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雪が降る日には。

東京に雪が降った。といっても翌日には雨に変わった。しばらくすると雪は雨に流されて溶けて消えてしまうだろう。

雪が降る地方のみなさんにとっては「だから何だ」という状況かもしれない。しかし、東京で雪が降る日は年に数回しかない。

昨日、大雪が降り始めた昼間に、近所の木に集合した鳥たちがパニックになって大騒ぎしていた。枝がわさわさと揺れている。ひとつの木だけではなく、遠くの木からも騒々しさが聞こえる。

なるほど鳥って雪が降ると困るのか、と思った。東京の鳥は軟弱だから、雪に弱いのかもしれない。ところがネットで調べてみると、雪のために飛べないから、みんな木に集まっておしゃべりしているのでは?というポエムな見解をみつけた。そういう考え方もあったか。それにしては騒がしすぎ。

鳥語は分からないが《なんだなんだ/これはこれは/白い白い/寒い寒い/ふるふるふる/どうするどうするどうする?》と聞こえた。いま鳥たちはどこへ行ったのだろう。暖かい場所でくつろいでいると嬉しい。静かなので、大騒ぎして疲れてしまったのかもしれない。

夜中には、どどどどどどどーーーんという、空全体を駆け抜ける音が轟いた。鳥たちではないが、なんの音だこれは?とびっくりして腰が浮いた。雷だった。

雷雪(らいせつ)というらしい。世界でも珍しい現象のようであり、覚えている限り昨夜は3回ほど轟いた。冬の日本海側では「雪起こし」と呼ばれているようだ。その名前なら聞いたことがある。このことだったか。異常気象と関係あるのかないのか分からないが、東京にいて日本海側の冬の名物を体験できるようになった。

23区内に住んでいるが、私鉄には雪に強い沿線と弱い沿線がある。したがって、ふだんは通勤が便利な場所が、雪や地震によってとんでもない僻地に変わってしまうことがある。東京は便利なゆえに、日常と異なった事態に陥ると不便が著しい。

かつて都内の中心部にある会社に勤務していたとき、夜中に電車の交通が止まって困ったことがあった。雪に強い私鉄を使って自宅の近い駅まで辿り着き、そこから南下して帰宅しようと計画を立てた。

地図はない。無謀といえば無謀の行動だ。なんとかなるさ、と歩き出したのだが、中間地点あたりの交差点で足を滑らせてしまい、仰向けにすっころがった途端に方角を見失った。

あのときばかりは焦った。しんと静まり返って街灯の光だけが明るい純白の世界で、よっこらしょと立ち上がり、ぱんぱんと雪を払う。誰も見ているひとはいないのに、失礼しました、転んじゃいました、などと言ってみたりする。目印は何もない。一面の雪景色。こっちじゃないか?という目当ての方角に突き進む。野性の勧だけが頼りだ。

必死の覚悟で2時間ほど歩いてようやく帰宅した。眉を吊り上げた形相で雪だるまのようになって玄関から家に転がり込むと、家族はすぅすぅ寝息を立てて安らかな眠りについていた。さっきまで死と隣り合わせの時間にいた自分は何だったんだ。遭難するかと思ったんだけど。マジで。

思えば、大学入試の頃にも大雪が降った。雪の中をコンビニに買い出しに、わっしわっしと歩いた。その一歩は新しい世界に踏み出す一歩のような気がして、真っ白なキャンバスに似た雪道に踏み出す足跡が鮮やかだった。

いま、雪の降った日は外に出かけずに、家の中であったかいコーヒーでも飲んでいたい。街を白く染めて日常を刷新する雪ではあるが、東京の雪はすぐに消える束の間の魔法に過ぎない。

雪は降る。あなたは来ないかもしれないが、春が来る。

2024.02.06 BW


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