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犯罪王トランプの肖像:マグショットをめぐる小史 【若林恵|深夜特報#02】

2023年8月24日。組織的な選挙妨害を行った容疑で、トランプ前大統領がジョージア州で逮捕された。トランプはアトランタ市内にあるフルトン郡拘置所に赴き、その場で「逮捕され、指紋を採取され、身長・体重などを報告し、顔写真を撮影された」とBBCは報じている

トランプ前大統領が逮捕されるのは今回で4度目、罪状は90を上回るとされる。すでにして珍しくなくなりつつある逮捕劇が大きく世間を賑わせたのは、逮捕そのものよりも、拘置所で撮影された記録用顔写真、俗に言う「マグショット」が公開されたからだった。

逮捕以前から、「トランプのマグショット」は議論の的となってきた。今年4月にマンハッタンで逮捕された際にも、マグショット撮影の有無が論じられた。ニューヨーク・タイムズはこう報じている。

ドナルド・J・トランプ前大統領が火曜日にマンハッタンで正式に逮捕された場合、他の刑事被告人と同様に扱われることになる。 指紋が採取され、犯罪歴を追跡するためのニューヨーク州識別番号が割り当てられる。

しかし事情に詳しい複数の関係者によれば、トランプ氏に手錠はかけられず、マグショットも撮られない可能性が高いという。

ニューヨーク州の法律では、重罪で起訴された人物の指紋は採取されなければならない。しかしマグショットを撮るかどうかについては、警察当局の裁量に任されている。

マグショットは、当局が被告人を特定し、逃亡した場合に発見するためのもので、逃亡者確保の一助として、マグショットは法執行機関、ときにはメディアに配布される。

しかしトランプ氏が逃亡する可能性は極めて低く、数十年間タブロイド紙を賑わせ、人気リアリティ番組のホストを務めた元大統領の顔写真は、どこでも入手することができる。

トランプに限ってマグショットは必要ないというのが、ニューヨーク・タイムズの見解だ。しかし、記事タイトル「トランプのマグショットが撮影されない理由」からも明らかなように、世間はそれを見たくてうずうずしていた。8月24日のマグショット公開は、まさに待望の瞬間だった。

反トランプ陣営は、犯罪王トランプの犯罪者たる証がついに晒されたと言わんばかりに話題に飛び乗った。トランプのマグショットが大型スクリーンに映し出された瞬間、客席が湧き上がり総立ちになるバーの映像がミームとして拡散した。8月26日付のニューヨーク・タイムズのオピニオン記事は、オスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』を引用しながら、トランプの肖像をこう論じた。

ドナルド・トランプのマグショットは、オスカー・ワイルドが描いたカリスマ的で非道徳的なナルシストの「汚らわしいパロディ」であるべきものだ。それは、トランプの獰猛な顔ではなく、腐りかけた魂を映し出すべきものだ。

一方、メディア巧者のトランプは、本来であれば屈辱の一枚であるはずの写真を、すぐさま反撃のツールとして用いた。2021年1月8日の投稿を最後にツイッターから姿を消したトランプは、「X」と名を変えたソーシャルメディアプラットフォームに、自身のマグショットに「選挙妨害/降伏せず」の文言を添えて帰還した

トランプ支持者は、ただちに熱狂した。屈辱の一枚になるはずのマグショットは、むしろ支持者を駆り立てた。先に挙げたバーの映像は、ただちに反転され逆ミームとして拡散した。画像をあしらったTシャツやマグカップが、その日の夜のうちに販売されはじめた。ヴァニティ・フェアウォール・ストリート・ジャーナルは、ヒートアップするトランプ・ファンダムの「マーチ祭り」を皮肉混じりに報じた。トランプ陣営も即座に公式Tシャツの販売を開始した。電光石火のマーチ攻勢は、10億円以上もの資金を集めたとされる。

もっともトランプ公式がマグショットをTシャツに用いたのは今回が初めてではない。今年4月にニューヨークで逮捕された際にオフィシャルのマグショットマーチが販売されている。ニューヨーク・タイムズが上記の記事で予測したとおり、このとき警察はマグショットを撮影しなかった。トランプ公式は、それを逆手にとり、偽マグショットをあしらったTシャツを36ドルで販売した。マグショットはトランプ陣営に利をもたらした。逮捕されるたびにトランプの支持率は上昇した。

準備はすでに整っていた。トランプ自身も、ファンダムも、おそらくは本物のマグショットが投下されるのを心待ちにしていた。眉間にしわを寄せ眼光鋭くカメラを睨む威圧的な表情は、公開後の反響を見越した上で慎重に計算されたものだったはずだ。トランプは屈辱の瞬間を、生涯最高のポートレートを撮るシャッターチャンスへと変えた。

右派左派メディアともに、このマグショットが歴史に残るであろうことに同意している。アメリカの歴史上、元大統領のマグショットが撮影されるのは初めてのことだ。トランプは間違いなく、アメリカのマグショット史に大きな足跡を残した。


マグショットの豊穣な歴史

アメリカは、「マグショットの歴史」という他国にはないユニークな社会文化史を有している。トランプのマグショット公開を受けて、ソーシャルメディア上では、過去の歴史的なマグショットを振り返る投稿が少なからず見られた。

屈辱的なマグショットの系譜には、例えばO・J・シンプソン、ヒュー・グラント、ニック・ノルティ、ジェームズ・ブラウン、リンジー・ローハンがいる。

歴史に名を残すマグショットとしては、アル・カポネ、マーティン・ルーサー・キング、マルコムX、ローザ・パークス、ミシシッピのフリーダム・ライダーズの面々、ジェーン・フォンダの画像などが知られている。アメリカ以外の歴史的マグショットとしては、レーニンやスターリンの写真が残されている。

セレブのアイコニックなマグショットということで言えば、フランク・シナトラ、エルヴィス・プレスリー、ジム・モリソン、ジミ・ヘンドリックス、デヴィッド・ボウイ、スティーブ・マックィーン、キアヌ・リーブス、ビル・ゲイツ、カート・コベイン、エミネム、Jay-Z、ジャスティン・ビーバー等々、枚挙にいとまがない。


歴史を振り返ってみると、マグショットは、それが「犯罪者」(撮影された時点ではあくまでも判決前の容疑者)の写真であるにもかかわらず、否定的には受け止められていないことがわかる。マーチン・ルーサー・キングやローザ・パークスのマグショットに「唾棄すべき犯罪者」の姿を見る人は、いたとしても少数派だろう。左手の拳を掲げたジェーン・フォンダのマグショットは70年代のフェミニズム運動を象徴する写真とされている。社会史的な意義はなくとも、フランク・シナトラのマグショットは、現在もポスターとして売られるほどいなせだ。キアヌ・リーブスのマグショットは、その後撮られたどんなポートレートも凌駕する魅力を放っている。マグショットには、ほかのあらゆるポートレートとは決定的に異なる何かがある。


ジェーン・フォンダ
Cleveland, Ohio, US, 3rd November 1970.
Photo by Kypros/Getty Images
キアヌ・リーブス
US, 1993.
Photo by Kypros/Getty Images
カート・コベイン
Aberdeen, Washington police, May 1986.
Photo courtesy Bureau of Prisons/Getty Images
アクセル・ローズ
Lafayette, Indiana, July 1980.
Photo courtesy Bureau of Prisons/Getty Images
リル・キム
New Jersey, July 1996.
Photo courtesy Bureau of Prisons/Getty Images


メンズカルチャー誌のエスクァイアは、2016年に「犯罪史に残る、最もスタイリッシュなセレブリティ・マグショット11」という記事すら掲載している。マグショットに映し出されたセレブはファッション・アイコンですらある。

セレブだけではない。オーストラリアのニュー・サウス・ウェールズ警察で主に1920年代に撮影された市井の犯罪者たちの写真群は、おそらく世界で最もスタイリッシュなマグショット・コレクションだ。スタイリング、ヘアメイク、表情、構図のすべてに目を奪われる。ファッションフォトと見紛うばかりの写真は、BBCのTVドラマ『ピーキー・ブラインダーズ』の衣装考証において参照されたほか、故カール・ラガーフェルドにもインスピレーションを与えたとも言われる。2017年にはシドニー博物館で展覧会も開催された。


ベルティヨンの発明

そもそも警察が容疑者の写真を撮影し、事件資料として保管するようになったのは19世紀半ばのことだという。写真という新たなテクノロジーを犯罪捜査に役立てることを世界に先駆けて取り組んだのは、パリ警察だとされる。

マグショットの起源を語るにあたって、パリ警察のアルフォンス・ベルティヨンという人物の名がよく言及される。ベルティヨンは、しかしながら、マグショットの生みの親ではない。人類学を学んだベルティヨンがパリ警察で最初に任された仕事は犯罪者の写真の管理だった。

容疑者の写真が犯罪捜査に導入されたのは、累犯者を特定するのに役立つと考えられたからだった。ある事件の逮捕者が警察に連行された際に、写真のアーカイブのなかから同一人物を探し出せるようにすることが当初の目論みだった。

しかし、1874年に開設されたパリ警察写真局の写真データベースは、マグショットを撮り始めてわずか8年で7万5000点にまで膨れ上がってしまう。ベルティヨンは、そのデータベースから累犯者を探す任にあたっていたが、「被告がひとり連れられて来るたびに、7万5000枚を順番に調べろとおっしゃるのか? 絶対に不可能だ」と、至極もっともな悲鳴をあげたとされる。

ベルティヨンは、その非効率を打破すべく一計を案じた。ベルティヨンのイノベーションは、写真を捜査に導入したことではなく、むしろ撮った写真をどう分類するかにあった。ベルティヨンは、それまで名前のアルファベット順に整理されていた資料を、身体的特徴に従って分類することを提案する。

表象文化論を専門とする橋本一径の『指紋論:心霊主義から生体認証まで』は、生政治の歴史を認証技術の発展・受容史から辿った画期的に面白い本だ。橋本はこの本でベルティヨンのアイデアをこう解説する。

問題なのは犯罪の記録を記したカードが、アルファベット順に分類されているため、名前がわからなければ記録に到達できないということだった。そこで仮にパリの警察に保管されている七万枚の写真付きカードを、アルファベット順ではなく、人体測定法によって文類することにする。これらのカードから女性や子供の分を除くと、六万枚の成人男性のカードが残る。この六万枚の全体集合は、まず被写体の身長にしたがって、「大」「中」「小」の三つのカテゴリーに分類される。(中略)

 続いてこれらの二万枚のカードを、それぞれ今度は頭骨の長さ(額から後頭部までの直線距離)によって、再び「大」「中」「小」に三等分すると、各集合は約6000のカードからなる部分集合へと分割される。それらをさらに頭骨の幅、中指の長さ、足の大きさ、というふうに、項目を増やしてその都度三等分していけば、やがて全体はごく少数のカードからなる多数の集合へと分割されるというわけである。このようなやり方ですでにカードを分類された人間が、しばらくして再び逮捕されたとする。たとえこの人物が名前を偽ったとしても、再び身長や頭骨などを計測して、対応する集合のなかを探してみれば、以前の逮捕時に作成されたカードと写真を、比較的容易に見つけだすことがでくるという理屈である。

橋本一径『指紋論:心霊主義から生体認証まで』


このように容疑者たちの身体を計測し、その特徴にしたがって分類する方法は「人体測定法」と呼ばれる。トランプがジョージア州の拘置所で、身長と体重を申告することを求められたのは、おそらく、この人体測定法の名残りだろう。報道陣によれば、トランプの自己申告による身長と体重は、俳優のクリス・ヘムズワースのそれと同じだったことから虚偽申告を非難された。とはいえ、正式に計測もしていない自己申告の情報が記録されているところに、マグショット撮影を含めた逮捕における手続きが、むしろ儀礼・儀式と化していることが伺われる。

いずれにせよ、ベルティヨンは、ほどなく数万点のデータベースのなかに累犯者を見つけ出すことに成功する。さらに、1887年までに6万件以上の測定を実施し、そのうち約1500人が偽名を用いていたことを特定する。この過程で、ベルティヨンは、もちろん、写真を撮影する方法も「科学化」した。

必要なのは、被写体や環境の変化に左右されることなく、いつでも同じようなポートレートを撮ることのできる写真技術である。撮影環境の方は、照明やカメラからの距離を常に一定に保つことによって、ある程度達成できるはずだ。被写体については、「人間の特徴のなかでもっとも変化の少ないものに注目しなければならないのは当然であろう」。レンズに対して真横に向いた横顔が撮影されるのはこのためである。「輪郭線のはっきりした横顔こそが、各々の顔に個体性を与えている」。髪型の変化、目つきの違い、皺の有無などに惑わされることなく、同一性を吟味できるのは、横顔の輪郭線だけである。加えて、横顔には、耳も一緒に撮影できるという利点がある。

橋本一径『指紋論:心霊主義から生体認証まで』


その後のマグショットの基本様式となった横顔の撮影は、ベルティヨンの発案だった。しかし、彼が実施した「人体測定法」は手間がかかるものだった。加えて、写真や計測だけでは「それがその人物である」ことを立証するには不十分だった。写真はせいぜい、それがある人物に「似ている」ことしか明かせない。そこに指紋捜査という画期的な手法が登場する。指紋は、写真が到達できなかった「人物の同一性」を客観的に特定することを可能にした。マグショットの有用性は低下した。

ジョージ・セミナラの著書『マグショット:ハリウッド犯罪調書』は、ニューヨーク市警が指紋鑑識を導入したのは1903年だとしている。その後、それは「野火が広がるように猛烈な勢いで世界中に普及し、1920年代までにベルティヨン式身体計測法を駆逐してしまった」と書く。

アメリカに現存する最古のマグショットは、ミズーリ歴史博物館に残るもので、1861年に撮影されたものとされる。アメリカの法執行機関は、パリの最先端の捜査手法をいち早く導入していた。であればこそ、指紋の登場によるマグショットの退潮がいち早く察知されていてもおかしくはなかった。しかしアメリカにおいて、マグショットは以後100年以上も廃れることがなかった。

アメリカの法執行機関は、撮影したマグショットを積極的に公開することで、それを文化として社会に定着させた。19世紀以来、アメリカの警察では容疑者たちのマグショットを市民にむけて公開する「ならず者のギャラリー」(Rogues' Gallery)が一般化した。市民は、好奇心と怖いものみたさに駆られながら、警察が公開するマグショットを楽しみながら鑑賞したという。以後、マグショットはアメリカの情報生活において、ごく最近まで極めて身近なものであり続けてきた。

また、マグショットをめぐって20世紀に入って起きた大きな変化は、それまでは外部の写真家が撮影していたマグショットが、警察自身によって内部で撮影されるようになったことだとセミナラは書いている。ファッションフォトと見紛うような、オーストラリアのニュー・サウス・ウェールズ警察のコレクションに見られるスタイリッシュなマグショットは、こうした事情によって消え去ることになった。しかし、警察が撮影した素っ気ない即物的なマグショットは、その「生々しいリアリズム」ゆえに、大衆のより生々しい注目を集めることになったとセミナラは指摘する。

ベルティヨンの「人体計測法」に基づいて左手中指の長さを計測中
撮影=アルフォンス・ベルティヨン 1893年頃
Photo by: Sepia Times/Universal Images Group via Getty Images


抑圧のツールとしての写真

NBC Newsは、ジョージ・フロイド事件と、それに続くBlack Lives Matterのプロテストを受けて、「マグショットに反対する:人種差別的警察機構による非人間化ツール」というオピニオン記事を2020年に掲載した。記事はマグショットの撮影と一般公開がもたらした歴史的な害を訴える。

マグショットが、逮捕という人生における危機的状況、恥辱、絶望のなかで強制的に撮影されたものであることが、公共の場で十分に理解されていない。逮捕され拘留された人物は、起訴されたとはいえ、まだ有罪判決は受けていない。汚名が図像化されることで撮影された人物には罪の意識を植えつけられる。写真は警察のファイルに残され、後日、警官が容疑者候補を捜索する際に引っぱり出される。

マグショットの歴史は、犯罪者のタイプ(多くの場合は、支配社会における民族的、人種的、宗教的マイノリティ)を分類する上で写真が役立つツールになりうるという、人種差別に基づく疑似科学的な理論に根ざしてきた。

「人種差別に基づく疑似科学的な理論」と非難されているのは、まさにベルティヨンの「人体測定法」だろう。橋本一径は、ベルティヨンが導入した手法が、当時の人類学の知見を踏まえたものであったと説明している。

人体測定法があくまで分類のための手段であることは、この手法を人類学から援用したベルティヨンにとっては、当然の前提であったと言えるのかもしれない。人類学において人体測定法とは、もっぱら人種を分類するための手段であったからだ。たとえばベルティヨンの父ルイ=アドルフとともにパリ人類学会を創設したメンバーのひとりだったポール・ブロカが着目するのは、黒人とヨーロッパ人の前腕の長さの違いである。1858年の秋、自然史博物館に所蔵されている15体の黒人と9体の白人の人骨を精密に計測したブロカは、上腕骨の長さを100とした場合の橈骨(二本の前腕骨のうちの一本)の長さは、黒人が平均で79.40であるのに対し、白人は79.93であるという数値をはじき出している。

橋本一径『指紋論:心霊主義から生体認証まで』

NBC Newsの記事はついで、アメリカでのマグショットの隆盛において、ニュースメディアが果たした役割の大きさを指摘する。

報道機関は、マグショットを掲載し続けることで発行部数を増やしてきた歴史をもつ。メディア研究者たちは、報道における人種的偏見、とりわけ黒人容疑者のマグショットの掲載方法を調査してきた。メディア監視団体メディア・マターズ・フォー・アメリカと、アフリカ系アメリカ人権利団体カラー・オブ・チェンジは、毎晩のニュース放送や犯罪記事が、黒人の犯罪を不必要なまでに取り上げてきたと指摘する。こうした報道は黒人と犯罪を不用意に結びつける。また新聞は、黒人、特に黒人男性と犯罪に関わる記事を大きく取り上げる傾向があり、こうした報道が黒人の現実の生活に広く影響を与えているとする研究もある。

ここ数十年、オンライン・データベースやゴシップ誌、その他のポピュラー・カルチャーのなかで流通するマグショットは、大衆がいかにそれに魅せられているかをも明かしている。大衆はマグショットを通して、逮捕・投獄された人々を有罪であり刑罰に値する存在であると認識するが、社会学者のミシェル・ブラウンはそうした観衆を「刑罰観衆」と呼んでいる。

当初想定されていた犯罪捜査への貢献が早い段階で期待されなくなっていたにもかかわらず、マグショットがかくも長く生きながらえたのは、その図像が市民にもたらす効果が絶大だったからだろう。そして、その効果は政治化された。

ようやく近年になって、アメリカでもサンフランシスコやニューヨークといった地域では、マグショットの撮影や公開が控えられるようになった。アメリカ中で知らない人はいないトランプの顔写真を、警察が撮影する理由はどこにもない。にもかかわらず、それが議論の対象となるのは、相変わらずマグショットの効果が絶大であることの証左にほかならない。

NBC Newsの記事は、マグショットの公開規制の2020年時点での状況を、こう説明する。

今年、ヒューストン・クロニクル紙が、この慣行を公式に廃止した最初の主要報道機関となり、他の数十社がこれに追随している。(編集部注:NBC Newsは編集者やプロデューサーに対して、マグショットの掲載を減らし、編集上の強い理由がある場合にのみ公開するよう指示している)

ジョージア州で公開されたトランプのマグショットは、他メディア同様、NBC Newsにも掲載された


「社会の敵」だけが社会を規定する

マグショットが、アメリカの法執行機関にとって格好の人種抑圧ツールとして用いられてきたのは、NBC Newsの記事が指摘する通りにちがいない。一方で、キング牧師やローザ・パークス、あるいはジェーン・フォンダらのアクティビスト/プロテスターたちのマグショットが、政府や体制に対する抵抗のアイコンとして流通してきたのも事実だ。マグショットは屈辱の表象である一方で、国家や体制への叛逆の表象でもある。マグショットにおいて屈辱と抵抗は、コインの裏表をなしている。それはまた、現代社会における犯罪者という存在の両義性とつながっている。

20世紀は実際、犯罪者に強く魅せられてきた世紀だった。ドイツの詩人/批評家/ジャーナリストのエンツェンスベルガーは、1964年の名著『政治と犯罪』で、ドミニカ共和国の独裁者トルヒーヨから、ロシアのテロリスト、アル・カポネといった犯罪者を俎上にあげ、現代社会と犯罪者の関係を分析する。まえがきにあたる文章で、エンツェンスベルガーは、「犯罪者は、現代の神話の基本的な構成要素のひとつである」と書いている。

ぼくらの想像力の中で犯罪者が占めている地位は、かれのリアルな意味ともかれの行為とももはや一致せず、事実上かれの生活からはもはや解釈がつかない。ぼくらがどんなに熱っぽくかれのことを気にし、かれとたたかうためにどんなに巨大な機構を動員しているかは、ふしぎなほどであり、謎めいている。犯罪者は、非合理なまでにジャーナリズムの寵児だ。ぼくらの新聞の見出しを見れば、ありふれた殺人事件のほうが、ある程度遠くで起こっている戦争よりも以上にぼくらの心を動かし、騒がしていることがわかる。まして、まだ起こっていない戦争、準備されているにすぎない戦争にくらべたら、つまらぬ犯罪者への関心は絶大だ。

いまであれば、「ある程度遠くで起こっている戦争」を「ウクライナでの戦争」に、「まだ起こっていない戦争」を「中国との戦争」に、そして「つまらぬ犯罪者」を「トランプ」に置き換えて読むのがふさわしいだろうか。エンツェンスベルガーはついで、犯罪者に対する熱狂のメカニズムを、こう分析する。

犯罪者は罰を受けるときだけ万人を代理するのではない。かれはすでにその以前から、委任状をもらわないまでも、万人の名において行動しているのだ。というわけは、かれは誰しもがしたいと思っていることを、しているにすぎないのだから。しかも、かれはそれを自力で、つまり国家の許可なしに、やってのける。人が自己に禁じていること──それが禁じられていて、まだ命令されていないかぎりは、禁じられていること──を、かれがしてはばかられないことにたいする憤懣、この憤懣をしずめるために、人は同じことで同じことに報い、代理者の行為を代理者にたいしてくりかえす。むろんこのくりかえしも、自身の手ではなされず、国家の手で、つまりまたしても代理人をつうじて、なされる。各人は、現実にはできないことを、象徴的なかたちで二倍にしてもらう──犯罪者の行為への関与と、かれの処罰の関与をつうじて。殺人者と絞刑吏が、ぼくらがしたいともしたくないとも思っていることを代わりに引き受け、そうしてぼくらに道徳的なアリバイを作ってくれるばかりか、道徳的な優越感までもあたえてくれる。多くの犯罪者、とくにこの分野のスターにたいして、ときとして公衆のなかにきざす、無意識の感謝の念は、そのことと関連しているかもしれない。

過去の犯罪者たちのマグショットを眺めるときに感じる感情のなかには、たしかにことばにならない葛藤がある。憎悪と憧憬。あるいはそこに「感謝の念」さえあると言われれば、そんな気もしなくもない。マグショットは謎めいたパラドクスだ。そしてエンツェンスベルガーは、それが法というもの自体が孕むパラドクスであることを、ヴァルター・ベンヤミンの「暴力批判論」を踏まえながら説明する。

法は、その枠外の不法を見ることによってはじめて定義され、法として認識される。「道徳的制約」なるものは、なんらかの挑発にたいする答えとしてでなければ、考えようがない。この意味で、始原の犯罪は、疑いもなく創造的な行為だ。

法はアウトローの存在によって、はじめて定義され、法として認識される。別の言い方をするなら、犯罪者の姿を通して、わたしたちは国家というものの姿を目の当たりにする、ということでもあろう。あるいは、社会の敵だけが、社会を規定する。

トランプがアメリカの政治を恐慌に陥れ、民主党のみならず、とりわけ共和党の一部から蛇蝎のごとく嫌われているのは、かれがエスタブリッシュされた制度の枠外から、それまで隠されてきた国家の本当の姿を浮き彫りにしたからではないか。

真実であろうとなかろうと「アメリカ政府はディープステートが棲息する沼である」と語ることで、トランプは自らをアウトローの身においた。であればこそ、トランプが必要としていたのは、犯罪者としての、国家からの公式な承認だったとも言える。トランプのマグショットは、その意味で、待ちに待ったお墨付きだったのかもしれない。

アル・カポネ
Miami, 15 January 1931.
Photo by Daily Herald Archive/National Science & Media Museum/SSPL via Getty Images
マルコムX
Boston, 1944
Photo by Bettmann / Getty Images
ヨシフ・スターリン
Baku, Azerbaijan, 1910  
Photo by Fine Art Images/Heritage Images/Getty Images

ルイス・パウエル(リンカーン暗殺計画のメンバー)
1865.
Photo courtesy Bureau of Prisons/Getty Images


これは決して終わりではない

The Atlanticはトランプのマグショット公開翌日に、「このマグショットは警告である」と題した論評を公開した。マグショットの歴史を振り返りながら、記事はこう書いている。

マグショットは長い間、政治的メッセージとして使われてきた。ジョン・ルイス、ジェーン・フォンダ、トム・ディレイの写真を見るといい。トランプのマグショットは、無言のメッセージであるよりも、見た者すべてに対する脅迫のようにも見える。マグショットの本来の機能は、逮捕された人物が後に別の犯罪で告発されたときのために照合できるようにするところにある。世界で最も知られたトランプの顔を記録し保管しておく意味はない。であればこそ、写真は象徴であり、何かの前ぶれでもある。それは、これが決して終わりではないことを暗示している。危機を孕んだその顔から、わたしたちは決して目を背けることができない。

トランプは、この逮捕劇がバイデン政権による司法の私物化による「魔女狩り」だと非難する。8月26日のNewsweekが報じた調査は、トランプの言い分にならって、この逮捕劇が2024年の大統領選の選挙妨害であると考える有権者がどの程度いるのかを伝えている。

レッドフィールド&ウィルトン・ストラテジーズの世論調査によると、アメリカ人の平均59%が4件の逮捕は選挙妨害であると考え、19%がそうではない、22%がわからないと答えたという。

前回トランプに投票した回答者のうち、65%は選挙妨害だと答え、そうではないと答えたのはわずか10%、わからないと答えたのは25%だった。注目すべきは、2020年のバイデン投票者の58%が、トランプの逮捕が選挙妨害だと考えていることだ。

トランプの逮捕は選挙干渉にあたるという見方は、調査対象となったすべての年齢層で一定の回答者を得たが、若い有権者は前大統領に対して最も冷淡だった。

また、中国共産党の機関紙「人民日報」傘下の「Global Times」は以下の論評を公開し、高みの見物を決めこんだ

中国外交大学教授のLi Haidongは、トランプのマグショットは、過去数年間トランプがしてきたように、米国社会をさらに分極化させるだろうとGlobal Timesに語った。

「アメリカ政治の病が生き生きと印象的に世界に提示されたことは、中国から見れば、面白いエピソードです。アメリカの政治はますます過激化し、ますます不合理になっています。残念なことですが、他の国で起きれば狂っているとしかいいようのないことが、アメリカでは当たり前になっています」

清華大学国際安全保障戦略センターの研究員であるSun Chenghaoは、トランプに対する法的/政治的な攻撃は明らかで、トランプ陣営は効果的な対応をしたと見る。

「選挙戦が近づくにつれ、アメリカ社会の分極化と敵意は増幅されます。候補者たちは制度を利用してお互いを攻撃し、抑圧し合い、選挙を真に適格な指導者を選ぶものではなく『最も悪質でない者を選ぶゲーム』にしてしまっています」

マーティン・ルーサー・キング
マグショット撮影の様子
Alabama, February 21, 1956.
Photo by Don Cravens/Getty Images