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書く仕事の振り返り(18年分の軌跡)

noteを筋トレ的に使うことを決めて、これまでの書く仕事に関する軌跡を振り返ってみたくなりました。いざ書いてみると、案外ボリューミー。18年も経っているから、そりゃそうか。

ごく私的なプロセスなので誰の参考にもならなそうだけど、こうやってWEBライターの道を歩んできた人もいるのだなと思って読んでいただけたらうれしいです。


2005年:兄のおさがりのパソコンで

長女誕生後、母業一筋で楽しんでいましたが、兄からパソコンを譲ってもらったのを機にネットサーフィンにハマった私。ある日「マーケティング・ライター育成講座」というタイトルが目に飛び込んできて、一瞬で心奪われたのです。これがライター人生のきっかけ。

当時、長女6歳、長男4歳。夫の「田舎暮らしがしたい!」のリクエストで阿蘇郡小国町に移住して2年目の出来事でした。そのときの私は、仕事をするつもりもライターになるつもりもなかったけれど、どうしても気になってしまって、母にお金を借りて講座に申し込むことに。

ちょうどネットショップの黎明期で、「ものを売る」ためのメルマガライターが求められていた頃。「基礎編」「中級編」「プロ編」と突き進むなかで、メールマガジンの書き方だけでなく、文章についてのイロハ、そして社会人としてのイロハを教わりました。(私は22歳で結婚、23歳で長女を出産したため、いわゆる”社会人経験”がほとんどなかった)

当時は動画コンテンツなどなく、「メーリングリスト」を用いた講座進行で、講師や同期のメンバーとも密なやりとりがあったように思います。おかげで全国にライター仲間ができました。当時の講師陣や同期の仲間とは、今でも連絡を取り合っています。

2006年:うちでスタッフやってみません?

メルマガライターの講座を卒業したのち、講座を運営するコンテンツ制作会社のスタッフさんから直々にメールをいただきました。「うちでスタッフやってみませんか?」(今でもメールの文面まで覚えてます。ありがとう丸山さん!)

月の報酬はお小遣い程度だったと思うけれど、私でも何か役に立てることがあるのかもという自分へのうっすらした期待と、引き続きライティングに携わっていきたいという思いから、お受けすることに。何より家にいながら、子育てしながら仕事に携われることに喜びを感じていました。リビングのそばに小さなワークデスクを設置したのもこの頃。

その後、同じコンテンツ制作会社からメルマガライターの仕事を振っていただけるようになります。大手通信販売の企業さんやネットショップさんなどのメールマガジンを担当。執筆テーマは多岐に渡りましたが、私自身が子育て真っ最中だったこともあり、抱っこ紐や授乳服など子育て関連商品に多く携わることとなりました。

創業者で前社長の江島民子さん。そして昨年社長に就任された福田多美子さん。"Wたみこ”率いるグリーゼでライターとしてデビューできたことは、今も私の誇りです。

グリーゼは創業社長の江島民子が「自ら子育てをしながら、働く」ために創った会社です。私はグリーゼのおかげで、年の近い3人の息子を育てながら、途切れることなく仕事を続けることができました。

(中略)

いろいろな考え、いろいろな事情を抱えた多くの仲間が、グリーゼという屋根の下に集まり、個々の能力を活かして活躍しています。ダイバーシティ、働き方改革、テレワーク、SDGsがひろまるずっと前から、グリーゼは、多様なスタッフの多様な働き方を認め、「すべての人の"可能性"を、高く大きく広げていくお手伝いがしたい」というミッションのもと、新しい組織の在り方を追求してきました。

株式会社グリーゼ 社長福田多美子氏のメッセージより

インターネットの世界の中では、性別も年齢も学歴もキャリアも関係なく、未婚でも既婚者でも、こどもがいてもいなくても、ハンディキャップがあってもなくても、お金があってもなくても、大きな会社でも一個人でも、みんな同じ土俵に上がることができる!

知恵さえあれば、いままで「○○○○だから(女だから、結婚して子供もいるから、30過ぎてるから、大学出てないから・・・etc)どうせ無理」と決め付けていたことが、すべて可能になる!

そのことがわかったとき、まるで魔法の杖を手にしたかのようにワクワクしたことを、よく覚えています。

株式会社グリーゼ 創業者 江島民子氏のメッセージより

私にとっておふたりは、いつまでも憧れのお姉さん! 置かれた環境を言い訳にするのではなく、原動力として進んでいくおふたりの姿がいつも眩しくて仕方がないです。追いかける背中があるって、すごく幸せなことですね。

2007年:次女誕生!授乳しながら在宅で仕事

次女誕生。出産前後はさすがにお休みをもらいましたが、数ヶ月で復帰。仕事はチームで受けていたので、原稿執筆のほかに定期的な打ち合わせやミーティングがありました。

授乳しながらスカイプで会議に出席したり、子どもが寝たすきに原稿を書いたり。ほかのメンバーも軒並み小さいお子さんがいるママが多く、会議中に子どもの声が聞こえてきたり、おむつ替えやトイレタイムが始まったりと、騒がしいながらも楽しかった頃。私の働き方の土台が作られた時期でもあるかもしれません。

2008年~2013年:人生の暗黒期(笑)

一気に5年間をひとくくりにしてしまうけれど、この時期、

・長女長男が次々に学校に行かなくなる(行けなくなる)
・体調を崩し、入退院を繰り返す私
・10年間の移住生活にピリオドを打ち、地元に帰る

こんな感じで、変化の大きい時期を過ごしていました。身体も心もボロボロ。

細々と続けていたライティングの仕事も、いったん離れることを決意。収入もキャリアも途絶えましたが、それよりなにより自分の健康を取り戻すのが最優先だったし、子どもたちにも手がかかっていたので、仕事をする余裕はゼロだったと今でも思います。

うーん、この5年間はほんとうに濃厚で、どこを切り取っても記事が書けそう。でも当時は必死すぎて、ところどころ記憶が飛んでいます。今、こうやって書きながら振り返っても、よくぞ生き延びた! って思うくらいのハードさ。お疲れ、私。よく頑張ったね。

2014年:次の扉がひらかれた

自身の健康管理と子育てに奮闘する日々だったけれど、仕事を完全に離れたことで、今度は別の扉がひらかれることになります。

またもやネットサーフィン中に見つけたカウンセリングの講座が気になって仕方なくなり、博多まで6ヶ月間通うことに。子どもの不登校がきっかけで関心を持ったカウンセリングやセラピー。そこから派生して自然療法やセルフケア、占術を学ぶことになるんだけど、このときの私はまだそれを知りません。完全に自分のためと家族のための学び。

とか言いながらも、心のどこかではいつか仕事になったらいいななんて思っていたかも。なぜなら、この頃、私の書く仕事への熱は一気に失せてしまっていたからです。ライターというキャリアを全捨てして、次に就くのはまったく違う仕事なんじゃないかなと、勝手に想像していたような気がします。

それにしても、こういうとき、何かがパッと目に飛び込んでくるあの感じ、いったい何なんでしょう。みなさんもありますか? そこだけにスポットライトが当たっているような、あちらから私をめがけて情報が飛び込んでくるような。

これだけ情報にあふれた時代にあっても、出会う人とは出会うし、出会わない人とは出会わない。自分の力だけではコントロールできない何かがそこにはあるような気がしています。

2016年:まさかの占いの世界に足を突っ込む

体調も子育ても少しずつ落ち着いてきた頃。むくむくと「また仕事がしたい」という気持ちが生まれてきました。そうはいっても、体力に自信はないし、相変わらず子どもたちは学校に行かない日もある。外に出て働くという選択肢は持てないなあ。やっぱり在宅でできる仕事がいいなぁ。

そんな矢先、目に留まったのが潜在数秘術協会のエディター募集記事でした。当時占いに関心を持っていたし、「潜在(え、何が潜在してる?)」「数秘術(秘めごと?ん?)」というパンチのあるタイトルに惹かれて、応募したところ、なんと合格。すぐに協会の記事を書かせてもらえることになりました。

当たり前のことながら、記事を書くために数秘術の知識を深める必要が出て来たので、同時に数秘術の勉強を始めました。数秘術にはさまざまな流派がありますが、潜在意識との関わりを教えてくれるのはここだけ。結果、2023年現在も、私は潜在数秘術の魅力に心奪われ続けています。

おそらく潜在数秘術が潜在数秘術じゃなければ、私は数秘術の世界に足を突っ込んでなかっただろうと思う。(つまりはシンプルな数秘術にはまったくもって昔も今も関心が持てないでいますw)

当時は「潜在意識」っていう言葉も聞いたことあるかも…くらいの感覚だったし、占いは好きだったけど、まさか自分が占う立場の人になるなんてまったく思ってなかったし。

ただちらほら出てくる「世界観」という言葉だけが、なぜか私の中に強烈に刻みこまれ、「世界観とは何なのだろう?」という興味だけを頼りに、何年も潜在数秘術の読み解きにトライしている。

ある日の私のFacebookの投稿より

2019年:ライターとしての腕を磨くつもりが

少しずつ体調が上向きになるにつれて、もう少し仕事量を増やしたい気持ちが膨らんでいきました。そこでライター案件を探し始めたのですが、できることなら「子育て」の分野で記事を書きたいとぼんやり思い描いてたと思います。もし採用されたなら、そこでライターとしてもっと腕を磨きたいとも考えていました。

おそらく「子育て ライター 募集」とかで検索したのでしょう。ヒットした結果のなかで、最初にピンと来た1社だけに応募メールを送ったところ、その日の夕方に編集長と名乗る方から電話がきました。はやっ! そして「ライターとしてご応募いただきましたが、ディレクターとして採用させていただけないでしょうか」と。

ディレクターという響きに頭がフリーズしてすぐに返事ができない。「いや、私はライターとして応募して……それに健康にも自信がないし、子どももこういう理由でまだ手がかかるしで……ご期待に添えるかどうか……」っていう返事をしたような気がします。

こっち都合だらけの返事だったから、当然、断られるとばかり思っていたのに、いただいた返事は「はい、その働き方で大丈夫なので、ぜひお願いします!」でした。え、待って待って。私がディレクターですか。というか、ディレクターってどんな仕事ですか。

2023年:人生すべてがネタでした


そんなこんなで、2023年現在、いろいろな媒体でお仕事をさせてもらっています。その媒体によって、業種もポジションもさまざま。肩書きを聞かれたときに困ることはあれど、今の働き方が私にはとても合っていると感じます。そして携わっている仕事のどれもが、これまでの子育て経験や人生経験のうえに成り立っているものです。

ライターとして仕事をはじめてしばらくは、

  • 私の強みって何だろう?

  • 私らしさ、自分らしさってどこにあるんだろう?

  • 私の使命ってなんだろう?

と悩んだことが多かった気がします。

でも今ならわかるのです。私の強みも、自分らしさも、使命だって。考えてわかるものではなく、誰かから引き出してもらうものでもなく、お告げとしてやってくるものでもない(笑)。

ただ自分が歩いてきた道を振り返ったときに、それらが浮かび上がっていて、私の佇まいや行動や、書いた文章から、誰かがそれを感じ取ってくれるだけのことなのだと。


だからもしあなたが「自分らしさ」とか「強み」とかを知りたいと思ったなら、どこかにそれを探しにいくのではなく、自分のこれまでを振り返ってみたらいいと思います。そしてできることなら、それを書き出してみよう。

そこに「自分らしさ」も「強み」も、もしかしたら「あなたに与えられた使命」でさえも、見つかるかもしれませんよ。








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