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なぜ心とウラハラな言動をしてしまうのか考えてみた。

みなさん、自宅警備ははかどっていますか?

「緊急事態宣言」による外出自粛は、ゴールデンウィーク(GW)最終日の5月6日までとされていましたが、もしや伸びるのでは?という気配を察して、いよいよ自宅時間へ本腰を入れる必要がでてきそうですね。

最近は買いだめた本を消化したり、ゲームをしたり、家の安全を守りながら過ごしていることが多くなりました。
読み返していた本のなかに「人は往々にして心とはウラハラなことを言ってしまうことがある」という内容がありました。本を読み終えても、妙に心に残っているのは、思い当たることが多かったからだと思います。

この内容は、能力開発研修のトレーナーをつとめる松田 友一 氏の著書『”気づくこと”が人生の成功を”築く”』の一節です。
私は実際にその能力開発研修にも参加したことがあり、松田氏ご本人にお会いしたことがありますが、決してぶれない軸のようなものを感じさせる方でした。そんな人でも感情とウラハラな言動をしてしまうものか、と少し意外ではありましたが、誰しもが心当たりのある出来事なのだと思います。

心とウラハラな言動の理由

「ごめんね、素直じゃなくて」なんて、平成に大ブレイクしたアニメ主題歌のワンフレーズを想起させるのは、私が昭和生まれだからでしょうか…。笑

しかし、人の感情の曖昧さや不明確さというものは、いつの世も同じはず。

本のなか紹介されていたエピソードは、帰りが遅い娘を心配していたのに、いざ家に帰ってきたら、怒りの感情をぶつけてしまうというものでした。

シチュエーションは違えど、同じ経験をしたことがある方は多いのではないかと思います。かくいう私も、”不安”や”心配”という気持ちが、なぜか”怒り”となって伝わってしまった経験は数しれず。

もちろん相手のことを思う気持ちに偽りはないと思います。
だけど、相手を思う気持ちより「こんなに心配してるのに!」とか「不安にさせないでよ!」という、自分の穏やかでない胸中を鎮めるために、荒々しいの感情となって相手にぶつけてしまっているようです。

「分かってほしい」という願い

以前付き合っていた彼氏と、毎年冬になると一緒に食べていた思い出の料理がありました。ある年の冬、「今夜のごはんはいつものやつにしよう!」と決めていたのに、彼氏の仕事の都合で遅くなってしまうことに。支度を済ませて、心待ちにしていた矢先、「遅くなるから先に食べてて!」と言われた日のこと。

「じゃあ待ってるから、仕事頑張って!」

本当はこう言いたかった。でも私の口からでたひとことは「なんでもっと早く言ってくれないの?」「約束したじゃん。」でした。
別に時間がずれることなんてどうでもよかったんです。私はいつもの楽しみを、今年も一緒に体験したかっただけ。

”一人で食べるなんて意味ないじゃん”

これが私の本心でした。
すごく些細な出来事なのに、なんであんなに怒ってしまったのだろう…。
それは、同じ思いでなかったことがたまらなく哀しかったから。心とはウラハラに、口からでたときには攻撃的な言葉に変わってしまっていました。

怒ってるんじゃない。ただ、分かってほしかっただけだったんです。

自分の気持ちに正直になるとは?

心とはウラハラに「不安」や「哀しみ」が怒りに変わってしまうのは、『こんな嫌な思いしたくない!』とか『心配させないで!』という願いがあらわれているからです。

でもこれは、相手のためではなく自分のためのメッセージです。どれだけ力強く伝えても、相手に届く可能性は低いですよね。

感情のなかには、相手を思うことと自分の主観が共存しています。自分に正直になるということは、感情をぶつけることではないと思います。

心と言動がウラハラになるときは、必ず大切な人の存在があるはず。
「一緒に楽しく過ごしたい」とか「好きなことを頑張ってほしい」とか、本当に大切なことのことを考えて、本心を伝えるということだと思います。

おわりに

心とウラハラなことを言ってしまうのは、誰にだってあることです。でも、その真意がちゃんと相手に届くことはないし、時間がたってから後悔することもあるのではないでしょうか。

自分の感情や思いを相手に届くように伝えるには、”本当に大切なこと”を自分自身で知っておく必要があると思います。
自分が望んでいることに正直に、気持ちが伝えられるようになったらいいですよね。

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