不親切に柔術のテクニックを教えること。

トライフォースの公式のインストラクションはとんでもなくあっさりしている。
早川先生のインストラクションを初めて生で拝見したのはトライポッドスイープ(現行の言い方をするとアドバンストカリキュラムのレッスン16のXガードの一つ目のテクニック)で、早川先生は、相手の袖をこうするやりかたもあるのですが私はこれこれこうします、とさらりと言ってその場の池袋会員さんたちもさらりと聞き流していたけれど、グレイシーのあの教則にも平先生のあの書籍にも中井先生のあの教則にもすべてに反することを今言ってて個人的には結構な革命だったんだけど、そういえば記憶の片隅にある早川先生のセミナー動画でもたかが草刈りで人間を吹っ飛ばしてたが、これか、と感動したし、トライフォースに入る前の私の必殺パスのひとつは柔道式の足抜きだったんだけど、早川先生はさらっと、ここでこうする人もいますがこういったデメリットがあるので多少窮屈でもこうしましょうねー的なことをさらりと非常にさらりと言って、既存の寝技理論の根本的な部分の論理的な問題点を指摘し、文字通りの意味での論証が繰り広げられている。本当はあの偉大な達人の世界選手権でのあの動きとか、あの先生のあの教則本のあのテクニックとか、芝本先生や早川先生自身の試合とかアリアンシの先人たちのシグニチャーテクニックとか、そういった部分から引用したら早川先生は永久に語ることができるはずなんだけど、なぜか全くしない。コツも山ほどあって、実際に説明されているんだけどさらりとあっさりしか説明しない。

しかし実際、自分が他人からアドバイスを求められるようになったら手取り足取り全てを伝えるよりも自分の中でも最低レベルの雑な教え方をしたほうがありがたがられることも多い。雑にすればするほど杉村さんは実によくものをしっている実にわかりやすい実に素晴らしいといわれるといろいろ考えさせられる。

自分の道場で指導者として責任もって教えるとき、基本的に、指摘するポイントをシンプルなもの一か所だけにしている。それさえ改善すれば次元が変わるレベルのガツンと効くヤツを一か所だけ。
右手の位置を直そう、とか、目指す方向は完全パスじゃなくって足首くらいはからまれてる状態で、とか、さあ私が何を言いたいかわかりますか?例のアレですよ?そうですあなたに足りないのは殺気です遠慮してはいけません、とか、シンプルさはそのままにその人にいちばんひびくかんじのパンチラインを提示するように心がけている。心がけているというより訓練した。一発でガツンと新しい世界を提示して生徒の脳内をドーパミンドバドバにできるか、それとも悩んだままか、私の可愛い悩めるこひつじ(おじさん)と私の真剣勝負だ。

トライフォースのインストラクターマニュアルは珠玉の書なのでみんな公認インストラクターになってそれを目にするべきだと思うのだけど、そのなかの名言のひとつに、「見守ることもやさしさ」という趣旨の一説がある。手取り足取り誘導してもできない人に対しては、いいかんじですねーとさらっと褒めて流す。
ところが、褒められるとむしろ不満そうにするレアキャラもいる。その場合、いいですか?先輩たちにも聞いてみてくださいよ、トライフォースのベーシックを3周まわせばみーんなちゃんと動けるようになりますよ、的な感じに誘導する。いずれにしても放置を推奨する素晴らしいシステム。神から彼らができるまで教えろと命令されたらそうするけれど、初心者のおじさんたちはきっと悲しい気持ちになっちゃう。
足回しすらできない白帯だった私はブルファイターパスのドリルを30分くらいやり直しさせられて悲しかったものだよ。当時所属していた先生や先輩たちの優しさが無力な青年を悲しくさせる不幸なスパイラル。

実際、見守られ続けるとそれなりに強くなるからすごい。

見守られることがあたりまえになった生徒は、他人と自分を比べないようになる。自分を基準にするようになる。
他人の基準がないという意味で、ブラジリアン柔術黒帯への道は孤独への道だ。でも、犀の角のように唯一人歩んだ先に、偉大な先生たちが見ていたものと同じ目標や理想が見えてくる。見えるんじゃないかな。そんな確信がある。

さびしがりな人ほど孤独になったほうがいい。そしてヒトは猿だ。虎じゃない。群れで生きる本能がある。例外なくさびしがりな存在だ。

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