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【日記】先延/2022年12月25日(日)

 昨夜は何だかわからないが、テンションが高かった。眠ろうと思えば寝られる(冬は特に)のだが、なぜか布団に入りたくなくて、3:30まで『贖罪の奏鳴曲』(中山七里、講談社文庫)を読んでいた。読みやすい一方で、癖のある中山さんの文章は病みつきになる。

 体調がすぐれなかったということもあるのだが、ここ1週間ばかり、Twitterをいじっていなかった。すると、首痛→頭痛はもちろんのこと、目の不調(老眼)まで解消に向かった。
 仕事柄、まったくいじらないわけにはいかないのだが、これはやっぱり定期的に“休養期間”を設けたほうがいいな、と再認識した。広く浅く、ではなく、狭く深くが信条の自分にとって、ピンポイントで濃密な情報を得るということを大切にしたいから、様々溢れている情報の渦に巻き込まれたくないという意味でも。

 先日、某トレーナーとコンタクトを取っていて、なるほどなと気づかされたことがあった。「最近は、どの記者も『応援記事』ばっかりっすよね」というひと言だ。
 当たり障りなく、誰からも反感を買わず共感を得られるもの。SNSの表面に溢れているような生温いものに近い(一方で、SNSでは裏アカウントとかいうものを使って、真逆のことを書いていたりするらしい。まったく不気味な世の中だ)。
 こんな書き方をするとまた反発されるのだろうが、誰でも書けるようなことを、その書き手が書く意味があるのか?  いや、そもそも「書くプロであるはずのあなたの、それが使命ですか?」という話だ。
    他の記者の書くものについて自分がとやかく言うことはない。だから自分自身について言わせてもらえば、そんなのまったくもってつまらない。

 次男、長女とそれぞれLINEでやり取りをする。日曜ということで、次男は警察学校から自宅に帰宅中だったので近況確認。娘には「サンタさん、来た?」と半ばからかうような内容を。ひと昔前だったら完全に無視されただろうが、「残念ながら来てません」と返信あり。2人とも、しっかりと大人になっていて、アホな父親の相手をちゃんとしてくれた。しかし長男だけは、相変わらず。気が向いた数日後に、たったひと言「うん」が返ってくるのみ。まあ、22の男なんてそんなものだろう。返事があるだけマシと考えよう。

 やらなければいけないことがあるのに、どうしても先送りしてしまう。自分の性質がほとほと嫌になる。本当の本当に追い込まれなければ腰を上げない。減量スタートをギリギリまで引っ張って、最後の最後でなんとか帳尻を合わせるタイプ、いや合わさればまだいいが、そのうちに確実に失敗する。しかし、わかっちゃいるけどやめられない。嗚呼、凡人、いやそれ以下だ。

 昨年の11月に購入した男梅サワー2種が、いまだ冷蔵庫に入ったままだ。「クリスマスだから飲んでやろうか」と一瞬思ったものの、結局はまた飲まず。そもそもなんであの時買ったんだろ? そしてなぜその日に飲まない?
    自分自身の行動すらよくわからない。やっぱりオレは、基本的にお酒が好きじゃないんだろうなぁ。でも、時代劇専門チャンネルで『鬼平犯科帳』や『剣客商売』の酒を酌み交わすシーンなんか観ちゃうと、「ああ、熱燗クイッといきてーなー」なんて思う。正月こそは、数の子つまみながら熱燗やるよ。それは毎年唯一の正月の楽しみだったりする。今年こそは塩抜きをしっかりやらなきゃ、だな。

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