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母の命日

今日は大好きな母の命日です

今まで母の命が絶えたときのことを
看取りの話でもできなかったのですが
文章でなら書けそうなので綴ってみようと思います😌

12年前の記憶
そして、悲しすぎる記憶なので
あやふやな面もありますがよかったら
見てやってください🤲


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8月2日には私の誕生日
この年の苫小牧も今年のように暑い日々が続いていました


母が亡くなってから
8月は私にとっていつもいつも不安と悲しみの月となった

母は夜中にトイレに起きて
倒れてそのままの体制で動けなくなり
8月7日夕方
父から私に電話が来た時には
『お母さんの意識がおかしいから救急車を呼んで欲しい』
何がどうしたのかの理解もできないまま
自宅から救急車を呼び子供達を置いていく色々な準備をして車で実家へ向かった


私が実家に着いたときには
母がちょうど救急車に乗り込む時で
『部屋は窓も開いていなくてすごい暑さでした。倒れてすぐの様子ではないと思います』
救急隊員さんからの説明にも私は訳がわからなくて
母に
『お母さん!大丈夫?』
そう言葉をかけると
母は小さく頷いた

隊員の方が
『どなたが救急車に乗りますか?』
私は迷わず叔母にその役を頼んだ

入院になると
着替えや買い出しもあるからすぐに車で移動しなくてはならない事が以前の入院でわかっていたから。

病院に着いて駐車場に車を停めて行くと
診察中だった

問診を受け叔母が色々と説明していた
診察室で何をやっているのか何時間も過ぎていき

『倒れた時の状況から脳梗塞かもしれないので
脳の検査をします』
そう告げられやっと母が診察室から出てきた

『お母さん?お母さん!』そう呼ぶと
母はうつろな目で私を見ながら
『どちらさま?』と一言つぶやき検査室へと連れて行かれた

母が私をわからない?
なんで?
そんなことを考えていると
叔母が バスがなくなるから私帰るわ と言い出し
その言葉にも腹が立ちながら
結局、私は1人で
母を待ち
検査の結果を聞いた

脳梗塞でもないし原因がわかりません
このまま、病室で経過をみます
完全看護ですので娘さんはお帰りください

そう告げられたのは
もう24時だった

その時病室に付き添ったのかどうか
覚えていない

真夜中、1人で泣きながら車の運転をして
帰宅し
携帯電話の着信音をオンにして
午前1時過ぎベッドへ入った

眠ったのかそれとも夢の中なのか
分からずにぼんやりして目が覚めたら
携帯が鳴った

ともみさん?
私、産婦人科にいた〇〇です!わかる?

二男と娘を妊娠中、切迫早産で入院していたときにお世話になっていた看護師さんだった

お母さんが急変しました!すぐ来れる?


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8月8日日曜日早朝

とにかく着替えて病院へ向かう

病室に入って見えてきたのは、
オシッコが全く溜まっていない
尿パックだった

看護師さんに会わせたい人に連絡してきた方がいいよ

そう言われて
自宅と叔母と母の弟に電話して
戻ると
テレビのワンシーンのように

心電図のアラーム音が鳴り響き
あっという間に
ピーーーっと波形が直線になっていた

延命はしなかった
というか
わからなかった

何がどうなっているのかわからなかった

子供達が到着して
私は泣いていたけど
多分、たんたんと色々なことを考えていた

葬儀屋さんへの電話
親戚への連絡
お坊さんへの連絡
病院への支払い
会場は空いてるのか

それらの手配を全てした

そして
その日は下の子2人の同好会の試合だった

どうする?
試合にいかせる?
休ませる?
誰が付き添う?どうやって連れていく?

答えは1つ
母も応援していたし楽しみにしていたその試合
人数もギリギリだし
休ませるわけにはいかない

病院から
ママ友に連絡して
全てを頼み
子供達に伝えた
『お母さんは行けないけど、頼んだから大丈夫だよ。
お通夜まで時間もあるから大丈夫。ちゃんと頑張っておいで。ばあちゃんも絶対に応援しているから!』

いがぐり頭の小さな二男が
泣きながらうんうんと頷く

8月8日
私の長い1日の始まりでした


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この日を境に私の人生は大きく変化した

エステを始めたのも母の死がきっかけだけど
このことは
ずーーーと私のトラウマとなり
8月は必ず毎年、悲しみと後悔だけにとらわれていたと思う

あの日の数日前から
暑さに弱い私も体調が悪く
横になっていた

後悔しかなかった

母の事を思いやれなかったこと
数日前に電話した時、珍しく調子が悪いからと電話口に来なかった母
あの時気づいていたら!
救急車に乗るとき私が乗っていたら
最後の会話もできたのに!
最後の言葉となった
どちらさま?って言ったとき
その異変に気づいてたのに何故帰ってきたんだろう!

私が母を殺したも同然だ
何年も何年も苦しんできた
救急車のサイレンを聞くたびに自分を責めたし
テレビのワンシーンを見るたび
泣き崩れていた

それが今年になり少しずつ変わってきた心境の変化

昨年からの新型コロナウイルス感染症で
思ったのです
私は母と父の最期に立ち会えた
それだけでも幸せだった

祖母、母、父の最期を看取ったから
今の私があるのだと。

好きな事をやろう
後悔がなるべく少ない人生にしよう
笑って生きたい

そんな想いで
今、生きてます

52歳
大好きなエステティシャンとなりサロンのオーナーでもあり
ワクワクがたまらないイベントプロデュースをさせてもらい
子供達は自分の夢を追いかけている
私も負けじと😁夢を追いかける


私は好きなエステとイベントの仕事をする
どちらもメインで働く
この2つで収入を得る

子供からお年寄りまで
みんなを笑顔にしたい

みんなを笑顔にできるなんて最高💓
私はそれで嬉しくなって笑顔になるし頑張れる

頑張ることで
私に利益が回ってくる   はず(笑)

今の私には
たくさんのお金より
たくさんのご縁がある
ご縁が私の財産で宝で喜びです

綺麗事では食べていけないのが現実
でも
もうすこし綺麗事で頑張っていこうと決意した
母の命日

お母さん、ありがとう
今年は
大好きなイベントを終えた余韻で
悲しみよりも笑顔に溢れた日になったよ

本当は、不安だったーー
心がついていけないんじないか?って

でも
たくさんの方の協力と応援と後押しで開催できた

わたしには
足りない所がいっぱいあるけど
その足りない部分を
補ってくれる仲間ができていた

頼るのもお願いするのも怖かったけど
みんな優し過ぎたーーーー😆
ってことにも気づけた今回のイベント


みんなもありがとう
たくさんの想いに感謝しています
心からのありがとうを。

2021.8.8

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