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アンガーマネジメントとしてのTwitter大喜利

 となりの明石市市長がまたカチンとなってどやーッ!と怒ってすみませんってなっていたのだけれど、人口流出ワースト1の神戸市とちがって明石市は特に子育て家庭が住みやすい制度が整っているとよく聞く。それもこの市長さんがけっこうがんばって実現したとかなんとか。暴言のあと市長はその場で謝罪したようで、最近ではアンガーマネジメントを気にするようになったらしい。

 ぼくはといえば、ひとに会うたびに「おもったより温厚」「会うと良い人(?)ですね」などよく言われるのだけれど、それというのはつまりネット(特にTwitter)では怖いひとにみえるらしい。ふだんの生活でそんなに怒ってはいないつもりなんだけど、そもそもTwitterという空間にはアンガーポイント的なものが多すぎるというか、ひとがキレたものがリツイートで回ってくるので必然的にそういうものに出会ってしまう。クソみたいなツイートをみてクソみたいな感情を抱き、気がつけばじぶんまでクソみたいなツイートをしているという次第だったわけである。

 やはり仕事の都合上、ないのは不便ということでTwitterアカウントを復旧したのだけれど、やはり快くない話題はよく目にする。キーワードミュートを使ったりしてなるべく目に入らないようには気を使っているけれど、そもそものじぶんの精神状態があまりよろしくなかったりもするからほとんど意味がない。別名義の仕事での主要クライアントから今年から経費削減のため仕事をあまり回せなくなったという連絡を受け、ぽっかり時間が空いてしまったところ、新規の仕事の営業や、小説を書いたり翻訳をしたりして過ごしている。独り身だったらなんとかなるさと楽観的にいられただろうけれど、そこに育児やら家事やらものっかってくると疲労と不安でずいぶんと気分は落ち込んでしまう。それが良くないことばの源泉になるのだけれど、ようするに、表面的には怒りにちかいかたちで吐き出されてしまうものたちのほとんどは、悲観からくる不安と焦りだったのだと理解した。

 ということで、なにか行き場のない感情が悪い吐き出されかたをされそうだなとおもったらひたすら大喜利をすることにした。

 感情がおさまるまでボケ続けるので正直人様のTLを汚しまくっているのは自覚しているんだけれど、個人的にこれでわりと精神状態がどん底まで落ちてしまうのを防げているし、疲労や不安や苦しみもちょっとくらいは忘れられる。なんとなく、いまみたいな「Twitterで物申す!(Twitterで物申すと仕事がもらえるケースがあるのだ!)」的な風潮があまりなかった10年くらいまえの、「無意味にボケる」のが単純にたのしかったTwitterをおもいだしたりした。大喜利をやっているときだけ、「なんとかなるかな」と楽天的な気分になれる。

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