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【似非エッセイ】性欲しかなかった男が女性不信に陥った理由

 連日の肉食いのおかげで、すっかりヤング・ソウル・ダイナマイトを取り戻してしまった。ここ数年は、そっち関係の元気が衰退の一方で、肉体的なことよりも精神的なダメージが大きかったのだと思う。
 というのも、世の中の女性に対する不信感がとてつもなく肥大してしまっていたからだ。

 どんな手段を使おうが、世の荒波にもまれながらもしっかりと自分の足で立つ女性は素晴らしい。いや、男性女性にかかわらず、ひとりの人間として尊敬に値する。が、ただ「女性」というだけで、たいした努力もせずに、様々な権利だけを主張している者が圧倒的に多いと感じているのだ。また、それを助長するような世の中の流れにも虫唾が走る。

 社会のあらゆる情勢が、これだけ乱れてしまったのは「女性」の責任だと思っている。なんて書くと、またキリキリとケンカを売ってくるのがいるんだろうけど、話は最後まで聞きなさいって話。
 地球の長い歴史において、世の中を、世界を回してき、そしてこれからも主導権を握っていくのは間違いなく「女性」なのだ。が、そのやり方を彼女たちは間違えてしまった。自分自身はしっかりと立ってるくせに、「女性」をいっしょくたに考えて妙な主張をしだした社会学者の扇動(30年くらい前)から始まってしまった、と記憶している。

 男なんて単純バカばかりなんだから、女王蜂然として、泰然自若として、働き蟻をコントロールしときゃいい話。それを、バカにバカと言ってしまい、男たちのエネルギーを削ぎ、気力を萎えさせ、足を掴んで動きを止めてしまったのだ。

「できる人間」は勝手に這い上がっていく。どんな困難が待ち構えていようが、実力ある者は男女いずれにもかかわらず、しっかりと自分の足で立ち、歩いていく。そこを勘違いしてしまった。

 男だって女だって、ダメなやつはダメだ。それに気づいて、みんなまた別のそれぞれの道を手探りしていくもの。だけれども、自分の能力のなさを棚に上げて、「女性」という枠に逃げ、それを悪用する者のなんと多いことか。「差別するな」と言っておきながら、自ら差別しているのだから話にならない。
 そもそも本気で主張したいのならば、映画の「レディースデー」とか、世に溢れている女性への過剰なサービスからクレームをつけていけと思う。自分が得することに関しては口を閉ざすって、それ、全然主義主張貫けてないだろ。“まやかし”にもほどがある。

 数年前、以上のような話の“さわり”を知人女性にしたところ、「男尊女卑男」のレッテルをはられ、絶縁されたことがあった。ポカン状態だった。これは大変な世の中になったもんだ、と気づかされ、この解決策は女性による自浄作用しかないんだなと悟った。
 きっと、声を上げないだけで、いまの女性たちの振る舞いを苦々しく思っている同性はたくさんいるはずだ。彼女たちに1発、高らかに宣言してほしい。「悔しかったら、自らの力で勝ち取りなさいよ!」って。

 すっかり話が逸れてしまったが、そんなこんながありつつの、街ですれ違う女性たちの意味もなくカリカリとした姿、周りの人にまったく気を遣えない傍若無人ぶりも日々積み重なっていき、深い幻滅へと突き落とされ、減退してしまったのだと思う。かつて、「本間さんから性欲を奪ったら何が残るんですか?」と元WBC世界スーパーフライ級チャンピオンに言わしめたオレが、こんなことになってしまったのだから、かなりの重症、世の中の女性の逆パワーの凄まじさを感じざるをえません(←あばれる君のパクリ)。

 が、単純に「肉を食らう」ことで、肉体的には回復した。そして、精神的には「素敵な女性だけ見ていよう」と吹っ切れた。昨日読み始めたリリーさん(フランキーさん)の本が大いなる刺激を与えてくれた。

 ね、男って単純でしょ。

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