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神様を.....

神様をうらんでる。 あの日、あの時刻に、あの場所に、離したこと。 ひとりぼっちで寂しかった。 持って生まれたウィークポイントにひどく落ちた。 神様をうらんでる。 人生に課題を沢山、散りばめたこと。 先が見えなくて不安だった。 自分が無くなってしまいそうで恐かった。 神様をうらんでる。 寂しくなるたびに、”一人じゃない”を見せること。 行き詰まるたびに、”新しい道”を示すこと。 不安のたびに、”豊かな瞬間”を考えさせられること。 恐がるたびに、”人のあたたかさ”を思い知るこ

    • 真ん中からオリジナルを拓く

      いつも真ん中にいる。 昭和と平成の間に生まれて、 規律と自由の真ん中にいる。 安心するようでどこか満たされない場所に育ち、 愛と孤独の真ん中にいる。 大好きの分の大嫌いを経て、 優しさと冷たさの真ん中にいる。 ワーカホリックでマイペースで、 理性と本能の真ん中にいる。 真ん中で両極に揺れて、 真ん中で両方を堪能する。 艶やかなコントラストは、波瀾万丈で。 心地よい方に気付いてるくせに。 どちらもすべて知りたかった、なんてね… なんと贅沢な….。 真ん中を彷徨い、

      • 書くことで

        年末年始、流行り病で咳が止まらなかったので… 書くことにした。 内側のこと、咳と一緒に出そうと思った。出さなきゃと思った。 noteを始めたときもそうだった。 書かずにいられない時だった。 承認欲求も見栄もいらないこの場所で、私のために書きたかった。 ”認めてほしい”も、”よく見られたい”も、外側に向いてる欲は重たかったから。 それでも現実では反射のように、自分を簡単に偽ってしまうから。 私じゃない何かに基準を合わせるとき、”私自身”が無くなって、ここに居る意味さえわか

        • 流行り病と悲しみと

          年末年始、流行り病にかかった。 これまでのどんな風邪よりも痛くて辛くてしんどくて。 治ったはずの喘息が帰ってきたように咳が止まらない。 実はここ数年沢山の風邪をひいたし、優れない体調に苦しんだ。 そんな日々のラスボス?みたいな病に遭遇し、年始のニュースに涙した。 最近の地球、悲しいことが多かったよねと振り返る。 どんな状況の中にもよろこびを探しながら、前を向いて明るく過ごしてきたけれど、どうしても流しきれない悲しみが、心のどこかに残ってる。 その悲しみは、どこから来てい

        神様を.....

          生まれ持った個性を一人一人、大切にしていけるといいな、それはきっと調和

          ごめんなさい。こんな私で。 悲しみが起こる度に湧いてくる罪悪感。 私が私で在るから悪いんだと自分を責める。 そんな気持ちの始まりは、いつだったのだろう。 幼き日の愛情の受け違い? 大人ぶったり平気なふりをしてきたつけ? 人間関係の傷? きっと小さいようで大きい、心に残った出来事の積み重ね。 そして集合意識みたいなものがあるとしたら、 もしかすると大人も子どもも、社会も、日本も、自分を責めていたんじゃないかな。 自己肯定感が低い、日本人はそう言われることがあるみたい。

          生まれ持った個性を一人一人、大切にしていけるといいな、それはきっと調和

          悲しみの瞬間に立ち止まったまま、それでも、また築いていきたい、私から

          傷ついた経験がある。 幼い頃、小さな社会で育ったたった一つの個性は、ある時公に放たれる。 公の世界では、誰かが決めた普通があって。 沢山の人が持つ色と、たった一つの個性の色とがかけ離れている時、 ”馴染めない”、”仲間外れになる”、”意地悪される”、そんな事がある。 ”私が私だからいけないのかな”、”普通ってこんな感じなのね”と、 大人になったみたいに個性を薄めて生きる。 沢山の小さな傷は無かったことにして。 心の中で自分だけの個性を育てて。 誰にも理解されなくてもいいか

          悲しみの瞬間に立ち止まったまま、それでも、また築いていきたい、私から

          "弱い"ままの私を生きる

          感受性が強い。 一つの出来事で100を受け取る。喜びも100倍、悲しみも100倍。 溢れてくる感情の波に、溺れそうになる。 自分を生きるのが難しいってずっと思ってきた。 そんな私は自分のことを”弱い”と評価している。 揺らぎやすさ、落ち込みやすさ、力を失くす感覚。それらを称して"弱い”。 "弱い”ことは、私の世界ではいけないことで、だからずっと"強くならなきゃ!”って歯をくいしばって生きてきた。強くなったらもっと、自分らしく堂々と生きていけるって信じていた。 そもそも”強

          "弱い"ままの私を生きる