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クリエイターがモノを評価する基準は、「好き」か「きらい」か、それだけでいい。

 birdfilmの映像作家、増田達彦です。普段の仕事の多くは、テレビ番組のディレクターですが、オリジナルの音楽や映像、小説も作っています。モノづくり45年の私でも、その時に、これで本当にいいのか、視る人(読む人、聴く人)は喜んでくれるだろうか?などと迷ったり悩んだりします。

 音楽はリズムやフレーズ、映像は色合いや編集エフェクト(映像効果)など、その時々の流行があって、どうしてもその流行に心を左右されてしまいます。
 テレビ番組などは、番組制作を我々に発注するプロデューサーの見識によりますが、多くのプロデューサーが安直に流行に左右されます。結果として、新聞のテレビ番組欄を見ると、似たような番組が多いこと多いこと。ここには「トレンディー」はあっても「オリジナリティー」はありません。

 まあ、民放のテレビ番組は視聴率をとらなくてはならないため、どうしても他局も含めて過去の成功例(つまりトレンディー)の模倣に乗っかるのが一番安直な安全策なので、編成部がそういう番組を要求するのは、仕方がないかもしれません。でもそれは、リスクを恐れて、自らが最初の成功例になることを放棄する「堕落」も意味します。
 よくお役所が「前例にない事は許可しない」というのと同じ発想です。新しい事、前例のない事をしてもし失敗したらその責任をとるのが怖いのです。
 まあ、法と条例に基づいた公的な仕事をするお役所は仕方がないとして、少なくとも多少はクリエイティブな仕事であるテレビ局がお役所のような腰の引けた姿勢では、「オワコン(終わったコンテンツ)」と言われるのも、致し方ないかもしれません。

 問題は、そうしたしがらみのない、自由なモノづくりをできる立場の人々(クリエイター)までもが、まるでテレビ局のようにトレンディーに囚われて、オリジナリティーを忘れている事です。
 自分はそうじゃない、と思っても、つい「どこかで見たような素敵な写真や映像」「今、最先端の流行の音や映像」に知らず知らず囚われていませんか?
 逆に、見たことがない写真や映像、聴いたことがない音楽などを、自分の中でどう評価したらいいかわからなくなっていませんか?やみくもに、これは古い、とか、ダサい、とか、わけが分からないとか、安直に切り捨てていませんか?

 私たちが音楽を作る時、映像を作る時、小説を書く時、つい陥りがちなのが、この「トレンディー症候群」です。
 他の人の作品を見て、お、カッコイイ、素敵、と思うことはよくありますね。そうすると、ついそうしたものと同じような雰囲気やベクトルの作品を作ってしまいがちなのです。
SNSなどを見ると、似たような写真や、「バズった」写真・動画の類似品のオンパレードです。
 
 だってそれが「好き」なんだからいいじゃない!と言われれば、それはその通りなのですが、本当に本心から「好き」
なのでしょうか?ひょっとしたら「流行」に惑わされて一時的に「いいな」と感じているだけではないでしょうか。
 一度自分だけの心の奥で本当に「好き」なのか、じっくり考えてみることから始めませんか。

 例えば岐阜県のとある池がモネの絵に似ているから誰かがそれを写真に撮り、それを見た多くの人が「いいな」と思って一気に大勢が集まり(それを悪いとは思いませんが)、同じような構図で同じような写真を撮って満足しているというのは、少なくとも「クリエイティブ」ではありませんよね。

 今のモノづくりの現場では、あまりにその現象が多いので、本当にクリエイティブな人は、自分の感受性に悩んでしまいます。この写真のどこがいいのだろう・・・。私は何も感じない・・・。それはおかしいのだろうか?・・・。自分がいいと思えるものは、間違っているんだろうか・・・?
 そう思う人はクリエイターとして極めてまともなのです。
(これはモネの池に限ったことではなく、すべての「バズり」現象や流行についてです)。
 
 もちろん、趣味で、みんなと同じようなきれいな写真を撮りたい、今流行っている曲を自分でも弾けるようになりたい、歌いたい、というのは楽しくて素敵なことです。そういう人が多くいてくれるから、音楽業界も映像業界も成り立っているんですから。
 また、プロとして技術を磨きたい、という人が、とりあえず今流行しているモノの作り方を学ぶためにトライするのは必要なことです。技術的な引き出しは多ければ多い方がイイに越したことはありません。
 ただそういう時にでも、自分の心の本当に深い所で心が動くものは何か、みんなが嫌いでも自分は「好き」と言えるモノは何か、ということは常に忘れないでいたいと思います。

 世の中で何が流行っていようと、自分の「好き」は何で、自分の「きらい」は何か、をきちんと持っている事が、モノづくりにおいて一番大切なことのように思います。
 多くの人がいいと評価するからいいんだろうと思いこむことは、行列のできるお店で食べるラーメンは美味しいに決まっていると思い込む過ちに似ています。一万人が美味しいと思っても、実際食べてみたら自分の舌に合わず、美味しくないと思うかもしれません。絶対的な美味しいモノなど無いように、絶対的ないいモノというのはないのです。要は「好き」か「きらい」かなのです。

 みんなはイイと言っているけど私はそうは思はないなー、という時は、まず自分の本当に心の深い所での「好き」「きらい」を信じてください。そして、人が何と言おうと、自分が「好き」と思うものを観たり、聴いたり、作ったりすることを貫いてください。
 他人の評価は真摯に受け止めつつも、その評価する人の目が曇っているかもしれないし、評価する人たちがトレンディー症候群の人かもしれません(これ、多いです)。
 否定的な評価を受けると確かに落ち込みますが、本当に自分の「好き」を信じて作ったのなら、必ずそれが分かる人、通じる人もいるはずです。待っている人がいるはずです。
 そして何より、自分の「好き」に忠実に作ることは、自分にとっても一番楽しいことですから。

 ただし、もしお仕事で「今流行っているこんな感じのモノ」を作って、と発注された時には、引き出しの中に貯めておいた技術で作って差し上げましょう。それで喜んでいただけるなら、それも素敵なお仕事です。
 でも魂まで売る必要は、ありません。

               2022年12月 増田達彦