどっちでもいいと言ってくれ
雨が強くてよく晴れてたっぽい 月曜日の週末は
あからさますぎて大事な事がわからない
そんな事はよくある話だと 君は笑うかも知れないけど
いつも僕は考えこむのさ ずっと
(ゆず,「月曜日の週末」,作詞・作曲:岩沢厚治)

青春の終わりへ

いわばモラトリアムをそのまま「世界」にしてしまうことで表現のオリジナリティを獲得した「ゆず」は、その後もコンスタントに楽曲を発表しつづける。
「ゆずの素」〜「ゆず一家」では、岩沢と北川それぞれの楽曲は、「意味」と「世界」の配分こそは異なっているが、どちらも絶妙なバランス感覚でもって「ゆず」たる音楽性を高めてきた。
そのなかでひとつの変化に思えたのが、続いて発表されたアルバム「ゆずえん」に収録された「始まりの場所」だ。

この町に潜んでる 場違いな勘違い
「どっちでもいいよ」と誰もが口走る
今夜もどこかで退屈が産声あげて
「こっちへおいで」となぐさめあい果てしなく続く
「一体何だ?」ニセモノが叫ぶ
期待外れの言葉は聞きたくない
それなら今すぐに出かけよう
きっかけはいつも訳もなく訪れて
跡形もなく去ってゆく 明日吹く風を探そう
始まりの場所から真っ白い夜を超えて
(ゆず,「始まりの場所」,作詞・作曲:岩沢厚治)

人気恋愛バラエティ番組「あいのり」のテーマソングとして起用されたこの曲は、番組のコンセプトでもある「旅立ち」に沿ったもので、そのラインを守りつつも「ゆず」らしい青春感がある。あえて変化を挙げるならこの楽曲は「ダラダラしていない」。そしてそれは、意味や行動の保留によって形成されていたモラトリアム的青春からの脱脚を示唆するものだと読み取れるかもしれない。

作風に大きな変化が生まれたのは、2000年にリリースされたアルバム「トビラ」だろう。
このアルバムで特に北川が作詞・作曲を手がけた楽曲では、これまで見られなかった自己や社会に対して直接的なことばや表現が使用されている。

古びた町角の小さな今にも
壊れそうな骨董品屋で
丈夫そうだが気味の悪い
笑い顔の仮面を買いました
心の中まで覆い隠せると店主の老人は
言葉をはずませる
自分の胸の内を晒すのが恐いから
誤魔化せそうなその仮面を買いました
もう大丈夫 何も心配ない
これでもう明日から 安心して
生きてゆける…
安心して生きてけるはずだったのに
心の中に出来た空しさが
日々の生活の中でポッカリと
大きな穴を作っていった
うんざりして仮面を 取ろうとしたけれど
しっかりと食い込んで
離しはしない…
お願い僕の仮面を剥ぎ取って
お願い僕の仮面を引きちぎって
(ゆず,「仮面ライター」,作詞・作曲:北川悠仁)
僕が生まれ落ちたこの国はすでにもう豊かな島国でした
溢れかえる物質の何処かに心が埋もれてしまった気がします
情報は節操もなく散乱し客観性ばかりを身につけて
乾いた瞳の行き先にはいったい何が待っているんでしょうか?
心ない言葉達が行きかう腐った世界
たれ流しのメディアにでも相手に踊らされてな
保守的 安定 無難に生きてゆくためだったら
冷めた顔して見て見ぬふりかい
借り物の自由に手を合わせシステムの中にはめ込められてる
事になんて気づきもしないで
正直に生きようと願う者からどうして傷ついてゆくのだろう
消えてしまいそうな愛は何処?
平和とはいったい何?
(ゆず,「何処」,作詞・作曲:北川悠仁)
希望へと続くはずの薄暗い
トンネルをどれだけ歩けば
真実はいつでもたった一つのはずなのに
迷い立ち止まってしまうんだろう
いつか空の彼方に描いた夢も
消えてしまいそうになってしまってるけど
ねぇ 教えてくれないかい?
ねぇ 僕は間違っていないかい?
どうして君に全てを求めてしまうんだろう
(ゆず,「ねぇ」,作詞・作曲:北川悠仁)

「ゆず」の音楽性のターニングポイントはこのアルバムにあるんじゃないか、とぼくはおもう。
「ゆずえん」以降、ゆずはこれまでのトレードマークであったモラトリアム的青春からの脱脚をはかろうとしていたように感じられ、「トビラ」ではこれまで深く立ち入ることのなかった「意味」や「メッセージ」への比重を劇的に大きくした。そして悲しいことに、ここでなされた社会や個人の生への「直接的なコミット」は思慮が浅く、チープでありふれたことばが氾濫している。そうした言葉を「叫び」にちかい声で歌いあげることが、またその虚しさを強調しているようにぼくはおもえた。

初恋のあの人がもうすぐ母親になるんだって
小さな町の噂話で耳にしたよ
一緒になって馬鹿やったアイツが父親の後を継いで
一人前に社長さんになるんだってさ
(ゆず,「嗚呼、青春の日々」,作詞・作曲:北川悠仁)

ただ、アーティストとしてのキャリアだけでなく、新たなライフステージを迎えたかれらにとっても、これまでの音楽を一生繰り返していくわけにはいかないという危機感があっただろうことは想像に難くない。9枚目のシングル「嗚呼、青春の日々」はそれまでの音楽との切断線として象徴的ともいえる存在感を放っている。

「大人」になってしまった少年たち

はじめてじぶんで購入したゆずのアルバムは「トビラ」なのだけれど、これがどうにも好きになれなかった。MDに録音したそれ以前のアルバムを聴き直すほうが多かったし、以降に発表された「ゆず」の楽曲は聴いてこそいたけれど特に興味を持てないでいた。「アゲイン2」や「青」などのふつうにかっこいいだけメロディや歌詞が目立つようになったのも、不満のひとつだった。
このころから「ゆず」の音楽は加速的に大衆的になったとおもう。もちろん、出てきた当初から広く愛されうるアーティストではあったとはおもう。ただ、表現として扱うモチーフが18歳〜20代前半の青少年のミニマムな生活に限定的だったのは否めない。そういう意味は表面上のかっこよさや「恋の歌謡日」のようなエンターテイメント性の高い楽曲の発表は長く日本のミュージックシーンで活躍するには避けて通れなかったのかもしれない。
そうしたなかで、2004年発表されたのが新たなゆずの代表作となる「栄光の架橋」だ。

誰にも見せない泪があった 人知れず流した泪があった
決して平らな道ではなかった けれど確かに歩んで来た道だ
あの時想い描いた夢の途中に今も
何度も何度もあきらめかけた夢の途中
いくつもの日々を越えて 辿り着いた今がある
だからもう迷わずに進めばいい
栄光の架橋へと…
(ゆず,「栄光の架橋」,作詞・作曲:北川悠仁)

これを聴いたとき「ぼくのなかでのゆずは完全に死んだ」とおもった。顧客ニーズにきちんと応え、だれからも嫌われることのないメロディと言葉で、物語と作用することで「かんたんに感動できてしまう」音楽。もう「ゆず」は大人になってしまった。それは「成熟」ではない。「喪失」にちかい変化だった。

あとになっておもうと、この感覚は「魔法少女まどか☆マギカ」の「魔法少女が魔女になる」感覚にちかい。大人になることを漠然と「保留」し続けることで消費されることを回避してきた少年たちが、消費的であることを受け入れ、その責務をまっとうする大人になる。初期の「ゆず」作品が「大人との戦い」だったかといわれたらそれはちがうのだけれど、社会への関わりを保留することで独自の「魔法」を使える存在だった。しかし、「栄光の架橋」は、その「魔法」とは対極の位置にある音楽だ。甘ったるい言葉がベタ塗りされたこの曲の詞には、「子どもたちが大人になる運命」という現実が、すくなくとも高校生だった当時のぼくにとって、ほとんど絶望にちかいかたちで現れている。

この曲を最後に、ぼくは「ゆず」の新譜を聴かなくなった。しかし、折に触れて初期の楽曲は聴きかえすことがある。初期の「ゆず」作品の、「意味」から逃れ、未来を保留し、いま・この瞬間の永続を信じさせてくれる多幸感を、ぼくはこれからも愛したい。2020年の目標を掲げるとするならば、そうした享楽の瞬間でこの一年の塗り固めたい。表現のなかにあるよろこびを永続させることができたなら、それはきっとぼく自身がつくりたいものに一致するだろう。そんな気がした。

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