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人間算

飢えの喉を、混乱の喉を、鉄道を紐にして、締めあげろ!

かいです。今日のお題は「新宿」。

私は初台に住んでいる。新宿で飲み、酒を中心に世界を回している。
私は新卒時代から一昨年まで、東京郊外でブルーカラーの仕事をしていた。今、少し昇進して本社のある新宿で働いている。新宿での席を得るために、一昨年、昨年は社内を奔走した。一度は大宮で研究員をやった。大宮は遠かったし、暑いし寒いし野犬いるし、研究所にいる上席研究員は怖かった。でも、新宿への異動権を得るためにとにかくしがみついて、昨年から新宿で、法務の真似事にような仕事をあてがわれて、あくせくと働いている。

なぜ新宿に拘るか。これは後に述べることにする。

2023年9月16日。新宿での撮影日。
家の最寄りである初台駅で、ようたさんと待ち合わせる。化粧は私が施すこととなっている。撮影のコンセプトは、神様。
中野の町中華で行われた下打合せでは広長舌を振るった。私は白塗りをしてたんだ、アートメイクは任せてください、と。
ようたさんがまず白ポスカでサラサラと顔面半分に絵を施していく。アシンメトリーな下地が出来上がる。私のターンが来る。いざ化粧を始めると緊張で手が震えた。工程も忘れた。落ち着けと頭の中で唱えても、振る舞いは洗練されなかった。しきりに「緊張する」と連発する私に「頑張って!」と励ましてくれるようたさん。神様ってこういう顔をしているんだろう。

赤いカラコン、マットな赤のアイシャドウ、銀のラメ、緑色に偏光するまばゆいアイシャドウ、黒いアイライナー、赤く着色したつけまつげにより構成され、2時間かけてなんとか仕上がったようたさんの顔は、ナンセンスで美しかった。

神様完成

この日使ったつけまつげは正確にはつけまつげではない。つけまつげの毛を全部切って、水切りネットを赤と黒に染めたものを細く切ってつけまつげの根元にくっつけたものだ。くっつける際に瞬間接着剤を使ったので、皮膚との接点が硬化している。このエセまつげを装着する際、ようたさんに「痛いですか?」と恐る恐る確認したら、「大丈夫です。うち撮影の時は痛み感じないんで」と衝撃の発言をしていた。心強い。

エセまつげ

甲州街道

20時ごろ、撮影に繰り出す。家は甲州街道に面しており、上を首都高が通っている。私は土木構造物が好きだから、デカい道路が通る初台のことも好き。
初台に新宿ほどのアイデンティティはないから、新宿駅から徒歩25分ほどのここも、新宿と言っていいだろう。

甲府で育った私にとって、甲州街道(甲府では20号と呼んでいた)は東京に繋がる一縷の希望であり、ここはすなわち王様通り、もしくはロイヤル・ストリート。私は甲府、国立府中、初台と一途にこの道を遡上した強靭なサケである。

甲州街道を跨ぐ歩道橋を登ると、西新宿ジャンクションの明かりがまばゆい。緑に偏光するアイシャドウが塗りたくられた眉骨がキラキラと光っている。夜景と土木構造物に負けず劣らず映えるこのアイシャドウを、絶対に紹介しておかねばならない。

謎緑光スターアイカラー!

いざ撮影開始、ようたさんは「うち動くモデルだから」と言っていたのだが、本当によく動くモデルであった。
誤算があった。私は動くカメラマンだったのである。
だから、最初数枚はシャッタースピードを間違えてうまく撮れなかった。あわてて設定を変え、多動を抑えてシャッターを切り続ける。200枚。そのうち、息が合ってきた。

「 アー」と言う

新宿三丁目

新宿に着いて最初に向かったのは、新宿三丁目地下にあるバー「Le TEMPS」と地上をつなぐ階段である。
Le TEMPSには、かつて寺山修司の舞台、宣伝美術を手がけたことで知られるイラストレータの宇野亜喜良氏が直筆した壁画がある。
宇野亜喜良の絵があるらしいという情報を聞きつけて3年前にお邪魔したのが最初だ。イメージカクテルを作ってくれるユニークなバーテンさんがいたり、コーヒーカップなどの宇野亜喜良グッズを取り扱っていたりと、コンテンツ力の高いバーである。めちゃくちゃ褒めてしまった。利害関係者みたいだ。新宿駅近なのに比較的空いている珍しい店なので、あまり知られたくはない。

Le TEMPSの脇の階段は、汚くて狭くて、新宿の神様が佇むのに好適だ。撮影を始めると、ようたさんは階段の継手部分で縦回転した。先に述べたように、ようたさんは動くモデルだ。狭いところでは縦に回るのか。
しゃがんだり、逆さになったりすると、脚の刺青がとても綺麗に映えた。

埃の上に、新たな実在

Le TEMPSで一杯飲んで、店を出る。このまま歌舞伎町へ向かう。ようたさんの顔に、道ゆく人の視線が自然に集まる。
次なる撮影場所は、歌舞伎町レッドのれん街。大好きな上海小吃を横目に小道に入っていく。

ようたさんは、酒が飲めない

新宿歌舞伎町

土曜の夜の歌舞伎町は人が多い。現在23時。歩きまわって撮りまくる。100軒近くのラブホテルが林立するジメジメした通りへ。新宿の古き良きバブリーなラブホテルは絶命危惧種である。ラブホテルを見ると、保育園の遊具を思い出す。セックスしているときはどとんど幼児語。難しいこと言わないでしょ。だから、内装のデザインは同じ設計思想。
てきとうなラブホテルの駐車場に潜入して撮影する。車が動く気配はない。それもそのはず、ここは歌舞伎町一丁目一番地、土曜の夜だ。

「ウー」と言う

大久保公園のあたりまで移動する。立ちんぼの営業の邪魔にならないように気を遣う。立ちんぼ、本当に立ちんぼなのか、立ちんぼはどこで、いくらでセックスしてくれるのか、交渉シーンは見たことがない。撮影中そのへんのおじさんが話しかけてきたり、観察されたりしたが、そのおじさんが立ちんぼに声をかける様子はない。
自販機の横の缶のゴミ箱はパンパンになって、溢れかえっていた。ようたさんが缶の山に身に入っていく。神様が少しずつ汚れていく。

一犯一語

大久保

1時を回る。
大久保と歌舞伎町は地続きであり、どこからが新宿で、どこからが大久保かわからない。その境目は、日々変化しているのかもしれない。
大久保を後回しにしたのは正解だった。ひとけの少ない駐車場やドンキの前で撮影して、韓国料理屋の奥のドンツキで休憩した。2人で、椎名林檎の「月に負け犬」を歌っていたら、先ほど大久保公園でゴミになった缶を提供してくれたカップルとまた会った。

来た道を戻り、最後は歌舞伎町にある新宿ゴールデン街の近くにやってきた。
新宿ゴールデン街では、許可のない撮影が禁止されている。川縁で撮影して、午前2時。カメラのバッテリ切れとともに撮影を終了する。

高等遊民

後日、写真を見て思う。ようたさんの手管の美学。手を軽く反らせることや軽く曲げることのニュアンスのうちに見られる、粋な手つき。

ようたさんの手に顕れた無関心性と無目的性。
3月に写真集を出すので、買ってください。

新宿ゴールデン街

なぜ私が新宿に固執するのか。
それを新宿ゴールデン街を抜いては語れない。
新宿ゴールデン街は、バラック長屋にスナックなど300軒近い酒場が軒を連ね、作家や映画・演劇関係者が通うことで知られている。どうしようもない人も、結構いる。

新宿ゴールデン街。このコミュニティには、日毎に文化資本が蓄えられていくのだ。文化資本は、家庭や育った環境によって相続される(例えば、家に蔵書が多かった人は、大人になっても本を読む習慣があり蔵書が多い)らしいが、このゴールデン街には私の家庭や育った環境を遥かに凌駕する文化資本がある。

家の蔵書はさほど多くなかった。私は後天的の本が好きになったタイプの人間である。本をたくさん読んだ新卒時代の知識の貯蓄で生きており、これは私の人生に珍しい成功体験であるから、本を読むことはいいことだ、という刷り込みで、今も散逸的に本を仕入れては読んでいる。しかし、自分で選んだ本でも本を読むのはしんどい時がある。以前ようたさんの家に遊びに行った時、枕元に文庫がおいてあり、「読むのしんどいけど、編集者さんからの課題図書だから読まなければならない」と言っていた。本を読むのはしんどい。でも、読まなければならない。

新宿ゴールデン街。1人で飲んでいた時、たまたま隣り合った編集者の彼は、大きな出版社に勤め、ロシア文学の研究論文の翻訳をしていた。たまたま同じ時間にこの店に来た一人客が、ロシア文学に詳しいなんてことも、ゴールデン街では日常である。

彼は、アネクドート(ロシアの滑稽な小話)と呼ばれる文章の、ロシア語の原文を英語に翻訳したものをもとに、日本語に翻訳するという高次元な作業を行っているらしい。「ここの翻訳を迷ってるんですよ」と英訳文を見せてくれる。

”Black Pussy Bitch"

「暗黒ヤリマン!?」
「暗黒ヤリマン。直訳はそうなんだけど、これは英語的な翻訳であって、ロシア語原文だともっと小学生の悪口のような可愛らしさがある。翻訳は原文の直訳ではなく、含意する感覚も言い表せてこそ、人がやる意味があるんですよ」
彼は、心底あたまを抱えているのである。
私はdeepLに英文食わせて和文を吐き出させ、それを社内文書にコピーする装置だが、相談相手が私で大丈夫であろうか。でも。
追加でジンを頼む。大喜利でdeepLに負けたくはない。

立ちんぼ、港区女子、尻軽、売女、泥棒猫、ふしだら、ありきたりな言い換えはすぐ出た。構わない、大喜利では数を出すのが大切だ。10分間熟考した。
頭をねじ切りながら、装置である私が吐き出したのが、「女性器の佃煮」だった。

編集者は一瞬面食らっていたが、大笑いして、「佃煮、黒い。テカテカ。天才じゃん、これでいい、すごい、かいさんって本当に英語ができないんですね。すごい、すごい。」と嬉しそうであった。ワインを追加で頼んでいた。

「家でカンヅメになってても、クリティカルな訳が見つからなかったんですよ。目を惹くでしょうこの語は。こだわりたくて。」
「採用されるの?佃煮」
「いやまだわからない。」

さすが編集者だ。
門外漢と手当たり次第喋ったってヒントは少ないだろう。ムーンショットを探して、みつけて、破壊して創造する、この繰り返しなのだと文春の編集長も言っていた、確か。魂は細部に宿る。本当に本が好きで、本が作りたくて出版社に入ったんだなと感心する。ジンを追加で頼んだ。

0時ごろ店を出た。
「僕八王子に住んでるんですよ。だからもう帰れない。」
「私は初台。もう一軒くらいなら付き合うよ!」

帰れない、と言う発言に驚きはしない。視界に入る酔っぱらいの多くが終電を失っているだろう。新宿ゴールデン街でたらふく飲んでも家に帰れる幸福をプレゼンする。いいなあ、とは言うものの、彼は新宿に住むことはないだろう。彼は本を中心に世界を回してるから。

一語の翻訳にこだわりを詰め、ゴールデン街で息を抜く翻訳者、超かっこいい。粋である。

編集者へ。佃煮は決裁フローの初っ端でへし折られるかもしれない。何なら私も持ち回り決裁にお供します。泥酔の姿で。

ところで、ようたさんの手に感じた粋と彼の翻訳に感じた粋は、性質を異にする感覚がある。粋ってなんなんだろう。

我々の理想主義的非現実的文化に対して熱烈なるエロスをもち続けるよりほかはない。
「いき」は武士道の理想主義と仏教の非現実性とに対して不離の内的関係に立っている。
運命によって「諦め」を得た「媚態」が「意気地」の自由に生きるのが「いき」である。

九鬼周造「『いき』の構造」より

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