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生い立ち。小学生編

こんにちは。桐山です。

生い立ちシリーズ第二弾です。
先に生い立ち。あらすじ、幼少期編
ご覧になってください。↓

あらすじと幼少期編いかがでしたでしょうか?
誰も傷つきたくないし、傷つけたくもなく
基本的に平和主義の桐山です🫶🌱

今回は生い立ちの小学生編を公開しますね🎞️

それでは本題へ。



髪の毛をいじられたり、くくったりされるのが
イヤでイヤで仕方なかった僕は、
それなりに長かった髪の毛を
小学校二年生からショートカットにしました💇‍♀️

モー娘。がその時全盛期で、
安倍なつみとか吉澤ひとみがカッコよくて
なっちのショートカットに憧れて
ショートにした記憶があります。

これで外見はボーイッシュな女の子
の完成ですね💡

小さい頃から運動をするのが好きで
よく休み時間に鬼ごっこをしたり
ブランコやうんていで遊んでいて、
手はマメだらけでした!笑


学童保育にも行っていたので
放課後も学童の友達や先生と
ドッチボールやかくれんぼをしたり
アクティブに遊んでいました。

そのころの桐山は悪ガキだったので、
男の子を泣かしたり先生に怒られて
たまに放課後に居残りをさせられて
雑巾掛けをした記憶も…😂笑

家に帰って友達と遊ぶときは
もちろん男の子の友達が多く、
ポケモンや遊戯王、ベイブレードで遊んだり
キャッチボールをしていました。

高学年になるにつれて、
まわりが男女で分かれて遊ぶようになり
それに悲しい気持ちを抱えながら
どうにかして男の子とも遊びたくて

女の子も男の子も誘って、なるべく
みんなで一緒に遊ぶようにしていた
って記憶があります。

転校したことをきっかけに、
新しく友達ができるか不安だったのですが
僕は走るのが速かったのですぐに覚えてもらい
友達にもそれなりに恵まれました😌

そこの小学校では
完全に男女で分かれて遊んでいたので
アクティブな女の子たちと
なるべく遊ぶようになりました。

ひとつ鮮明な記憶があるのが
小学校6年生の頃の作文で、
人種差別?人権?のことを
テーマにした作文があり、僕はその中に

人を好きになる理由に年齢も性別も関係ない

と書いたので、
その当時の担任からは今時代の子で、
こんなこと書く子なかなかいないよ
と言われました。笑

でも、その頃から気になる人はどちらかといえば
女性の方が多かったような気はします。
男性でもかっこいい人は気になっていました。

そしてまだ、性同一性障害なんて言葉も
普及されていなかったので、

女性として、女性?男性?が好きな
ボーイッシュな女の子

と自分の中では認識していました。

でも、
水泳の授業でスクール水着を着ること
本来出てくるはずのない胸が
だんだん大きくなってくることに対して

ものすごく嫌悪感を抱き、うつ伏せで寝て、
なんとか胸が小さくならないか潰れないか
何度も試していた時期もありました。

あ💡幼少期編の補足ですが、幼少期の頃は
何度か立ちションを試みたこともありました!
さすがに小学生ではしませんでしたが…笑

生理がきたときも、
まさか自分がなるなんて…
っていう感覚で、なかなか受け入れられず

不衛生なのは承知の上ですが
生理用品を使用することすら抵抗があり
はじめのうちはトイレットペーパーを
何枚も折りたたんで挟んでいましたね。

それくらい生理が来たことを
隠すのに必死でした。
親に言い出すのも何回かなってからで、
かなり勇気がいりました。

少なからず、この頃から既に
自分への体の嫌悪感はあったんですよね。

自分の体に
ないものがあって、あるはずのものがない。
それがこころと体の不一致とは知らずに…


そして、年齢が上がるとともに
「写真」というものが苦手になりました。

本来の自分じゃない自分
を写し出されている気がして…

プリクラも、撮りに行こうと誘われれば断ったり
プリクラ代は出すけど一緒に写らなかったり
今思えば、何してんやコイツ😇
って感じですよね。

でも体が女の子らしくなっていく自分に対して
心から笑えなくなり、
もちろん心から笑えないってことは
写真映りも悪くなるわけで…

小学校後半〜高校の途中くらいまでの写真が
ほとんどありません。

カメラを向けられると
逃げたり隠れたりしていしました。
卒業アルバムに載っているのですら、
顔が不貞腐れた写真が残っています。


ある種のコンプレックスですよね。


服装に関しては、
幸いにも転校先の学校は私服だったので
スカートを一回も履かずに
卒業するまでズボンで過ごせていました😌

なので服装の面では特に困ることは
なかったですね!ありがたい!!


次は中学生編にいきますね〜🌸


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