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たとえば、そう…「近況報告」とか


こんにちは、お久しぶりです小原です。
世間ではGWなるものが終わり、何物でもない毎日が続いている頃かと思います。これから益々寒くなるころと思いますが、いかがお過ごしでしょうか。

私といたしましては、将来の得体のしれない不安が漂いつつも、植物を愛で、書物を愛で、余裕しゃくしゃく滋味たっぷりの日々を送っております。特にドラゴンフルーツ(ピタヤ)(DF)の新芽がとても可愛いので皆さんに見せちゃおうと思います。

まだまだたくさんいますので欲しかったらあげますよ。

さて、今回のブログはいつものように取り立てて語ることがないので、生存報告と近況報告だけしてサラッと終わっちゃおうかなと思います。それはそうと、「近況報告」って僕、すごい嫌いなんです。皆さんも、久しぶりにあった友人と「え?今何してんの?」と会話の流れで近況報告をすることがあると思います。今学生でこんな勉強をしているとか就活中だとか、やれこんな仕事をしているだとかを語るのが定石とされていますよね。「近況報告」って結局のところ、近況というよりは本業の紹介なんですよ。

毎日が原稿用紙の余白みたいな日々を送っている僕にとっては、本業?うーん…趣味の園芸かな?といったなんとも頼りないことしか言えないわけです。「近況」って「最近の身の回りの様子」という意味ですから、何もかしこまって真面目なことを話さなくてもいい。「近況報告」ってもっと自由であるべきですよね。自分の肩書や能力の報告じゃなくて今週あった良いこと、面白いことについて報告したい!

たとえば、そう…

「姉とクラフトコーラを作った話」とか

うちの姉貴は一人暮らしをしています。割とすぐに帰ってこれる距離に住んでいるので程よい週末を見つけては2、3日帰省します。よく母は姉の帰省を「嵐のよう」だと表現するのですが、まさにその通りでございまして、彼女は嵐のように現れ、嵐のようにかき乱し、嵐のように去っていくのです。

かき乱し…というと何やら悪いことのように聞こえてしまいますが決してそんなことはございません。かき乱すというより寧ろ、攪拌とか、風通しとかそういった中立的から肯定的な範囲の言葉のほうが適切かもしれません。風通しというには少し風が強すぎるかとも思いますが。

我が家の嵐である姉がなぜ嵐であるかというと、それは彼女の哲学とその実践にあると言わざるを得ないでしょう。「最大幸福」と「メタボリズム」が彼女の行動原理の二つの柱となっています。

「最大幸福」と聞くと、ベンサムの「最大多数の最大幸福」が思い出されるかと思います。あえて「最大多数」とつけないのは単純に彼女の理想が彼女の手の届く範囲で実現されればいいと考えられているからです。よく姉は僕にグミやらポテチをくれるのですが、
「アンタのほうがおいしく食べられるでしょ」
と言って渡してきます。
まあ、僕のほうがグミやポテチは好きなのですが、別に彼女が嫌いというわけでもないのです。自分の幸福の次点で他者の幸福を考える僕とは違って、この人は理想を追求する真の意味での利他主義者なのだと感心しています。


もう一つの柱である、メタボリズムとは英語で代謝のことです。彼女は物質の循環や刷新をこよなく愛します。「断捨離」といえばわかりやすいでしょうか。彼女はものを捨てることに躊躇がありません。古いものを捨て自身を取り巻く環境が洗練されていくことに喜びを覚えます。彼女のターゲットはものに留まらず、データ、友人、色に至るまで(モノクロ化)、その範囲を次々と拡大していきました。ここひと月でパソコンを二度も初期化したそうです。(?)

「初期化したところで、必要なアプリを入れなおすんだから面倒じゃないの?」と僕が尋ねると

「君、わかってないなあ。初期化した後に新しく必要なアプリを獲得することに意味があるんだよ。」と言ってのけるのでした。

彼女がただの断捨離快楽主義者と一線を画すのはこの点でしょう。彼女は全てを棄てることで真に必要なものを再認識しています。ただそこにあるから使うといった、なあなあな状態は、自分が「使う」という意識が欠如した物質に隷属している状態です。それを自らの手で要不要を選別し、所有を再構成します。彼女は主体的に生きるために物質の隷属から脱却し、物質を改めて支配します。彼女が「インストールすることに意味があるんだよ」と述べたのは、自身の力で獲得したものだからこそ価値があると考えるからです。ちょうどアメリカが自らの手で勝ち得た「自由」を尊重するように。

彼女は我々が失いがちな自由意志の確固たる獲得を達成しました。

「私がこのアプリを使うから、このアプリは存在するのだ」



要するに彼女の行っていることは、次々と古いものを捨て新しいものを取り入れるという作業なわけです。これは「ごみを減らそう」や「ものを大切にしよう」といった現代のスローガンとは相反するものに思えます。しかし、彼女の起こす一連の流れに確かな合理性があるのもまた事実です。

そもそも代謝とは、生物の用語で物質の「異化」と「同化」の二つの生理作用を統合した概念です。それぞれ「異化」とは物質をより簡単な構造に分解すること、「同化」は物質をより複雑な構造に合成することであり、生物においては食物を分解し、体組織を合成する、といった意味合いで用いられます。

人間が食べ物を消化し排泄する過程を考えるとわかりやすいですが、我々は食べ物を糞便にしてそっくりそのまま捨ててしまっているわけではないですよね。エネルギーを吸収するために、食べては捨てといった消化活動を繰り返します。全ては得るためです。

物や情報を取り扱う場合においても彼女は同じことをしています。彼女が得て、捨て去ってきたものの中から、確かに何かを経験し獲得している。先ほど自由意志の獲得を示してみせたようにです。

われわれはつい、蔵書やコレクションなど蓄積したものに価値があり、自分の「身になっている」と錯誤しがちです。しかし、彼女に言わせればそういった蓄積は循環の糞詰まりでしかなく、代謝され彼女の中を通り過ぎたものこそが己の血肉として真に蓄積されるのです。


さて、姉が嵐のように何をするのかということを説明していませんでしたね。彼女は帰省するたびにウズウズと家じゅうの物を整理したい、調味料を使い切りたいといった衝動にかられて、毎度変革を起こして帰っていきます。食器や調味料の配置が大幅に変更されていたり、溜まりに溜まっているストックの調味料やら洗剤が「さっさと使え」と言いたげに、これ見よがしに陳列されていたり。勝手に捨てるとトラブルが発生するので、重複した物品を整理整頓を通じて可視化し、使用を促し代謝を促します。家族の「最大幸福」のために「メタボリズム」を行使します。

なぜ姉がこのような人間になってしまったのか、思い当たる節は多々あるのですが、高校時代一緒に暮らしていたころはここまで過激な行動は起こしていなかったとは思います。これは多くの人間に広く言えそうなことだと思いますが、少年・青年期というのは個々人の特質の方向性が決まる段階で、18以降になってから、その傾向が行動となって一気に発現するのではないでしょうか。

こんまりさんの断捨離の本を読んでいたりだとか色々と兆候はあったわけですが、彼女が風の暴君として我が家の物質を支配し始めたのは、彼女が大学生になって以降一人暮らしを始めた後でした。まあ、これは我が家の物が多すぎることに大半の責任があるんだけどね。

先ほどお見せしたドラゴンフルーツに少し似ていますね。
写真のDFは一般的な双葉の形をしていると思いますが、彼らはれっきとしたサボテンの仲間です。あんな奇特な棘を持ったサボテンも被子植物の約80%がそうであるように双葉からはじまるのです。どんな人間になるかは大人になるまでわかりません。


さて、そんなこんなでクラフトコーラを作ろうという話になります。全ては「メタボリズム」と「最大幸福」のためです。余った食材で通なデザートでも作ってやろう、とそういうわけです。
我が家で余っているのは
・スパイス
・砂糖
・米粉、小麦粉
・とにかく粉!粉!粉!
なのでクラフトコーラは余った砂糖もスパイスも消費できる妙案というわけです。

「いい試みですね」と僕が賛辞を贈ると
「アンタもやるんだよ」と言われてしまいました。
「はい。」

作り方は簡単です。
・レモン
・クローブ
・シナモン
・カルダモン
・スターアニス(八角)
・大量の砂糖
これらを水に入れて沸騰させ弱火で10分煮るだけ。すぐに真っ黒なコーラの原液が出来上がるので炭酸水で割っておいしくいただきましょう。ちなみに余ったスパイスの出涸らしで紅茶を入れ、ミルクティーにするとめちゃくちゃうまいチャイにもなるのでオススメですよ

カルダモン・八角・シナモン


コーラって飲み物というか煮物というか出汁なんですよね


コーラの粘性が高すぎて全くシュワシュワしません


その横で母が
・米粉
・豆腐
米粉パンを同時並行で作ってくれました。
「これだけで出来るの?パサパサにならない?」と聞くと
「この二つで出来るって書いてあったんやもん」と母は強情です。
しかし、コーラをゆでている間に母がボウルにいそいそと豆乳を投入しているところをチラッと横目で見てしまいました。
結局パサパサの団子みたいな何かが出来上がったのですが、意外にも素朴で嫌味がなく癖になる味でした。
「これカレーに合うよ、スパイスカレー」と姉がモゴモゴ言ってました。
あなたカレー好きねほんとに

米粉パン

たくさんの食材を消費できて姉は大変満足そうな表情をしていました。我が家の物が代謝され、僕たちの体内でも食材となって代謝される。もちろんこの思い出も。僕の血液には甘くて黒々としたGWが流れていることでしょう。


さて、以上が僕の近況報告になります。大半が姉の話じゃないかってツッコミを入れたくなる気持ちもわかります。ただ、冒頭にも述べた通り僕の日々は「余白」なので本文は僕の身の回りの家族の話になるわけです。実は、中学のころから「人生の目的地」と標榜してきたしまなみ海道を遂に走ってきたりだとか、大雨に振られて伊豆大島を一周したりだとか、貧困生活に備えて雑草ハンターになったりだとか、英語の話せないイギリス人やウガンダ人のYouTuberに絡まれたりだとか、話そうと思えば話すことは色々あるにはあるのですが面倒なのでやめておきます。いずれラジオで紹介するかもしれないのでそっちをチェックしてください。

皆さんも春になって新生活、新しいことを始めるのもいいですが、古いことを捨てるのも悪くないんじゃないでしょうか。進みも退きもしない私が陰ながら見守っておきますよ。それと最近聴いている楽曲を、これも近況として。

「で、君は最近どうなのよ」

オハラ






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