見出し画像

母の話 - In My Life

祖父の本当の苗字は「アライ」という
アライについては、仙台藩の江戸定詰の人、というところまでは分かっている
この人が生涯結婚せず夫婦養子をとった
2人はそれぞれセキグチ・キノシタという家からきて男の子を3人もうけた
が、養子を出したセキグチ・キノシタがそのあと男児が生まれなかったためアライから次男と三男をセキグチ・キノシタに養子に出した
だからアライ3兄弟はみな苗字が違う
セキグチにいったのが祖父である
が、今度はアライの家に子どもができなかったので、セキグチの次男をアライに養子に出した
アライは日本舞踊の人で、おわら風の盆の振付けなどしたが、養子にいった次男は踊りはしないで三味線を弾いた

セキグチは次男を養子に出したが、長男ヨッちゃんのところは子どもがいなかった、三男は婿養子に行き、四男も子どもがいない
セキグチはこれでおしまいになる
しかしそれでいいと母と母の姉も言った
かくして養子につぐ養子でつないだパッチワークみたいな家系図も終わる
母の兄弟で健在なのは母の姉だけになった

宗教的にバラバラなのがこの兄弟の特徴である
長男のヨッちゃんは不意にキリスト教徒になり、アライは神道なので養子にいった次男は神道、三男は婿入りした家が真言宗、四男もヨッちゃんとは別件でキリスト教徒になった
叔母のところは不明、母は曹洞宗で葬式をやった

四男のテッちゃんは教会でサッちゃんという女性と知り合って結婚し、鹿児島に引っ越した
テッちゃんは鹿児島市内で喫茶店を営みながらサッちゃんと、サッちゃんのお母さんと暮らしていた

テッちゃんがバイクにはねられたとき、はねた男の子が、病室にやってきたサッちゃんを見みるなり土下座して泣いた
サッちゃんは子どもの頃にかかったリウマチで以来車椅子だった
テッちゃんはサッちゃんの命綱だったのだ
でもやっぱりサッちゃんもテッちゃんの命綱で、二人はしっかりと手を取り合って生きていた
テッちゃんはサッちゃんのお母さんを看取り、それから何十年かしてサッちゃんを看取った

こう書くと聖人君子みたいなのがイメージされるかもしれないが、テッちゃんはキザで、知識をひけらかすのが好きで、ちょっとうざかった
「ぼくはね?」と気取った感じでテッちゃんはしゃべる

テッちゃんとサッちゃんがうちに遊びにきたとき、サッちゃんからピアノを弾いてほしいと言われた
サッちゃんはビートルズが好きだったので、私はIn My Lifeを弾いた
Hey JudeとかLet It BeとかYesterdayとかのメジャーな曲でもよかったのだが、中学三年生だった私はその曲を選んだ

サッちゃんは車椅子だから旅行に出るのは難しい
テッちゃんとサッちゃんがうちに来たのはそれ一度きりだった
ごくたまに、そのときのことを不意に思い出す
歌詞の意味はだいたいこうだ

ずっと忘れない場所がある
変わらない場所、変わった場所、今もある場所、もうなくなった場所
亡くなった人もいれば、生きている人もいる
これらの場所で大切な人たちと過ごした時間を思い出す

In My Life / Lennon McCartney

私の子どもが生まれたとき、サッちゃんから届いた出産祝いにカードがそえてあった
カードには「生まれることは、生きること」と書いてあった
分かるようでいまいち分からなかったがなんとなく気に入って、子ども部屋の壁に貼った
今も貼ってある

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?