見出し画像

汽車のある情景 序文

 次々と畳みかけるような忙しさや、
逆にポッカリと空白の日々に襲われ、
何処かに逃げ出したい衝動に
駆られることがよくある。

 でも、現実にはなかなか逃げ出し
たりはできないわけで、そんな時、
せめて心だけでも、何処かへ旅に
出かけさせたいと思う。

 そんなときに僕は、のんびりと、
煙をたなびかせて汽車が走る風景に
旅する。そんな時代に旅する。

 きっと生まれ育った家の近くに、
汽車の走っていた中央本線があって、
そんな情景が身近だったからだろう。

 でも、僕の心が旅する風景は、
実際に体験した景色だけではなくて、
まるで見たこともない、大昔の景色
だったりもするから、単なる空想癖の
なせる業かもしれない。

 だから、今から綴る旅の情景は、
実在の旅もあるし、架空の旅もある。
そんな他人の空想や汽車に関心ないよ、
という方は、スルーしてください。
 でもどうせ退屈だからそんな空想に
付き合ってもいいかな、という人は、
ご一緒に汽車のある情景を、
ちょっとだけ、
覗きに行ってみませんか?
 
 スマホもパソコンもなかったけど、
人の心も暮らしも、
今よりずっと長閑のどかだった風景を、
汽車がのんびりと営業運転で走る。
そんな景色、今の日本じゃ、もう、
どこにもありはしないのだから。

1973年夏 国鉄山陰本線浜田駅にて(15歳の筆者)