#01 そもそも“自己開示”は必要なのか?
私は数年前まで、これらの悩みを抱えて、人生を過ごしてきました。この悩みが生まれるのは、心にこのような“感情”が潜んでいたからです。
いつの頃からか身内・幼なじみ・少数の信頼できる人など、身近な人以外に「自己開示」をしない人生になります。
その身近な人達にさえ本心で接することは少なく、自分の感情より相手の感情を優先していました。
嫌われるのが怖いという感情から、いわゆる八方美人になり、笑顔で同調していたので、偽りの自分を好きな人と繋がることが多かったのです。
私は、ネガティブな経験(肥満コンプレックス/転職多数/欝/適応障害/休職/離婚)が多く、全てコミュニケーション・人間関係が主要因です。
そんな私が、とある場で趣味という自分の「小さな情報」を「自己開示」したことでコミュニケーション・人間関係が、少しずつ好転していきました。
それまでの私は、趣味と言う「小さな情報」ですら本当の自分を知られたくない思いから、話すことができませんでした。
話すことで否定されることを、恐れていたのかも知れません。
みなさんは、なぜ“「小さな情報」を「自己開示」しただけで、長年抱えていた人間関係の悩みが、少しずつですが好転したと思われますか?
みなさんも、欲しい物を購入する時や、旅行に行く時なに、商品カタログやネットなどで、その商品について「情報」を集めますよね。
もし何も「情報」を得ることができなければ、購入を見送るか「確かな情報」を得られる類似品を選択するのではないでしょうか。
なんの「情報」もない得体の知れない商品には、信頼も生まれませんよね。
私は、誰にも「情報」を与えないことで、相手からは得体の知れない人物となりコミュニケーション・人間関係に悩む日々が増えていたようです。
そこで私は「自己開示」ができる人を探すことで、苦痛もなく楽に自らコミュニケーション・人間関係が、築けるのではと考えるようになります。
そんな相手は、私にさまざまな情報(自己開示)をしてくれますが、私は「小さな情報」すら与えられずよく分からない人になってしまいました。
この経験から自分から小さな情報(自己開示)することが、本当に繋がりたい人と、出会う近道だと考え恐る恐る実行していくことで人間関係が好転しはじめます。
小さな情報(自己開示)は、商品に例えるなら広告なのかもしれません。
本当の自分を認知してもらえなければ、私に興味すら抱いてもらえないと気付いたのです。
最初の小さな情報という広告(自己開示)で、私に興味を抱いていただいた方は更に大きな情報を得ようと自己開示をしてくれるようになりました。
逆に、私の小さな情報(自己開示)に、興味を持っていただけなかった方は、会話も弾まず大きな情報(自己開示)へ進むことはありませんでした。
広告を見て商品を買う買わないを選択するのは、お客様次第ですし、その“選択”を覆すことは容易ではないはずです。それと同じことではと考えるようになります
恐る恐る自己開示したのにと、悩むことも有りましたが、課題という考え方を知り波長が合わない人な のだから無理に、繋がる必要もないと考られるようになりました。
小さな情報(自己開示)を受け入れてもらえるかは自分の課題ではなく相手の課題と考えることで自己開示し嫌われたらという思いは薄らいでいきました。
私の小さな情報(自己開示)受け入れてくれた方とは、自己開示のレベルが、時間とともに上がっていき信頼関係が形成されていき、楽しい時間が増えていきました。
とは言え、そもそも自分から小さな情報(自己開示)を、与える人とは何処で出会えばよいのでしょうか。
参考図書
・原孝著『人間関係が一瞬で変わる「「自己表現」100」』
・有川真由美著『「振り回されない」女は人生とことん楽しめる』
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