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「好きですか?」なんて、まだ確認したくない。

志賀は知り合いの一人との関係に最近ずっと戸惑っている。

志賀にとっては推しみたいな人だ、というか感覚は「推し」だ。とても素敵な人で、志賀が心から魅力的だと思う人だ。
でも、こっちが一方的に好きなだけであって、相手が志賀をどう思ってくれているかはあんまり関係なかった。

「いや、普通好きになってほしいとか思うじゃん?」って思うそこのあなたはちょっと考えてみてほしい。推しに認知してもらいたい、もらえたらいいなとは思うけど、でも、さすがに認知されないかって思って、結果「貴方の事が好きな人がここにいるってことをわかってくれてたらいいよ」って思いませんか?願わくば「(特定の人物として認識されて)あ、志賀君は俺のことが好きなんだね」って認知をもらえたら御の字。個人的にメッセージとかお礼とかそういうのは夢のまた夢っていうか、それはなんか違うじゃん。ここまで降りてくる人じゃないはずでしょ。
生きてる世界線がそもそも違うんだしって思っていたんです。

志賀にとって、彼は「友人」という言葉で言われつつも、志賀自身の認識としては「知り合い」って言い方の方がしっくり来てた。こうやってnoteを書く時には社会的なカテゴリー意識を持って書いていて、世間の人はこの関係を「友人」って呼んでも許されそうだなと思っていたから。
でも、本人を目の前にした時に、「友人」っていう関係と言っていい自信が志賀にはなかった。それは仲が良い、悪いとかじゃなく、年上の、自分とは何もかもが違う考えやあり方、環境の中で生きている人を、自分と対等である「友人」というカテゴリーにいれていいのか分からなかったから。だから、志賀の中では彼はあくまで「知り合い」だった。

志賀の「知り合い」の該当者は極めて広い。
「一度会っただけ」も「知り合い」だし、「二人でどこかに行った人」も「知り合い」だったりする。但し、後者の場合は「二人で何かしらの目的を持っている」ことが前提。
言い換えれば「この映画を見たい」っていうのを2人が思っていたとして、それを目的として二人で映画に出かけるなら、それは「知り合い」。

元がどこのものなのかは存知上げないけど、志賀の人間関係の基準になっているのは以下のような文章だ。

用事があって会うのが「知り合い」
用事がなくても会うのが「友達」
用事を作ってでも会いたいのが「好きな人」

私は今まで彼と用事の中であってきた。
「○○について話したい」とか、「○○の集まりで会おう」とか。
それは僕等個人というよりも僕等自身の立場によるものにも繋がる事だったと思う。例えば、彼の思考観に研究めいたものを志賀は感じているので、「研究者」としての彼と志賀は関わっている印象があった。
なんか上手く言えないけれど、そういう立場とかあり方の中で生きている彼とその生き方に、僕は尊敬感情を持っていたし、好きだったと思う。

「アイドル」に対して、アイドルをしてくれるその人物に好意を寄せる、というか。アイドルとして歌を歌って、完璧なパフォーマンスを見せてくれる彼が好き、というか。そういう感覚に似ている。もちろん、志賀の知り合いはアイドルではないけど。(でも、個人的にはそんじょそこらのアイドルよりかっこいいと思う。バイアス込みなのは承知の上で。)
なんていうかなあ。説明が結構難しい。

まあでも、うん。「研究者」(立場、生き方の選択肢の一つとしての例だと思ってください)っていうあり方の中を懸命に努力している彼が好きで、尊敬していた。

でも、最近、以前よりも連絡を取る事が増えて、それがどうにもフランクで、なんかおかしいなって感じるようになった。

この人、実は全然「研究者」なんかじゃない。真面目で、頑なな人間ではないかもしれない。僕が思っていた人とは違うかもしれない。この人、たぶん、「普通」(普通の定義が難しいが、ここでは割愛)の「男の子」だ。年上に対して「男の子」っていう単語はどうかと思うけど、なんていうか、身近さの感覚の表現だ。

「普通」に「同じ世界」に、「対等」に、生きている人。

志賀の手にだって、届く人。
隣を歩ける可能性がある人だってことに気づいてしまった。

嫌われなければいいなって思ってた。
彼は優しい人だし、基本人は嫌わない。著しく拒絶はきっとしない。だから、嫌われなければセーフ。「好き」だなんて思ってもらえるわけもないから、「嫌いじゃないかな」って思ってもらえたらそれでいいや、って。

でも、最近のやりとりで「この人は私の事、嫌いじゃないのでは?」「もしかしたら(もちろん、人として)好きでいてくれているのでは…?(いや、流石にそれは自惚れだろうけど)」って思って…、いや、思わされてしまって。
その瞬間、なんか自分の感情がバラバラになった。

え、待って聞いてない。聞いてないよ。
だって、そんなこと、形にしてなかったじゃん。
志賀のこと、ちゃんと思ってくれてたんですか。嘘、でしょ。
好きになってもらえるかもしれないってこと?
もっと望んでもいいってことですか。
ねえ、本当に?
私、滅茶苦茶めんどくさいですよ。
絶対知ってるかもしれないけど。

「友人」って言っても許されますか?
そんなことを望んでいいんですか。
私と貴方は、全然違う人間で、私は貴方よりずっと小さくて、馬鹿で、教養だって何も無い。
今日だってみじめなことを本気で痛感した。
それなのに、こんなことを思ってもいいんですか。

勘違いします。しそうだから、やめてよ。
…でも、嫌じゃない。そんな言葉が貰えるものなら貰いたい。誇りたい。隣にいたい。自信持って隣に並べるような人間でありたい。

志賀は振り回されている。
こんな感情知りたくなかった。
分かんなくなる。
自分が不明瞭で、不正確で、不安定で、怖い。

メッセージで綴られる感情に嬉しくなる自分がいる。
今まで見えてなかった積極的でテンションの高い彼の姿にびっくりする。
びっくりするけど、嫌なわけじゃない。
むしろ、そんな風に言ってもらえて嬉しい。
でも、よく分からない。

彼のことが分からない。
新しい面を知れて嬉しい。けど、それを私が知っていいものなのか分からない。
彼と違う世界線を生きている、彼とは全く違う私が知っていいの?って思っている。

志賀は混乱している。
夜中にこんな文章を書くのが悪い。
もうごたごただ。感情もぐちゃぐちゃ。

「好きですか?」なんて確認できるわけない。
「嫌いじゃないですか?」なんて、聞けるわけない。
そんなのまるで好きになってほしいみたいだ。
欲張りで我儘で、嫌われちゃうような人間だって言ってるようなものだ。
そんなことはしたくない。負担になんてなりたくない。
嫌われたくない。
好かれようと必死なみじめな自分なんか見たくない。知りたくない。
だって、私は「推し」の存在だけで我慢出来てた。満足出来てたんだから。
たまに話せたら嬉しい、くらいで良かったんだから。
何を求めてるんだよ、そんな立場や権利を持っているわけでもない癖に。

今さら、馬鹿みたいだ。
好きになってほしいなんてワガママ。
大嫌いだ、こんな自分。

お願いだから私をどうか振り回さないで。
ただ平穏に貴方を好きでいたいだけだから。勝手に尊敬して、勝手に好きでいたい、学びたい。時々、本当に時々話してくれたらそれでいいって思うから。

だから、私に期待をさせないで。
「好き」かなんて確認したくない。
貴方に嫌われたくないんです。

志賀らしくもないnote。
夜のせいだ。彼のせいだ。
明日になったら、世界の皆に愛されるような人間になれたらいいのに。
「私の事、好き?」って自信満々に聞けるような美しい人間になれたら、どんなにいいだろう。

そんなの絶対無理だけど。

おやすみなさい。
貴方に。…大好きな貴方に祝福あれ。


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