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母が残してくれたことわざ その1

 真冬の頃、朝起きて顔を洗おうと水道の蛇口をひねって、あまりの水の冷たさに「うー冷たい!」とか、学校に行こうと玄関を出て、外の寒気につい「おー寒ぶ!」、とか口にすると、母によくこう言い返されたものです。

寒い冷たい愚かな事よ、ドジョウやウナギは水の中!

 「寒いとか冷たいとか言いなさんな、真冬でも水の中にいるドジョウやウナギに比べたら大したことじゃないよ」という、ま、慣用句というか、都々逸のようなもんでしょうか。
 こんな調子のいい言葉で軽くあしらわれると、水の中で縮こまっているウナギやドジョウの顔を思わず想像して、なるほどそれよりはいいか、と苦笑い。妙に納得してました。
 
 戦前生まれの母はそれほど学問があるわけでないのですが、なぜかこうしたウィットに富んだ慣用句をよく知っていて、よく使っていました。
 昔の人は、ちょっとした艱難辛苦でも、こうした言葉で笑い飛ばしながら乗り越えて来たのでしょう。
 現代よりずっと不便な暮らしだったと思いますが、でも、なんだか生活に潤いというか、ユーモアがあってホッとしませんか?
 何でもかんでも細かいことにすぐ不平不満を言ったり、それをSNSに投稿したりする世知辛い今よりも、なんか精神生活はずっと豊かな気がします。

 

ナスビの花

   母親や父の言うことに不平不満や文句を言ったり、言う事を聞かなかったりすると、

親の意見とナスビの花は、千に一つの無駄もなし!

 とやり返されて、それどういう意味やねん?と聞き返すと
「野菜は咲いた花すべてに実が生るわけじゃなくて、実が生らない無駄になる花もあるけど、ナスビの花は全部必ず実が生るんだよ、親の意見も無駄なことは一つもないんだから、親のいう事をよく聞きなさい。」
 小学生だった僕は「ふーん。」と納得してしまうのです。結局、話をはぐらかされていることに後で気づくのですが。
 よく調べると、ナスビの花も生息条件によっては実が生らないこともあるようで、親の意見にも無駄なことが時々あったのかもしれません。でも歳を取って振り返ると、やっぱり親の意見には無駄がなかったなあ・・・、としみじみ納得してしまうのです。

 法事やお葬式、結婚式など、厳かな集まりの時に、つい、「プ~ッ」とおならをして、めちゃくちゃ恥ずかしい思いをしても、母は平然と、

出物腫れ物、ところ嫌わず!

 といって「仕方がないね。」と言われました。
 確かに腫れ物(おでき)やおならなどは生理現象だから、時と場所を選んではくれません。
 初デートでいきなりおならをしたら恥ずかしいですよね。そういう時に「出物腫れ物ところ嫌わず、なんちゃって。」と言って、相手の女性に笑って許してもらえるのは、寅さんのような人徳?のある人なんでしょうねえ。
 
 母が健在だった昭和の頃の暮らしには、こんな潤滑油のような、暖かい慣用句がよく使われていました。
 令和の今、こうしたユーモアとウィットに富んだ言葉を日常的に使えたら、もう少し世の中がギスギスしなくなるような気がします。
 もうすぐ母が亡くなって17回忌。そんな暮らしの潤滑油だった母の言葉の数々を思い出して、時々綴ってゆきたいと思います。

  2023年1月 birdfilm映像作家 増田達彦