お掃除旅行のすゝめ

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。
されども今、広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、その有様雲と泥との相違あるに似たるはなんぞや。
賢人と愚人との別ははるくとはるかざるとによりてできるものなり。

賢人と愚人の区別の存在しない世界においても、やはり他人の目の中にある世界は、自分のものとは別物のように思えます。ですから、もし他人の見ているものをそのまま覗き見ることができれば、それはとても不思議な世界へ旅をすることと同じことに思えます。

以上はただのいい加減な導入です。必要のないものを愛しているので。
個人的には、掃除をすることによって人々に格差が生まれるかどうかは、掃除をしない人にだけ考える意味があると思いますが。。。

本編

 なんとなく掃除を始めてしまって、数時間が経過していることが、最近よくあります。
 
 こういうのって自分の部屋を掃除していると、裁ちばさみとか鉛筆立てとか昔使っていた便利アイテムが押し入れの奥から出土したりして、「他の部屋に置いとこ」くらいのつもりで移動した先で、また掃除を始めてしまうんですよね。

 そういうのだけじゃなくて、昔自分の使っていたノートやら課題の作文やらが出てくると、ノスタルジー全開の気持ちで読み始めてしまうので、いつの間にか数時間が過ぎているという現象が起こるんです。

 僕も最近では擦れた大人の仲間入りをしつつありまして、時間と金銭の価値比較をスムーズに考えるようになってしまって、数時間のロストに若干むなしさを感じています。

 けれどもその出土品を検分してみると、もうあまり覚えていないほど幼いころの自分の趣味趣向とか、その頃考えていたこととかが刻まれていたりして、自分の脳内を旅行しているみたいでオモシロ楽しいので、お掃除旅行のオススメをします。

夏休みの宿題

って、みなさんどのくらいで終わらせていましたか?

偏見ですが、この回答は両極端に分かれると思います。

7月中に終わらせる
8月中頃から後半まで手を付けない

 この2つのどちらかではないでしょうか。意外と計画的にコツコツ取り組んでいた人は希少種だと勝手に思っています。

 僕は後者も後者、後者にすら遅れをとってスタートを切る、8月30日まで手を付けない度し難い程の怠け者、先送り症候群を患っているガキだったのですが、変なところで几帳面で終わらせた宿題をまとめてしまっていたようで、小学1,2,3年生の頃の宿題が押し入れから出土しました。

 出土したのは自由作文、算数ドリル、漢字ドリル、水彩画などなど、どれも紙が古ぼけてパリパリに乾いていました。
 僕は簡単なニンゲンなので、この紙の触感ですぐに浮かれ気分になってページをめくり始めました。

 初めに見た算数ドリルと漢字ドリルでは、ところどころ間違っている問題があったのですが、それがどう見ても少し面倒な記述が必要な問題で、そういうものは誤答ということにして敢えて時間の短縮を図っていることが透けて見えて、文句を言われない部分で徹底的に手を抜くというか、切羽詰まってその部分を時間短縮にベットしていたんだと思います。
 こいつはクソガキで、そして自分だなあと実感せざるを得ませんでした。セコイ野郎ですね。

 問題は水彩画と作文で、よくわからない水彩画と、先生に添削されまくっている作文でした。
 
 水彩画はよくわからない、こいつは何を見て何を描いたのか何もわからない、とりあえず好きな色だけを使って塗っている。単に塗るのが楽しかったのか。もはや本当に自分が描いたのかもわからない。
 当時の先生は受理するかどうか悩んだかもしれない。ヘンな子供ですみませんでした。
 
 作文の添削されていた部分はいずれも僕の人物評で、下書きには「~さんは怒ったら怖そうと言われてた、怒らなくても怖いと思う」とか、「~さんは優しそうな形の眼鏡が似合わない」とか、「~先生の話すときの唇が変な動きだ」とか書かれていて、本物のクソガキの解像度がかなり上がりました。
 とはいえこの捻じれた感性は今の僕とも地続きにつながっていると思えてしまうのがかなり複雑です。

 こんな感じでなんとなくパラパラめくっているだけでも、過去の自分と今の自分、同じ特徴を持っていると思える部分があり、それから今の自分になる途中で取りこぼしてきた自分もいるなとわかって、一番近くて親しい、けれど別の誰かの脳まで出かけている気分になれます。

 本来時間も距離もほとんど同じものですから、過去に向かって旅をするのも簡単で良いと思いますよ、無料で日帰りなので。

オオヒラ

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