もう、もどれない

 あぁ、もう、もどれない、これを目にしたあなたは、もう戻れない。
 悪いことではないと思う、が、危機を感じるなら今すぐこれを閉じるといい

 まぁどっちにしろ、もう戻れないと思うけど





 愛すべき友人オハラ、彼の母上の口癖に、「かえってこれなくなる」という言葉があると聞いた。

 私が嫌悪する母、夜の海を前にすると、「連れていかれる」感じがすると話していたことがあった。その言葉一点でのみ、私は母の感性を信頼した。


 決定的な瞬間というものは明らかにある、湿った空気から、雨が降り出す瞬間のように。雨が降り出したら、もう、戻れない。


たま「海にうつる月」

 戻れなくなるのは、いつも海だった。

 あまりにも死に近い場所、静かな瓦解が起こる場所


Lamp「さち子」

 手の隙間をすり抜ける如く去る人魚姫が在る。
 
 「海にうつる月」が瓦解であったなら、「さち子」は融解である。
 
 海に融けゆく"私たち"
 その繋がりは、複数のindividualが、同じ時間を過ごしたことがあるというただそれだけを根拠にして結ばれる、脆くも確かな繋がり


リーガルリリー「ぶらんこ」

 決定的な不可逆がある。

 もう昔のようには会えない。これがおそらくは、最も身近で、最も致命的な不可逆

 関係の亀裂、変質

 「今までどんな風に話してたんだっけ」


オフコース「秋の気配」

 「こんなことは今までなかった」といういかにもロマンチックな言葉が、別れの場面で使われようとは

 関係の終わりを自分だけが確信する、リムショットは淡々と進む時間をグロテスクに表現する、決定づけられた終わりが刻一刻と近づいていく。
 終わりを確信したらあとは終わるだけである、それを知ってからの時間の残酷さを私はよく知っている。




羊文学「あいまいでいいよ」

 件のOBライブで、部長バンドがやっていたのをよく覚えている、彼女と別れた翌日だった、だから妙に鮮明に覚えている、1番サビに4小節早く入りかけたとか、そういうことまで

 これを聞いて思い出すのは、ライブ当日よりもむしろ、そのままカラオケで一晩を過ごし、そのあとに関口と千葉みなとの海に行った、あの朝方の空気である。
 20歳まで外泊を禁じられ、20歳になってからはしばらく感染症がはびこっていたから、初めて終電過ぎまで家に帰らなかったのがその日だった。そして、親への嫌悪に明確に気づいたのがその日だった。


 思えば、今の生活は、件のOBライブによって方向づけられている。



 終わる歴史があれば、続いていく歴史がある。
 そして、そのように歴史を語った当人によってまさに示されたように、終わったはずが続いていた歴史がある。

 歴史はいつも変わり得る、ただし、歴史を決定づける分水嶺は明らかにある、その事実性が変わることはない。

 高校時代は確かに続いていた、それを確信せしめたのが、他でもないあのライブだった。あの高校も、あのライブも、経験しなかったことにはできないもので、だから残された私の時間は、これらに対して不断の解釈を与え続けることに費やされるのだろう。
 時間は流れるが、不可逆とはただ時間が流れることではない、ある決定的な一点、その点の先にある生活、これのことなのだ!!!







 この身体は、それを経験しなかった身体に戻ることができない、その連続こそが、この世界で生き続けるということなのだろう、私に、あなたに、この不可逆を引き受ける覚悟はあるか?

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