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ポスター

      作:Shiroshi

えっと。

雰囲気とか景色が違ったんですよ。今の四十代とかが子供の頃見ていた昭和は。

NHK の朝の連続ドラマとかそういった雰囲気ではもちろんなくて、それと、勉強熱心にたとえば昭和の名作映画、寅さんとか観たりしても、それを感じることは無理なんじゃないかと思うんですよ。

なんと言うか。

もっと生々しい感じで匂いが濃かった気がするんですよ。

僕の昭和は主に団地の風景なんです。

八千代や稲毛辺りの巨大団地の風景より二回りくらい小さい北習志野の団地の風景です。

でも昭和についてでお話したいのは路地裏のこと。

なぜかと言うと、さっき帰りに、センター競馬場辺りの国道に出る前、ちょっと車を停めて煙草屋の横の自動販売機で缶コーヒーを買ったんですが、ちょうど懐かしい感じの路地裏が煙草屋の裏に延びているのが見えて、昔の記憶が降りてきてしまったんです。

京成船橋駅の上り方面で降りたら、今はマックがあるんですけど。いや、なんか駅はもうお洒落っぽい感じになっていて。表通りの方の改札口はとっくの昔に一つになっているし。国鉄駅みたいに大きくなってからいつの間にかどんどん違う姿に変わっていって。

とりあえず当時は、京成線はまだあの辺りも地面を走っていて、駅もあんなに立派じゃなかったから。今時、踏み切りなんて都会の街中ではあまり見ないんだけど。

考えてみれば発展ってすごいです。

京成船橋駅。

あの辺りは、ボクの子供の頃の記憶だと、オデン種の匂いがしたんですよ。

オデンじゃなくてオデン種です。若いヒトには街角に充満するオデン種の匂いって言っても分かりにくいかもしれないけれど。なんと言うか、とりあえず、上手く説明するのちょと難しいっす。

デパ地下とかとまったく違うし、商店街の感じともちょっと違っていて、アスファルトがいつも濡れていて、浅い水溜まりがそこら中にあって、なんて言うか、アサリとか魚介類の生臭い匂いと、オデン種の油の匂いと、あと人混みと車。そうゆうのが混然一体になった空気がそこに充満していたんです。

アメ横にはまだ似た感じの隙間がまだ残っているけど、下り方面の改札口のほうに曲がるその角に。ボクの記憶にはオデン種、結構繁盛していた練り物屋があって。それと、アサリとかワカメの塩漬けとか、時計とか、古雑誌、ウォークマンみたいなのとか売っている行商の人達が店を開いていたはずで。

父親が初めて買ったウォークマンもそこで見つけた白のアイワで、確かラジヲ付きで、ボクは始めて見た時、結構ドキドキしたはずだろうと思うし。ウォークマンみたいな精巧な電化製品を実際この手で触らせて貰ったのは初めてだっただろうから。

あと練り物屋でコロッケも売っていたはずなんですよ。京成船橋はコロッケの匂いとオレンジ色の光の記憶とも重なるから。

それとあと、今より人も歩いていたように感じるし、車はそんなに多くなかったように思えるし。

それで、

小学校の頃、ボクは体操の塾みたいのに通わされていて、まだ明るい夕方、京成船橋の駅で降りて大通りは避けて裏道を斜めに突っ切って週一度、クラスに通っていたんです。

小2から小3くらいのはずだけど、そこははっきりとしないけど、小3の冬に少年野球を始めたし、たぶんあまりズレてはいないとは想うんです。

裏道はまだアスファルトで舗装されていなくて、剥き出しのままの土に申し訳程度の砂利とかが撒かれていて、泥濘みやすい場所には、コンクリートの板とかが置いてあって、ドブはまだ木の板で、どこもあの辺りはブロック塀じゃなくてトタンで仕切られていて、それとその路地はあまり人は歩いていなかったはずなんです。

そう言えば、傘をさした叔母さんとすれ違った記憶があるけどなんでだろう。軽くよけてボクを通してくれた小学生からみれば叔母さんの女性。路地裏でワンピースと日傘は何か変だと思ったのかもしれない。

京成船橋の大通りは大きくなりました。
サイズは変わっていないはずなんだけど。

大通りの、路地に入る前の横道は、この2・30年で結構流行った空間に変わったりして、今時な感じのラーメン屋やチェーンのコーヒー店、パチンコ屋とファミレスのサイゼリアとかが表通り近くにある、人が歩きやすい場所に変わっているけど、昔とサイズはそれほど変わっていなくて。

スポーツクラブの日は、その道を、今でもまだある花屋の前に、最近までまだあった畳屋まで行って、それで道を一本跨いだ神社の向こうで右に曲がって、細い路地のトタンの壁を、右手でパタパタと音を奏でながら、くすんだ水色の塗装と、突き出たネジと、ガサガサの錆の感触とかを指先で確認して、週一回ボクはそこを歩いたはずだと思い出せるんです。

その路地の、湿った土の匂いと、鉢植えとかネコとかテレビの音とか、奥に見える通りの光とか、薄暗いけど落ち着く何かに包まれていた感覚をおぼろげにだけど覚えていて、それをさっきセンター競馬場近くで、また思い出したんです。

あそこは冷たく澄んだ土の匂いがして、それは自分にとってとても良い想い出なんだと思うんです。



帰りは少し暗いから路地は避けて表通りを少し歩き、大通りには出ないで手前で右に曲がり、さっき言った畳屋がある角に向かう裏道を真っ直ぐ行ったはずなんだけど、表道りの感じは不思議とあまり覚えていないかもしれないんです。

表通りは、当時まだマンションとかなかったはずだし、雰囲気が大分変わっているだろうと思うのだけれど、当時の景色の記憶はいくら頭を捻っても甦らなくて。ただ表通りの感じと重なって、お祝いに持っていくみたいな、砂糖で出来た鯛のイメージがあって、ピンク色のグラデーションとマヌケそうな鯛の眼はまだ記憶の中にあるのだけれど、それをどこで見ていたのかは全く思い出せないから不思議なんです。

木彫りの枠みたいのに詰めて造るあの祝い菓子が、どんな味がするのか気になってしょうがなかったのだろうと思うんですけれど。

それと帰りに裏路地を避けたのは単純に暗くなると怖かったからのはずです。



帰り道はあと畳屋で左に曲がらないで、もう少し先の細い路地を通って大通りに出たんです。

パチンコ屋とか、いや、まだあるのか分からないけれど、あの辺は店がグルグル変わる繁華街みたいになってた時期があったから、今はどうなっているか、最近行っていないから分からないけど。

その細い路地はドトールの向かいとかじゃなくて、もっと京成寄りの場所じゃないと辻褄が合わないんだけれど、陸橋は当時はなかったはずだし、あんなにデカイ駐輪場とかもなかったし、でもどの道だったかはっきりしないからもどかしくて。

この辺りの記憶も他と同じに曖昧になってしまっているんです。

はっきりと覚えているのは、左に曲がってその細めの道を歩くと、必ず色褪せたポルノ映画のポスターが張ってあったことで。

ポスターと一緒に覚えている風景には、いつでも、アスファルトがジットっと湿っている冷たい空気に、所狭しとポリバケツとビール瓶ケースが重なっていて、それとあと張り紙だらけの電柱があったはずです。

大通りの明かりに向かって歩く、ムッと匂ったその路地の場所を特定したいのだけれど、どの路地だったかなかなか特定出来ないんです。

小さな居酒屋とかホルモン焼き屋とかがあったはずで、あったかもしれないけどそれも思い出せません。

ハッキリと覚えているのはポルノ映画のポスターが張ってあったことだけで。

あとあそこに溢れる強い匂い。

わざわざ帰りいつもそこを通ったのは、ボクはその臭い、ムッと汚れたその場所の感じにスリルを感じていたのだと思うから。

暗くなり始めた夕方、見ちゃいけない世界の入り口に一人踏み入って歩く、短い路地の異世界に、小学校低学年のボクは酔っていたんだと思います。

必ずあるポルノ映画のポスターも、一緒に指さしてゲラゲラ笑える友達とかと一緒に歩いていないから、見ちゃいけない感じがしてチラリとだけ一度盗み見ていたはずで、前を通るだけで緊張していただろうし、そこは言うまでもなく親には内緒の世界の象徴で、危険だったから。

不思議なんですよ。

ここがボクには不思議なんだけど、当時のそういった感じのポスターをピンタレストとかでパラパラ眺めていると、すえた酸っぱい匂いとキツいアンモニア臭、それと甘くて苦い煙草の吸殻の匂いとかが、湿った冷たい空気の中で絡み合った、あの京成船橋駅近くの路地裏の匂い、それが脳裏に甦る時があって。

記憶は不思議です。

最近、昔のポスターをネット上で漁っているのも、その感覚とかにまた出会いたいからなんだと想うんです。

まあ、さっきの帰り道、自動販売機で缶コーヒーを買った、センター競馬場近くの煙草屋の横の路地は、たぶん生活空間だからアンモニア臭なんてしないだろうけれど。

忙しい通りに路駐していなければ少し歩いてみたかったなと思っています。

えっと

これじゃまったく説明にならなかったけれど。

昭和って、たぶん君らが思っているよりずっと生々しくて不潔だったんですよ。

今の二十代とかのヒトにもそれを知ってほしいなとか思ったりします。

NHKは無意識にだろうけれど今日も嘘を繰り返しているから。

まあ路地裏の匂いなんて、今もあまり変わっていないのかもしれないけれど。

ありがとございます。