公に尽くすということ
今日も少しだけ思うことを思うままに書かせていただきます。
「公に尽くす」という言葉があります。
会社員であれば利潤の追求が求められますが、公務員の場合は昔は官吏と言った訳ですが、天皇陛下に仕える僕(しもべ)と言うことで、官吏としては判任官、奏任官、勅任官という身分分けがされていました。
最も、それ以外に役所に勤める人にあっては、官吏以外に雇人・庸人と言った制度があったわけです。
しかし、こうした階級というか身分制度は、基本的には戦後はなくなり、公務員は「事務官」と言うことで国民全体の奉仕者という位置づけに変わりました。
しかし、官吏時代と変わらない点があります、それは「公務員」は利益の追求ではなく「公に尽くす」と言うことを意識づけられていると言うことです。
「公」・・・「おおやけ」に尽くすと言うことはどういった意味なのでしょうか。
全ての人にあまねく公平にと言うことなんですね、仲間内だけで利益を分け合うと言うことをしてはいけないわけです。
国家公務員であれば、「国民のために尽くす」、地方公務員の場合は「地域住民のために尽くす」ということです。
利益の追求ではなく、あくまでも「人々の生命・財産を守る」ということなんです。
私も20年ほど公務員をしてきましたので、よくわかるのですが「公のために尽くす」というのは、「利益を追求する」というものとは性格を全く異にするものです。
そして、その考え方は根本に置くべきものが違う。
目先のゴールではなく、遠い先の理想。そして、「個人の幸せ」ではなく「全体の幸せ」と言うことなのです。
「個人」というのは、個人そのものではなく個人が所属する団体などの小集団も含め手のことになります、そうではなくて民衆と呼ばれる多くの人々への最大限の奉仕、最大限の幸せを考える。
底には目先の利益ではなく、長期的視点も必要になってくるわけです。
1年先、2年先ではないもっと遠い先、10年先なのか20年先なのか。はたまた100年先なのか。
己の想像史える範囲での理想系を目指して行動に移す、これこそが「公に尽くす」と言うことなんです。
ただ、悲しいかな私も意識はして微力ながら行動はしていてもそれが中々結びつかないというジレンマを常に抱えているのはひとえに自分の力不足であり、単なる夢想家で終わっていることの証左かもしれません。
更に自身の修行は続くと言うことでしょうか。
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