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日本史版「銃・病原菌・鉄」考えてみた。

ダイヤモンド博士の「銃・病原菌・鉄」を読んでいる。

主な主張は農耕社会は狩猟社会よりリスクが少なく、余剰生産を産む。余剰生産が生まれることによって、非生産部門を養うことが出来て、軍事力が強化され、中央集権制が進み、文字や発明などの文明が発達する。また、文化・文明は南北よりも気候が似ている東西に広がりやすい。

ユーラシア大陸の勢力が現在世界の覇権を握っているのは、農耕社会に必要な条件である、人が育て食せる穀物と家畜が生育可能であること。(穀物と家畜は天然で育つあまた種の中でごくわずか。この議論が非常に興味深かった。)アフリカ大陸やアメリカ大陸と違いユーラシア大陸は東西に伸びているため、文化・文明を他の文明から吸収しやすかったことをあげている。(アメリカ合衆国はネイティブアメリカンを追いだしたヨーロッパ人の系譜にあるのでユーラシア大陸の勢力として主張している。)

おおざっぱにいえば地理的要因が歴史を制約すると主張している。

さて、日本の地理は歴史にどのような影響を与えたのだろうか?試みに日本史版「銃・病原菌・鉄」を考えてみた。

日本は狩猟採取生活を10000年前から行っていたが、大陸から農耕が伝わった。農耕のためには耕す穀物と家畜が必要になるが、日本は幸運にもそういったものが生育が可能だった。日本において主に耕作された穀物は米。そして導入された家畜は西日本は牛、東日本は馬。西日本が今でも牛文化なのは農耕文化が古くから根付いていた証。

ところで日本はプレートがぶつかりまくって出来た急峻な山々とその山から流れ出る河川の扇状地や三角州(堆積平野)の集合体ということも出来ると思う。そのため、稲は大陸から伝わったけれど、大陸式ののっぺりとした土地で可能な稲作は、開けた土地が狭く、急峻な河川が多く水害の影響を受けやすい日本では、単純に受容し、生産が飛躍的に伸びなかったのではないか。

そのため、日本においては、農耕社会とともに狩猟採取生活も存続し続けたのではないのだろうか。日本海側で漁業が今でも盛んなのは、稲作では充分な収穫が得られず、海に出て行った方が良かったことの証ではないだだろうか。

東日本においても、急峻な河川が多かったため、西日本ほど農耕が盛んではなかったのだと思う。古代、京都や九州が政治の中心だったのはこのことが一因と思われる。また、現在東日本が馬文化でなく豚文化なのは農耕文化があまり根付かなかったからかもしれない。

農耕社会に移行しても余剰生産にとぼしかったことは、ダイヤモンド氏的な説明をすれば、日本において強力な中央集権的な勢力が生まれなかったことにつながる。中国で紀元前には起こっていた強力な中央集権的な国家は日本ではなかなか起こらなかった。

さて、12世紀において武士の世になった。各地で有力者が起こったけれど、盆地がちでかつ急峻な河川の多い日本において全国を専制的に統治することは、コストパフォーマンスにあわなかったと思われる。山がちの道を整備し、軍隊を行軍させるのって想像以上に手間だ。従って武士は、限られた土地をめぐりお家争いに終始した。

専制的な統治がなかったとすれば、鎌倉幕府や室町幕府はどうなるのってことになると思う。大きな影響を持った勢力だけれど、直轄の軍事力はそれほど高くなかった。幕府はご恩と奉公という互恵的な関係で諸地域の有力者と結びついていった。そのため、「ご恩」を供給できない武家の頭領の求心力は急落する。

鎌倉幕府は2代、3代の将軍は暗殺され、将軍は高位な貴族から向かい入れられた。14代執権北条高時は一週間鎌倉を守ることが出来なかった。13代将軍足利義輝は新興大名の力を借りようともくろんだが、敵対した新興大名である三好氏に暗殺されることになった。

結局、商工業が発達した16世紀になって、商業政策を重視した織田信長・豊臣秀吉によって日本は政治的に統一された。関東や東北がこの後米所になるのは、政治的な安定によって大規模な新田開発が可能になったからだ。

地理的に隔絶された盆地を持つことは、16世紀になるまで政治的な統一がなされなかったことに結びつく。このことに加え、日本が地理的、気候的に様々な特徴を持っていたことは、各地に特有の文化をもたらした。全国各地にお国自慢だったり郷土料理や特有の方言があることがそれを示している。日本は文化的にはモザイク国家だと思う。

(R5.1.07 追記 まあ、さらに織豊政権を引きついだ徳川政権も260年粘ったものの、最終的には有力な地方大名の連合軍に敗れる。地方にそんなに大きな権力があったのだから、19世紀までは日本は分権的であったとも言えなくもないか。)

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