見出し画像

眠気の中で(28日目~34日目)

28日目
 出国ゲートを出ると私の名前の書いたプレートを持った女性が立っている。慣れない感覚に戸惑いつつ、時差と疲労でふらふらになりながら車に乗せてもらい、窓越しに高層ビル群の遠景を眺めながらニューヨークの郊外を駆け抜ける。これは一日の最後まで続いた印象だが、街や人の雰囲気にあまり違和感がない。私自身が忙しなく動きたがる気質だからなのかもしれない。
 ゲストハウスに到着するとメールでやり取りをしていた管理人が地下室から出てきた。色々説明してくれたが眠さで内容が全く頭に入ってこない。すぐに部屋で仮眠をとり、起きると18時になっていた。私の宿泊先には居を構えている方々も10名ほどいて、そのうちの1人に地下のキッチンで遭遇する。なんてフレンドリーな人なのか。近くのスーパーを教えていただき、フルーツと卵とスリッパだけ買って帰る。キッチンでオムレツを作っていると新たに2人の住人が出てきてくれて挨拶を交わす。なんてフレンドリーな人たちなのか。大昔の留学時代にした後悔の一つが住居の共用部に無駄に留まらなかったことなので、今回は積極的に留まろうと思う。

29日目
 時差ボケとの闘い。今日出勤予定だったらさぞかし辛かっただろう。とにかく眠いのでそれを堪えるためにあらゆることを試みるも、生理現象には抗えない。部屋を人が暮らせる状態にセットアップした後、忙しそうな上司と少し電話で話し、適当に買い物を済ませ、帰って住人たちのパンケーキディナーに合流する。何をするでも勿体ないので、とにかく時差ボケを直すことに集中したい。

30日目
 心身二元論なんて言い出した輩は時差ボケを経験していないに違いない。熟睡して朝になったと思って目覚めると深夜であることが2回あり、それから眠れぬ夜を過ごす。
 そんな具合で出勤したのでまあ眠い。出勤初日の職場で寝るわけにはいかないのだが、会議中に少しうとうとしてしまう。
 そんな具合だったので少し落ち込んだのだが、少し遅く帰るとゲストハウスのウィークリーディナーとかで、皆が食堂に集まっている。欧米のパーティは定刻通りに行っても誰もいないという慣習に助けられたらしい。ワインの酔いも心地よく、"You fit here"と言ってもらえたときは嬉しかった。ゲストハウスには長期住まい用の部屋もあり、まもなく空きが出るらしい。不動産屋に頼んで既に予約していた内見もあるものの、少し心が揺れ始める。懸案事項だった虫害はどこにいってもあるものだし、ならば帰ってコミュニティのあるここに居を構えるのもよいのではないか。ジムとドアマン付きの高層ビルでの物質的に恵まれた生活なんぞ金さえあれば何歳になっても手に入るものである。

31日目
 起きたのは5時だったが、眠り落ちたのがおそらく10時頃だったから、おそらく体内時計は正常に機能し始めている。朝食はハムチーズのバーガーとオムレツ、りんご、残り物のクッキー。作っている途中に眠そうなオハイオさんが降りてくる。彼女と話していると、部屋の奥から多忙なミニスターが現れる。彼と会うのは初めてだったが、土曜の夜にご飯に誘ってもらえた。私がかつて憧れていた寮での生活というのはこういうものなのかもしれない。
 久しぶりに迎えた眠られる夜の次の朝とはいえ、オフィスに入るとまあまあ眠い。まだまだ時差ボケを引きずっているとは思うが、暖房が効きすぎている影響もあると思う。
 帰宅して夕食を済ませると、再びオハイオさんが食堂にくる。色々話していると調理長が帰宅し、今度本場ものの味噌を使って何か振る舞うことになった。食にこだわりのない私にとって、こういうことでもないとニューヨークで日本食スーパーに行こうなどという気にはならない。続いて私の推しである画家さんが帰宅する。マフラーの巻き方がかっこいい。土曜の昼に彼女がボランティアをしているカソリック主催のイベントについていくことになった。そして眠る。

32日目
 少し残業をすると夜になり、窓の外を見やるとマンハッタンの夜景が何とも美しい。
 急いで帰宅して友人との電話を試みるもWifiの不調で断念する。ナイスガイとオハイオさんがキッチンにいたので、混ざって私も自分の食事を調理する。ハムチーズのサンドイッチにも飽きの兆候が見られるので、料理にこだわるときが来たのかもしれない。シャワーを浴びて調理長とポッドキャストの話をし、洗濯機の使い方を伝授してもらう。

33日目
 起きて買い物に行き、帰るとオハイオさんがキッチンにいた。この人はいつもキッチンにいる。tuscan farroというスープを味見させてもらう、美味い。
 その後画家さんとNY Encounterというイベントに参加し、イスラエルとガザに関するトークショーを聴く。米国には介入の責任があると私は思うが、「イラクやアフガニスタンでの失敗に目を向けるなら、米国が何もしない方が中東の安定にとってもよいのだ」という登壇者の一人の意見(そしてしばしば新聞などでよく目にするレトリック)は多くのアメリカ人の心を掴むものであるのだろう。画家さんのもとには事務的なエラーで過去2回の大統領選の際に投票用紙が届かなかったらしい。
 夜はミニスターの友人とピザを食べに行く予定があるがそれまで数時間あったのでハドソン川沿いを少し歩く。とにかく寒い。ニューヨークは素晴らしい街だが、一人で歩くにはあまりに寂しい街だ。少し気を抜くと、自分の人生がなぜこんな有り様になっているのか問い始めてしまうが、ゲストハウスでの生活は確実に私の魂を癒してくれている。本当に感謝している。
 夜、ミニスターの友人宅に遊びにいく。日本で男性のクリスチャンというと、言動や雰囲気などに一定の傾向性がなくはないが、こちらでは分母の多さからかクリスチャンの多様性が担保されているように思う。15人くらい人がいて最初は怖気付いたが、意外や意外、5時間近くも長居できるほどに場が持った。これは大昔に学生として留学した頃とは大分様子が違う。大人同士の会話になったからなのか、私が変化したからなのか、いずれにせよ、ユートピアのようなゲストハウスの外でもこの街でやっていけるかもしれないと少し思った。
 それにしても、街中でアリストテレスでPhDを取った人に会えるとは奇遇なものである。哲学を専門性にして企業の中で働く道はないか大昔に模索したときに、私は無理だと思ったが、彼は起業してそれをやっている。舌を巻くしかない。

34日目
 朝からミニスターの通う教会に向かう。ここでもまたフレンドリーな人たちに囲まれることになるが、人が多すぎていかんせん名前が覚えられない。昔さる少年漫画で、死神と契約すると目の前にいる人間の名前が頭の上に浮かんで見える能力を獲得できるという設定があったが、あれが欲しいところである。昨晩のパーティで会ったキゥイくんが、私が大昔にドラムをやっていたことを教会のピアノ奏者に話したらしく、彼からドラムをやってみないかと誘われる。私はドのつく素人だがあまりそのニュアンスが伝わっている様子はなく、しかし無碍に断るのも憚られるし、何より人的な繋がりを欲している現状にあっては、態度を曖昧にして流れに任せることにする。
 節約と健康増進を兼ねて3マイルほど歩いて一旦帰宅し、仮眠する。本当はその後参加したい催し物があったのだが、仮眠のつもりが夜まで寝てしまう。起きてキッチンに行くと画家さん一家が遊びにきている。サンドイッチは飽きたのでパスタを作る。誰か来ないかとソファに座って待っていると調理長が帰ってきたので話し、しばらくすると通りがかりのオハイオさんも合流し、なんだかんだ日付が変わりそうな時間になる。彼らの存在には感謝しかない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?