ひなちゃんの言葉の引き出し

 ひなちゃんの言葉の引き出しが少しずつ増えてきた。
これまでは、泣き方やタイミングでなんとなく伝えたいことを想像し、当たったり外れたりする中で手探りで通じ合ってきたという感触だったが、ひなちゃんの言葉が少しずつ増え、これまでとは比べ物にならないぐらい意思疎通ができるようになってきた。
 我々にとって言葉のコミュニケーションは最も重要だ。特に、目で追っているものや指差しているものが何かわからない我々の場合、ひなちゃんが伝えたいものを理解してあげられないというもどかしさは常に感じていた。
もちろんそれがなくなったわけではないのだが、これまで全くわからなかったものが少しでも共有できるようになったことはひじょうに嬉しい。
 先日我が家の最寄り駅を通った時に、ひなちゃんが突然
「アンパンパン、アンパンパン」
と騒ぎ出した。
これは今ドはまりしているアンパンマンのひなちゃんなりの相称、というか必死に頑張った結果たどり着いた呼び方なのかもしれないが、来月公開されるアンパンマンの映画のステッカーか何かが掲示してあったのだろう。
ちなみにひなちゃんはまだアンパンマンとは言えない。「アンパンパン」か「アンマンマン」であるところがまた愛くるしい。
 他にもパンが食べたい時には「パン」と言ったり、大好きなヨーグルトを手渡した時には「あててー(開けてという意味)」と言ったりと、日々ひなちゃんの単語帳は更新されている。
 言葉だけではない。ひなちゃんの行動からも、しっかりとした意思表示を感じることが増えた。
 早朝まだ眠くて布団でゴロゴロしていた時のことだ。前日晩ごはんを食べずに寝てしまったひなちゃんは、お腹が空いていたのか寝起きからグズグズしていた。
「ひなちゃんまだ5時やで」
と言っても寝る気配はなく、なんなら布団から抜け出してしまった。
なにをするのかなとぼんやり観察していたら、まず僕の手元に靴下を手渡してきた。「はいまずはこれをはいて」と言わんばかりに。
言われるがままにそれをはくと、今度は僕の手を取ってドアのところまで連れて行き、ドアノブに触れさせた。「はい次はここを開けて」という言葉が聴こえなくても聴こえてくる。
ドアを開けるとそのまままた僕の手を取って台所まで連れて行き、ベビーゲートを開けるレバーのところに触れさせる。ゲートを開けるとさすがにそこから先の台所には立ち入ってはいけないと思ってか、僕を台所に押し込んで自分はご飯を食べるテーブルの方へと颯爽と歩いて行った。
なるほどこれはまいった。言葉が使えなくてもここまで意思疎通ができるのかと妙に納得した出来事だった。
 雨で一度も外出できなかった日には、ママと僕の白杖を玄関まで取りに行き、それを手に握らせてくることもある。これを持ってお出かけしようという意味だ。
外を歩く時に使う杖をそのまま室内に入れないでほしいなあ…という言葉を飲み込んでしまうのは、ママと僕の杖をちゃんと認識して、それぞれに渡してくれるからだ。
 ひなちゃんはもう、我々が目が見えないということを理解している。それは視覚障害という形式上の理解ではなく、この人たちに伝えるにはどのようにしたらよいのかをひなちゃんなりの経験で分析し、考えていることがよくわかる。
これこそが、相手に合わせたコミュニケーションの形だと思う。少なくとも、この人たちは視覚障害があるから手を取って誘導してあげなければならないという「配慮」ではないはずだ。
 このことに気づいた時、嬉しい半面親としてそれに甘んじてはいけないとも思った。甘んじてはいけないと思うことが、すでにひなちゃんの純粋なコミュニケーションを「配慮」として受け取ってしまっている自分がいるのかもしれない。
ただ一つ言えることは、そうして必死に伝えてくれたひなちゃんに対してはっきり感謝を伝えることだ。感謝を伝えるというとなんだか仰々しくなるが、
「ありがとうひなちゃん」

「ちゃんと伝わったよ」
という言葉はこれからもずっと伝えていきたいと思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?