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計画を共有するうえでの前提1:目標の共有

「関係性に基づく医療」のブログでこれまで繰り返し言ってきたことですが、患者自身や家族から医療者に対して疑義が発せられることを医療者は歓迎するべきです。医療コミュニケーションにおいて、軋轢が生じているならそのコミュニケーションはうまくいっています。反対に、患者や家族から「お任せします」と言われたら、そのコミュニケーションは破たんしていると考えるのがよいと思います。

今日の「あるあるカンファ」では、脳卒中の患者さんの急性期入院診療に関してうまくいかなかった(とレジデントは認識している)事例について話し合いました。レジデントとしては、しっかりと入院のゴールを共有したつもりだったのですが、それは実は共有されていませんでした。そして、転院を勧めだした医師に対して患者側は疑義を提示していました。

この疑義は大変ありがたいことです。なぜなら、疑義が発せられた時点で初めて医療者はここに自分の想定した物語とは違う物語が同時に走っているということに気付くことができるからです。ある物事に対して、その後の計画を立てようとするとき、必ず二つ以上の物語が並列して走っています。一つは医療者が作る物語であり、もう一つは患者や患者の家族が作る物語です。そして、通常患者の物語は医療者が作る物語のパワーに負けてしまい、語られることなくしぼんでいきます。それは悲しいことです。理想的には、これは二つの物語が表在化され紡がれることができれば、患者の病体験は貴重なものになるのでしょう。

では、物語りを紡いでいく上で患者に係る関係者は何について前提として共有するべきなのでしょうか?ここで私は4つ、<1>目標、<2>選択肢、<3>希望、<4>資源、と立ててみたいと思います。本日は、その中でも最も重要なものである「目標」について考えてみます。

このレジデントはずいぶん優秀です。なぜなら、曲がりなりにも彼女/彼は入院のゴールについて明示し、言葉にしているからです。多くの場合、入院で提供される医療においてそのゴールすら共有されることは決して多くないのです。彼女/彼は、今回の入院で患者さんが「廊下を10m程度つたい歩きできるようになる」というゴールを定め、それを患者側と共有する努力をしていました。それだけでもずいぶんアドバンスレベルだと思います。

しかしながら、患者さんやご家族からは「まだ十分な状態ではないのになぜ退院/転院の話を性急に持ちかけられるのか理解できない」という気持ちでした。この差が軋轢として表象したわけです。患者側のこの困惑は、一見医療者から見た場合には合理性に欠ける困惑として映るのですが、果たしてそうでしょうか?

ここには急性期病院で働く医療者が持ちがちな「視野」がおそらくあるのです。すなわち、「当院での入院生活がこの人の生活のすべて」として医療者は認識しがちである一方、患者当人はまさに人生全体のプロセスとして今回の健康イベントを認識している、ということです。

いったん脳卒中になって片麻痺を持ってしまった人が、現在の症状に比較して何を想定するのでしょうか?一番は「どのくらい元の生活に戻れるか?」という期待なのだと思います。いったん片麻痺となった患者さんが、自分が期待する健康状態までに回復することは決して珍しいことではありません。しかし、その期待はたとえ現実的なものであったとしても半年以上は必要になることが多いのです。

私自身は、この目標の共有についてどのようにやっているのか、簡単に紹介します。端的に言うのであれば、患者さんとご家族に対して「あなたは1か月後どこで、誰とどんな生活をしていることを目標にしますか?」という問いと、「あなたは1年後どこで、誰とどんな生活をしていることを目標にしますか?」という問いを両方患者さんに問いかける、ということです。そして、それぞれの目標に到達するまでに必要なプロセスと時間について次に話し始めます。

脳卒中イベントを経験した患者さんにとって、イベント以前のADLというのを山の頂上だと仮定すると、頂上にまで到達することは難しいとしても、何とか7合目くらいまで到達したいと考えることは自然なことですし、実際に設定可能な目標です。しかしながらそれには半年以上の時間を要することがしばしばあります。その長いスパンの時間における目標の中で、急性期病院での数週間の生活があるわけです。数週間後、この方が到達している地点はせいぜいが3合目です。その先は別のステージにおける旅が想定されます。

急性期病院に勤務する医療者は、しばしばその最初の「数週間」がこの人の物語のすべてのようにとらえがちです。「ここまでで転院」ということが前提にあり、転院後患者さんが経験するであろう物語について想定がなされていないまま計画を提示することは決して少なくありません。さらには、計画通り数週間後に患者さんが想定された地点に到達したとしても、その患者さんは速度を持ってその時点にいる、ということです。速度を持っている限りは、「これからどこに向かっていくのか、そのために誰と何をするべきなのか」という視点が必要になります。この部分を想定せず、数週間後の到達地点のみを切り取っていった場合に、「続く」というテロップが出ている患者側の物語と、「完」というテロップが出ている急性期病院での医療者の物語に大きなかい離が生じます。

目標を、時間軸とともにより俯瞰した形で共有した後で、「今、ここで」の目標と計画は立案されるべきでしょう。


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