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言葉の定義、してますか?


犬の名は"ネコ"、猫の名は"にんげん"から思った。

帰り道に、熱い視線を感じて目線を向けると、尻尾を千切れそうに振るブラウンのトイプードルさん。その場から離れない様子に飼い主さんも困惑の表情。手を差し伸べてみると、ものすごい勢いで「かまって!かまって!」の立ちポーズ。

「名前は何というのですか?」と飼い主さんに聞いたら、
「ネコちゃんです」と教えてくださいました。

ほぅ。。「ネコ」ちゃん。こんなにイヌなのに。。。。
そういえば、愛子さまの飼われている猫の名は「にんげん」だった。

何が言いたいかというと、「シニフィアンとシニフィエの結びつきの危うさで遊んだ名前じゃなぁ」。。

・シニフィアン:形式媒体(視覚や聴覚、触覚に伝える言語そのもの)・シニフィエ:意味内容(言葉が意味するもの)

シニフィエはシニフィアンと一体化し記号を形成します。今回、この2つの記号で成り立った”言葉”(コトバンク シニフィアン/シニフィエ)、という前提で話します。            

そして思う。今、それを意識する必要がますます重要になっておる、と。

常識が脆弱になり、言葉が意味の負担を背負う

膨大な言語情報が共有され、処理される昨今は、まさに情報の海を泳いでいるかのよう。
その渦の中で、言葉そのものの表現(シニフィアン)と、それが指すもの意味内容(シニフィエ)は、その違いが意識に登ることがないほど、猛スピードで処理され続けています。

(出典)総務省「我が国のインターネットにおけるトラヒックの集計・試算」

しかし、情報の公開や共有が善とされる風潮のなか、真の意味や価値の共有、正しい情報発信を目的とするとき、シニフィアンとシニフィエの結びつきの恣意性が現実として現れてくる。

多様な価値観が共存する社会に、シニフィアン /シニフィエの意識が重要な理由

例えばオフィシャルなコミュニケーションで、目標、締切、短期・長期、など当たり前のような言葉を使って話を進めていたのに、何かがずれている、と感じたことはありませんか?

1. 経験が言葉の意味をつくる

以前、プロジェクトのプロセス期日を計画表を書いた本人が守れないことが続きました。その理由について、ヒアリングしていた時に悪びれない様子にふと「この期日、締切ってどういう意味で書きましたか?」と聞いてみました。すると、「この日までにあったらスムーズだな、と思える日です」とのこと。
Oh... ズレていたのはそこか、、、、。
元々、紙媒体の広告畑出身の私にとって、”締切や期日は絶対守らなければならない”もの(まさにDeadline!)。しかし締切や期日を”目安”とする人たちもいる、発見でした。

こういったことは、プロパー人材だけでプロジェクトが成り立つことが難しい今、多々あると思います。予算は、100%必達のものか、80%目安なのか、短期、長期などのスピード感も、会社によって文化が全く違います。
山というと、日本の子供は木が生い茂る山を描くが、カナダの子供は岩山を描く」と聞いたことがあります。まさにそれ。
言葉の意味はその人の経験から成り立ちます。
人は見たいようにものを見るし、聞きたいように聞く。それも経験が意味を作っているから。

2. 多様化する社会的バックグラウンド

言葉は”同じ概念を持っている”(シニフィエを共有できる)前提で、あらゆる人の間で情報の共有という希望を目指し、分かり合える近い未来に向けて発せられます。
しかし、価値観が多様化する現代では、情報共有の相手は、常に多様。グローバルベンチャーの躍進や人材の世界流通は珍しくなくなり、業界を超えたコラボレーション、働き方の多様性も日々生まれています。つまり、ともに何かをする人は、全く違う環境や時代背景で育った相手ということが単純に増えました。
情報の透明化が叫ばれて久しく、あらゆるものが情報化される今、その先にいるのは、やり取りする想定がなかった背景を持つ相手であり、情報共有と享受の目的や対応の仕方、理解する時間軸など、背負う文脈も前提条件が異なることが多いのです。だからこそ世界観や、ストーリーを明らかにし、発信することが必要とされているのだと思います。

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3. 同じプラットフォーム、異なる経験

前インターネット時代は、地域や職縁の文化は情報の差や遅延によって生まれていました。しかし、インターネットがそれを解体しはじめ、さらにプラットフォーム化やGAFAの躍進で、今、趣味・関心・生き方などで人々は国を超えて繋がっています。
情報は取りに行く時代ではなく、キュレートする時代。溢れる情報の中でそれぞれが自分の触れたい情報を選択するようになって久しい今、もはや”常識的文脈”に郷愁を感じるほど、世の中の価値観は複雑です。言語化されていなかった常識が解体されつつある今、同じプラットフォームに集う私たちの倫理観が重要になるのはうなづけます。

まずは、言葉の定義をしよう

自分の考える言葉の意味や価値の定義を言語化し共有することが、議論をスタートした後の非建設的でデモチベーティブな不和やハレーションを避けるために重要な要素になってきました。
中でも存在することが自明でそれに対する価値観もで共有できるであろうという想定で使われやすい”名詞”は、要注意。育った時代や文化、環境によって、意味づけにズレが生まれやすい危うい言葉の典型です。

"家事"と聞いて、何を思い浮かべますか?
責任、義務、愛情、性別役割分業、女性、、、プライベートなことでさえ、言葉それぞれに持たせる意味や文脈が違います。

同じ話題を話していたはずなのに、マインドセットをしてスタートしたはずなのに、「様子がおかしい」と思う場合は、使っていた共通言語の意味に立ち返りましょう。共通言語は丁寧に定義しておくことが、のちのコミュニケーションと、ストーリー作りをスムーズにします。

言葉がそう呼ばせているだけで、犬という動物そのものは「イヌ」ではないし、猫も「ネコ」という言葉そのものではありません。そのシニフィアン、シニフィエの結びつきの恣意性に想いを馳せる経験が増える今、シニフィエ(犬という実態)がシニフィアンを裏切る(ネコという名)実践は、目の”前にある実態”を改めて見つめさせてくれる、いい示唆だ、と感じました。

(熊本の港にいた鼻の周りの模様がキュートなニャンコ先生)

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