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ゆるりと好きでもいいですか

どこかで書いたかもしれないが、中学の頃、熱烈なチャゲアスファンであった。

もうそれは、チャゲアスしか見えていない!てくらいの思い入れっぷりで、当時は勿論ネットでの配信とかはなかったわけだから、ひたすらシングルやアルバムのCDを買っては聴いたものだった。

今は好きな曲をそれだけ買う、という音楽の聴き方が主流かと思うが、アルバムを買った私は、目当ての曲以外も勿論聴いた。
そうすると、最初はあまり好みでなかった曲も段々その良さが浮かび上がってきて、好きになってくるということが多かった。
いわゆる、メジャーではない“隠れた名曲”的なものになる。
どの曲も彼らのものならだいたい知っていて、好きというものが多かった。

とにかくこのようにして、チャゲアスはその他色々いるミュージシャンの中でも私の中では“別格”で、彼らの音楽に浸っているときには、まるで別世界に誘われるかのような心地だった。

私の人生の中で、こんなに一つのものを深く好きになって夢中になったということは、なかった。

そして、それ以来今までずっと、そういう存在は現れていない。

チャゲアスの熱烈なファンを「フェードアウト」してから、色んな音楽を“つまみ食い”するようになった。

あのミュージシャンはこういう表現が素敵だな。
こちらのミュージシャンはメロディーの運び方が私好み。

そんな感じで今もずっときている。

つまりは、喉の奥から「好きだぁーーーーー!!!」と叫びたくなるような特別に好きなミュージシャンは、現れていない。

noteを毎日読んでいると、その方のすごいお気に入りのミュージシャンであったり、芸術家であったり、お芝居をされる俳優さんであったり、を取り上げて、
その愛をピュアな気持ちで叫んでいる記事をよく見かける。

読んでいるこちらまで、なんだかその気持ちのアツさがひしひしと伝わってくる。
楽しい気持ちも、嬉しい気持ちも。

いいなぁ、と思う。
ちょっと羨ましくも、ある。

昔の私にとってのチャゲアスみたいに、心の奥が好きだと叫んでいる。
感動と嬉しさで震えている。

私には今それが、無い。

少し寂しい気持ちになる。

私は、色んなミュージシャンの色んな音楽をつまみ食いしている。
でもそのつまみ食いしている曲、一曲一曲は大好きだ。

そのミュージシャンの他の曲はあまり聴かなくても、その曲はヘビロテする。
昔のカセットテープなら、擦り切れてしまうほどに。

熱烈にそのミュージシャンを深く好きになりたいと思う一方で、
こういう好きの在り方もあって、まあいいか。

ゆるりと、少しずつ、色々なものが好き。

そんな「好きになり方」もアリかな。

好きなミュージシャンの一人、サカナクションの山口一郎さんの取材記事を見て、そう思えてきた。

「僕らの音楽を好きになったことで、他のいろんなものを好きになって巣立ってもらいたい」

今までの音楽業界ではあり得ない考え方だと思うけれど、彼の言うように、ファンを囲い込んで売り上げを上げていくというだけの時代ではなくなったのかもしれない。

聴く方としても、ちょっと肩の荷が降りるような、肩肘張らずに色んなミュージシャンを聴いていいんだよという肯定に聞こえて、楽になった。


ちなみに、今よく聴くミュージシャンは、

サカナクション
ビッケブランカ
押尾コータロー
奥田民生
米津玄師
ラジオから流れてきて気になった洋楽色々
クラシック(ピアノ曲)

あたりかなぁ。
昔の方がもっと邦楽をたくさん聴いていたが、ここ10年ほどは洋楽の割合が増えてきている。昔は洋楽の良さなんてよくわからなかったのに。

色んなミュージシャンを聴いてみる、好きになってみる、というのも、昔は食わず嫌いだったものを食べられるようになる楽しさ面白さと似て、また奥深いことなのかもしれない。

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