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その日ボクは現場中継担当ディレクターだった。ザ・ベストテン、「アルフィー犬山事件」の真相。

 犬だけが吠える中、無人の家の前でアナウンサーが曲紹介。隠してあったトラックの荷台が開くとそこに人気絶頂のアルフィーが!いざ、スポットライトが当たりイントロが始まると、なぜか音がヘロヘロ・・・アルフィーのメンバーも歌うに歌えず、「遠藤のバカヤロー!」「また騙しやがったなー!」と罵声を浴びせつつも、本来3分ほどの曲を、5分以上かかってヘロヘロの音楽のまま放送してしまった、俗にアルフィー犬山事件、と呼ばれている放送事故がありました。

 1978年にスタートし、生放送で常に歌謡番組のトップを走ってきたTBSのザ・ベストテン。特に1980年代はアイドルスターが目白押しで、テレビの歌番組も絶好調の時代。その中でもザ・ベストテンは一番高視聴率を稼いだ番組でした。
 基本はTBSのGスタジオで、司会の久米宏さん、黒柳徹子さんが進行するスタイルですが、スタジオだけでなく、ベストテン入りした歌手が地方にいる時は、全国問わず、各地の放送局が生中継で追いかけるのが売り物でした。
 その歌手が中部エリアにいる時は、主に中部日本放送、現在のCBC-TVが生中継するわけです。
 番組が始まって2年目の1980年に中部日本放送に入社し、テレビ制作部に配属された私は、主に生中継番組や音楽番組担当でした。ですから入社2年目の春から、24歳という若造ながら、ザ・ベストテンの生中継担当ディレクターとして、雅夢、あみん、サザン、トシちゃんなどの生中継を担当させてもらいました。

 中継場所は、多くがコンサート会場や、有名観光地、移動先の駅、空港、ユニークな場所などで、TBSのディレクターやプロデューサーと相談して決めます。ザ・ベストテンを始めたTBSの山田修爾さんが私に話してくれた、番組が大切にしていたことは「生放送、生中継ならではのリアルな迫力と何が起こるかわからないドキドキ感」だったと記憶しています。松田聖子さんが新幹線で歌いながらマイクごと去って行ってしまったりというシーンは、番組終了後も何度も放送され、みなさんの中でも見覚えがあることと思います。そんなハプニングをよしとする番組だからこそ、アイドル人気とも相まって、常に30%を超える高視聴率だったのでしょう。

 で、時は1984年12月。ザ・ベストテンのあるディレクターからこんな相談を受けました。
 愛知県の犬山市に12月13日木曜日の放送日がちょうど誕生日というアルフィーの熱烈なファンがいて、アルフィーから誕生日とクリスマスプレゼントが欲しい、というようなリクエストハガキが来たので、ぜひサプライズプレゼントをしてあげたい、というのです。
 その企画プランが、リクエストをくれた本人の家の前で、アルフィーに生歌をプレゼントしよう、しかも放送まで内緒のサプライズプレゼントで、というものでした。
 
 本人の家を探すことは、リクエストはがきに住所が書いてあるから簡単でした。しかし、夜の9時過ぎ、真っ暗な住宅地の前でアルフィーという大人気バンドに歌ってもらい生中継するのは、当時は大変なことでした。
 
 まずカメラを4台積んだ巨大な中継車と、照明やカメラ、音声などの電源用に大きな電源車も現地に持って行かなければいけません。スタッフも演出、カメラ、カメアシ、照明、音声、美術、などなど、20名以上のクルーになります。これを当日現地に持って行ったら、すぐにザ・ベストテンの中継がある、とバレてしまいます。
 
 というのも、毎週木曜日の夜9時からはザ・ベストテンで、その日に系列局の局名が書かれた大きな中継車が走っていたり、セッティングしていたら、すぐに「ベストテンの中継がある」と、周りの人たちにバレてしまうからです。
 放送開始から6年、視聴率30%を超える超人気番組とはそういうものなのです。
 
 しかも大人気アイドルのアルフィーのメンバーも、あのルックスですから、街なかにいればすぐにばれてしまいます。
この企画を考えたTBSの中継立ち合いディレクター、I さんからは、とにかく「サプライズプレゼント」ですからね、ハガキを出したファンには本番まで絶対にバレないように!と、きつく何度も念を押されました。
 
 この日は私の3年後輩で新人ディレクター君のベストテンデビューの日。これは難物の企画だぞ・・・、と彼と一緒に現地へ何度も足を運びました。彼の助けもあって、ファンの自宅のすぐご近所の家にお願いし、半地下式の大きな車庫を前日からお借りして、そこに中継車を入れさせてもらって黒幕で入り口を隠し、さらに、家の裏の植木で見えない庭の方に電源車を置かせていただくことにしました。
 アルフィーが演奏するためのトラックも借りて、その荷台にドラムやアンプをセットし、荷台の周りのすべての壁がバタンと倒れるとアルフィーが中にいる、という仕掛けも用意しました。これで当日までファン本人には絶対バレない準備はほぼ万全だろうという事になりました。
 
 ただ、中継担当ディレクターとして一抹の不安がありました。サプライズ演出、という事は、ファン本人は全くこのことを知らないわけです。いくらアルフィーのファンで、ザ・ベストテンのファンとはいえ、12月13日の放送日の夜、
確実にその家に本人がいる保証はありません。
 一緒に準備した新人ディレクター君とも相談して、一応それとなくファンの家に電話して、絶対テレビだけは見てね、とか、さりげなく匂わせておいた方がよいのでは・・・ということになり、TBSの中継担当ディレクター、I さんに相談しました。すると、ファンの人はデパートのエレベーターガールで、遅くともその時間には帰るだろう、とにかくサプライズが事前にバレるのは一番しらけるから、絶対秘密厳守で!と、改めて念を押されてしまいました。

 そしていよいよ当日です。アルフィーの曲のカメラ割りは新人ディレクター君にまかせ、私は後見人としてトラブルに対応することになりました。隠密作戦は無事進行中で、ご近所の誰にもバレず、アルフィーのメンバーも現地にひっそりと到着し、トラックの中で待機していました。

 すでに初冬の日はとっぷりと暮れ、リハーサルもできないまま、ひたすらひそやかに本番を待ちます。隠れているカメラマンやフロアディレクターからは「まだ家に誰も帰っていません。灯りもついていません。」とのこと。でも時間は刻々と9時に近づいていきます。そしてついにあのテーマファンファーレと共に番組がスタートしてしまいました。
 第10位の五木ひろし「長良川艶歌」から始まり、薬師丸ひろ子の「WOMAN」、菊池桃子「雪にかいたLOVELETTER」、井上陽水の「いっそセレナーデ」、と順調にいって次はいよいよ第6位のアルフィーです。しかし、まだ家に灯りはなく誰も帰ってきた気配がありません。
 
 そしてついにあのボードがパタパタとめくれ、久米宏さんが「第6位!ALFEE、「恋人達のペイヴメント」とコール。そして例のハガキの紹介。「そのファンのご自宅の前に追っかけマンが行っています。CBCの小堀さーん!」
 ついに中継現場に来てしまった・・・。暗い家を背景に立つ小堀アナウンサー。とにかく門のブザーを押してみますが何の応答もなし。ただ門の中からひたすら犬がワンワンと吠えるだけ・・・。この時点でサプライズは失敗ですが、まあこれも生中継ならではのハプニング、せめてファンの家の前でアルフィーの歌を景気良く歌ってもらえばテレビ的にはいいか、と、小堀アナウンサーがアルフィーをコール!
トラックの壁が景気よく全方向に開きアルフィー登場、スポットライト全開!そして、「早速歌ってもらいましょう、今週の第6位、ジ・アルフィー、恋人達のペイヴメント!」

 中継車の中から音声さんに向かって「音楽スタート!」
ここで、かっこよくカラオケのイントロが入り、それに合わせてドラムやギター、ベースを演奏するはずが、なんと回転数がくるってしまったような、リズムも遅くめちゃくちゃなヘロヘロのカラオケ。これにはアルフィーも驚いたけど、中継車の中もびっくり。アルフィーのメンバーがドッキリ企画だと思ったのか「こらー遠藤だなー!バカヤロー!」。
(当時、アルフィーのメンバーと仲がいい、ドッキリ企画が
 好きな、そういう名のディレクターがいたらしいです)

 もちろん私も事情が分からないからインカムで音声さんに「いったいどうしたんですか?もう一度やり直しますか?」と大声で聞きますが返事は全くなし。新人ディレクター君はオロオロし私に向かって「ど、どないしましょう?」と聞くので、「とにかくカメラ割り通りにスイッチングしてて!」と言いつつ、TBSのGスタジオからは、タイムキーパーらしき女性の金切り声で「CBCさん、どうなっているんですか?」という臨電(この中継のために臨時にひいた直通電話)が入るので、私も「わかりませーん!」と答えて電話を切り、ひたすら音声さんに「いったいどうなってるんですか?一旦止めて立て直しますか?」と聞くが、返事はまったく、ない。

 後で聞いたが、この時、音声さんと音効さん(効果音を付けたりする人)は、インカムを放り出して、カラオケの6mmテープを、なんと手で!回していたのだとか。そりゃ音がヘロヘロになるはずです。

 実はリハーサルができなかったため、本番で初めてすべての照明などを一斉に付けた事で、電源車の電圧が一気に下がり、カラオケの6mmテープを再生する持ち運び用オープンリールデッキの電圧も、動くか動かないかのギリギリのレベルになって、ビックリして手で回したとか。
 
 こうして、ファンの家には誰もいず、ただ犬が吠えるだけの中、ヘロヘロの音のまま、アルフィーの皆さんは5分以上かけて一曲歌い終えることになった、世にいう「アルフィー犬山事件」が起こってしまったのです。

 番組最後のスタッフロールにCBC犬山中継ディレクターとして私の名前が堂々と流れているのを、私も新人ディレクター君も、中継車の中で呆然と見ていました。帰りのスタッフ専用バスに乗っていた中継スタッフはみな無言でした。私はといえば、何でこんなことになったんだろう、という不思議な気持ちと、アルフィーの皆さんに申し訳ない気持ちで一杯でした。そして、何より、バスの一番前に一人だけ座ってずっと下を向いたままだったTBSの  I  ディレクターの姿が印象的でした・・・。

 明らかな放送事故であり、TBSの I  ディレクターは、しばらく番組の担当を外されたという噂を聞きました。私も何らかの処分が下るだろうと思っていましたが、意外にも何のお咎めもなく、技術担当の方が始末書を書いただけだったとか。 I  ディレクター、CBCの技術さん、アルフィーやファンの皆さんには申し訳ない限りですが、実は、こういうハプニングが起きるから、テレビは面白いのです。

 予定調和じゃ面白くもなんともないのがテレビの生放送。その後もアルフィーはいじられキャラとして番組でもファンからも愛され、あの中継映像は、毎年年末に「NG特集」の極めつけネタとして何年も流れたわけですから、TBSとしても十分元が取れたはず。噂では、あの企画を考え、当日現場に来て、事故でへこんでいたTBSの  I  さんは、その後大出世し、TBSの役員まで昇りつめたとか。また、中継車の中で「ど、どないしましょう?」とうろたえていたCBCの見習い新人ディレクター君も大出世し、今やCBCの常務取締役だとか。あの事件は決して厄災ではなく、関係者に吉をもたらす福の神の起こした事件だったのかもしれませんね。

 あ、私ですか? 私はその後、様々な番組を立ち上げたりうまくいったり失敗したりという現場一筋でしたが、あの事件の6年後CBCを退職し、しがない零細映像制作会社の代表として、今も老骨に鞭打って働いています。
 で、80年代のテレビ業界華やかなりし頃から、現在の「いけてないテレビ業界」や、最近の自主製作映画、最近の3度死にかけた撮影現場まで、業界裏話を、今後も綴っていきたいと思います。

 なお、「アルフィー犬山事件」のディティールに関しては、もう38年前のことですから私の記憶に多少の間違いがあるかもしれないことをお許しください。そして、アルフィーのメンバーの皆さまとファンの皆さまに、改めてお詫び申し上げます。あ、あのあと、別の回の中継で、コンサート会場のアルフィーの皆さんを、ハンディカメラを駆使してかっこよく中継し、私のリベンジは無事果たしました。

 追伸:80年代のテレビ業界を舞台にした90年作の私の小説「ハッピー・ニュー・イヤー」をnoteの小説ジャンルの方にUPします。こちらはフィクションですが、興味のある方はぜひ読んでやってください。

                birdfilm代表 増田達彦