見出し画像

赤と白とロイヤルブルーの余韻が抜けない!

赤と白とロイヤルブルー、最高でしたね!!
ネタバレ有りで書いているため、未読の方はご注意ください。

まず、アマゾンプライムの映画でこの作品を視聴して、吹き替え→字幕→吹き替え→字幕…と何周もしているうちに、もっと欲しい!!となってしまい、気が付いたらKindleで原作の翻訳本を買っていました。
なので、映画と本の両方に触れたいと思います。

映画になく、原作で素敵だなと思ったシーンはたくさんありますが、そのうちのひとつは未公開シーンとしてYouTubeで公開してされています。まだ見ていない方がいたら是非!!
アレックスがヘンリーとの友好アピールをするために、ヘンリーの宮殿に泊まっている夜のシーンから。
アレックスが電話でノーラに愚痴をこぼしていたら、ヘンリーが背後でそれを聞いていて、無理矢理仲良しアピールをするためにアレックスが自分のアカウントで、ヘンリーの手が写るようにアイスクリームを2つ並べてSNSに投稿する、というシーンです。

そのシーンの後、原作にしかなかったシーンに、アレックスは読書用のメガネをかけるという設定があるのですが、「きみが眼鏡をかけるとは知らなかった」というヘンリーの台詞が去り際にあります。
今はいがみあっているけれど、第一印象から良いなと思っていた人の、知らない一面を見てしまう。しかも、それは世間には知られていなくて、身近な一部の人しか知らないこと。
基本的にはアレックス視点で物語が進むので、ヘンリーの言葉以外の気持ちは推察することしかできないのですが、彼の心の動きが伝わってくるようで、読んでいてとてもグッときたシーンです。

最初にアレックスの心が揺れ動いたのを感じたのは、ヘンリーと一緒に病院に行ったシーンでした。
作られていないヘンリーの表情や言葉を初めて見るアレックスと、押し込められた狭い部屋で、ヘンリーとの売り言葉に買い言葉を以前より楽しいと感じながら、なぜ嫌われているのか直接問いただすシーン。
誤解が解けた後、アレックスの気持ちは随分変わっていて、映画ではヘンリーにピースしてアメリカへ帰って行きます。(原作では別れ際にアレックスから連絡先を交換しています!)

そこから2人のメールのやり取りが始まって、お互いに理解を深めていきます。
映画で素敵だなと思ったのは、まるでお互いがそこにいるかのようにメールのやり取りをスピーディーに描いたところ。
冗談を言い合ったり、キツめの皮肉を言い合い、本当に長年の友達のようなやり取りが始まります。
それがほんの少し変わったのは、アレックスが初めてかけた電話。メールではたくさんやり取りを重ねたけど、初めての電話ってやっぱりドキドキしますよね。しかも夜中の3時という非常識な時間に!
どうやって電話を切ったらいいのか、どっちが先に電話を切るのか言い合いながら電話を切る様子も良かったです。

その後年越しパーティーで再会する2人。メールや電話のやり取りを重ねているから、前回よりも遥かに距離が近づいていて、アレックスも早くヘンリーが来ないか待ち侘びている様子がかわいい。
周りにどんなに人がいても、お互いに視線が引き寄せられてしまうということを描いたシーンに、ダンス中2人以外がしゃがむというシーンがありました。
こんな風に映像にするアイデアがすごく斬新で、映画版の印象的なシーンのひとつです。

そこからカウントダウンがあり、年越しの瞬間に盛り上がってノーラや女性たちとキスしているアレックスの姿をみたヘンリーは、既に恋心を自覚しているため、何とも言えない表情で誰とも言葉を交わさずその場から立ち去ってしまいました。
アレックスはヘンリーの後を追いかけて、言葉を交わすうちに、「きみのにぶさは絶望的だ」という言葉の直後、ヘンリーからキスされます。
※このキス前のセリフが好きすぎて比較用です。
原作翻訳「きみのにぶさは絶望的だ」
映画吹き替え「あきれるほど鈍いな」
映画字幕「どこまで鈍いんだ」

ここの初めてのキスをするシーンが好きすぎて何回も見返していたら、1回目には明確に気が付かなかったのですが、アレックスも途中からしっかりキスに応えている様子が伺えました。
原作では明確に、驚きながらも応えている心境が書かれていて、『なんでだろう、ちっともいやじゃない。いや、全然いい』『試しにキスに応じてみるとー』『これまでしてきたどんなキスとも違う』というアレックスの心の中の描写を読むことができます。

立ち去ってしまったヘンリーに何度連絡をしても無視され続けてしまうアレックス。
『ヘンリーは自分の殻に閉じもこってしまう時があって、そういう時はただ待つしかない』という説明が後々出てきますが、この時ヘンリーはまさにこの状態にあったといえます。(作中1回目の殻こもり)
殻に閉じもこってしまったヘンリーを、アレックスはただ待つことはしないで、無理矢理にでも殻から出して話しを聞こうとする。
もちろんそれは怖いことでもあって、拒絶されるかもしれない不安などをひっくるめて、踏み出す勇気のあるアレックスの強引な行動力が、ヘンリーと上手く噛み合っているからこそ、しっかり良い方向へ進んでいけたように感じます。

想いが通じた初めての夜、「カジュアルな関係でいよう」と言ったヘンリーの気持ちを、この時は推し量ることができないのですが、後々になって考えると結構辛いセリフです。せっかく好意を抱いてる人と想いが通じ合ったのに、色々なことを頭で考えてしまって、自衛本能が働いてしまう。そんなヘンリーの育ってきた環境から生まれた虚勢が出ているセリフでした。アレックスの応対も冗談っぽい感じのため、かなり明るく描かれているのですが、考えれば考えるほど切ないです。

ヘンリーがポロの試合のゲストにアレックスを誘うとき、すごく言いにくそうにしながら誘っている気恥ずかしそうな雰囲気が映画にはあったのですが、ポロに誘うというのは、イギリスでは親密な関係の人を誘うという意味合いが含まれているらしく、その文化的背景を知っているとモジモジにも納得です。
原作ではヘンリーが電話で誘っていて、1席1万ドルだけど招待できると言っています(今は円安なので日本円だとおよそ150万くらいです!)そうまでしてでも来てほしい気持ちが伝わってきます。

ここからはしばらくラブラブな状態がずっと続いて、映画を観ていても、原作を読んでいてもとても幸福でした。原作にはメールのやり取りがずっと続けられており、そのやり取りは付き合う前よりも情熱的で、より個人の抱える弱さや問題を共有するものになっていきます。

アレックスの大切な場所、テキサスのレイクハウスにヘンリーを連れてきて、充実した日々を過ごしている2人。アレックスにとってここにヘンリーを連れてくることは特別なことで、少し不安を感じながらも父に会わせようとしているところも応援したくなる気持ちで観ていました。
アレックスが赤と白の混じったような赤、ヘンリーが青いハーフパンツを履いているのも絵になりました。

映像化されると息を呑んでしまうほど美しい湖のシーン、愛してるという言葉を聞いてしまったら、もう引き返せないと直感的に感じて、水の中に入って言葉を遮り、何も言わずに1人で帰り、再び殻に閉じこもってしまったヘンリー(2度目の殻こもり)
それをまたアレックスが、今度はより一層決死の覚悟でヘンリーの答えを聞きに行きます。

アレックスがヘンリーの元へ辿り着き、一言何かを間違えただけで、もう一生会えなくなってしまうような緊張感が続くなか、原作の中には「まさか…愛を返してもらえるとは思いもしなかったから」というヘンリーの言葉があります。
ヘンリーは今目の前にある幸せを感じながら、どんなにメールで愛の言葉を交わしていても、常に終わりがくることを覚悟していたことが痛いほど伝わる言葉です。

そして、2人の想いが本当の意味で通じ合ったあと、今度はヘンリーが自分にとって特別な場所である博物館にアレックスを連れて、2人だけの時間を過ごします。

別れ際、ヘンリーは指輪をアレックスに渡し、アレックスはいつも身に付けていた古い家の鍵をヘンリーに渡します。(原作ではヘンリーが指輪を渡すだけだったので、アレックスが鍵を渡して、お互いに大切で肌身離さず身に付けているものを交換する、という演出が映画オリジナルでとても好きでした)

その後、メールの流出がきっかけで、連絡も取れず不安な時間を過ごしている2人ですが、1番不安定な心の問題を解決したから、2人の関係をどうするかではなく、2人でこの問題にどう立ち向かっていくべきか、という描かれ方をしていたのがとても心強かったです。
原作では、付き合っている時のメールを読むことができるので、いつも皮肉や冗談を言い合っている2人の中の、ヘンリーの特別なメールが流出してしまったことを特に苦しく思います。
その中の一文です。
『きみに話すべきなのだろうか?こうして離れていると、きみの体を夢に見る。眠りに落ちたときは、夢のなかできみの体、腰のくびれ、尻の上のそばかすを見る。そして目覚めたときには、きみがそばにいたように感じて、想像ではなく、うなじにきみの手を感じる。きみの肌を肌に感じて体じゅうの骨がうずく。夢のなかでなら、千もの部屋のなかでひととき息を止め、きみといっしょにいられるのに、結局そんなところはどこにもないのか?』
この部分が、原作を読んでいてとても心に響くメールでした。
メールが流出してしまったと明らかになったとき、このメールのことを特に強く、人に見られてしまうことを苦しく思ったのではないでしょうか。実際アレックスは、『この文章を読んでいいのはぼくだけだ。新聞でそれを目にするのは胸くそが悪い』と書かれています。
ここの流れは、原作だと長い間2人のメールのやり取りを見守ることができるので、更に辛くて苦しいシーンのひとつです。

2人で苦難を乗り越えるシーンですが、原作と映画は大きく展開が異なります。
映画もとても良くまとまり、素晴らしい展開でした。外に集まってくれた人達を前に、アレックスと手を繋ぎ、ヘンリーの「愛してる」にアレックスが「僕の方が」と応え、「あとで議論だな」(吹き替え版では「話し合いが必要だな」)とまとまる映画のここは最高でした。

原作にしかないシーンで大好きなのは、話し合いの全てが終わったあと、
『バッキンガム宮殿の廊下に出たふたりは、背後でドアが閉まったとたん、壁のタペストリーに寄りかかる。息を切らし、興奮し、笑い、頰を濡らしながら。ヘンリーがアレックスを抱き寄せ、キスをして「愛している、愛している、愛している」とささやく。もういい。誰に見られてもかまわない』
全てを捨てて元通りになろうとしていたヘンリーが、初めて自分の手で幸せを掴んだ瞬間のこのシーンが印象的です。

その後、母も大統領選にも勝利し、家族のような立場で手を引かれて前に出るヘンリー。
2人で抜け出してアレックスの古い家へ自転車で向かい、鍵を開けて物語が幕を閉じます。

映画ではエンドロール後に、ケーキ騒動の際アレックスが「誰か気付いたかな?」という台詞をヘンリーに向かって話しかけていたことが明かされます。
※吹き替え版だと「みんなこれ気付いてる?」
このシーンに対して、何が?と思った人も多いのではないでしょうか。
ここには2つの意見が存在し、
①映画のケーキが倒れた前後のノーラとビーの含み笑い(他の人は皆んな絶句してる中、2人はちょっと笑ってる)、ヘンリーの口をペロッとするリアクションから、2人がキスしてしまい、その事に対して「気付いたかな?」
②アメリカンジョーク的に、高いケーキが倒れて国際問題を起こすなと言われていたアレックスの「気付いたかな?」(気付いてないわけがない)という反語的意味合い。
これはとても微妙で、10回くらい該当シーンを見返したのですが、明確にキスしているようには見えなくて、原作にも事故でキスしたという描写は一切なく、ヘンリーが悪態をつくのを初めて聞いた、と割とあっさりこの場面は終了します。
もしキスしてしまっていたとしたら、そのことについて2人が一切触れないのも不自然というか、皮肉や冗談の中でこの話を持ち出したり、初めてキスされたときにあの時とは全然違う、みたいな気持ちの動きがないと逆に変かなと感じました。
ただ、もしかしたら明確な答えは存在せず、何のことだろう?という疑問からもう一度観てみようかなという気持ちにさせてくれる作戦のような気もします。

まだ読めていないのですが、2022年に発売されたコレクターズエディションには、ヘンリー視点の6年後の後日談があるようです。一刻も早く読みたいけど、1時間ネットで調べまくっても電子書籍はまだ(2023年9月現在)発売されていないようだったので、本を海外から取り寄せて、アフターストーリーをDeepLに全部手作業で打ち込んで翻訳させる、くらいしか語学力がない人間には読む方法がない!?(誰かその他の方法をご存知でしたら教えてください!)
電子書籍版さえあれば、そのままコピペして翻訳することもできるのですが。。
映画で人気が出たことをきっかけに、翻訳版のコレクターズエディションが出版される動きがあることを祈ります。その時にはきっと、ちょっと忘れた頃にまた1からストーリーを読むので2度美味しいっちゃ美味しいかも?
映画までいかなかったとしても、再び映像化してくれたらもっと最高ですね!ファンの力で夢を叶えるために応援し続けましょう!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?