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外見至上主義、ルッキズムの呪い

きっかけは覚えてないけど
誰に言われたかはっきり覚えてる
人は都合がいいことばかり覚えているというけれど
これは忘れさせてほしい記憶

本気か冗談かは知らないけれど
正面と向かって「お前ブス」と言われたこと、
脳裏からこびりついて離れなくて
それ以来顔が醜く見える。
言った本人はきっと覚えていない

そのせいで何年経っても、
コロナが落ち着いた今でも、マスクを外して歩くことが怖い
鏡を見て、その有り様に泣いて、割るくせに
顔が変ではないかチェックすることを辞められない
凄くみじめ。
百均の鏡コーナーで悲壮感ある人がいたらそれはたぶん私。

両親が大切に育ててくれた「私」を、私は否定したくない。
自分を醜いと思うことは
21年間愛してくれたことを、否定するみたいで心が痛い
恋人や友人が本心で私に掛けてくれる言葉も、
気持ちも
否定してしまっているみたいで、本当に苦しい

ダイエットもこれが原因で長年戦い続けてる
過食と拒食、小学校6年生のころから数キロしか増減してない
ただの数字にしか過ぎないけど、その数字に毎朝左右される
数学は苦手なくせに。

本当はお芝居も続けたかったし、自分が影響されたように
誰かを勇気づけたり笑顔にしたかった
好きなことをして、夢を実らせて
大切な人たちを喜ばせたかった

あの言葉全てに
責任を押し付けてるわけではなく、めげることは
許されたとしても、打ち勝てなかった自分にも腹が立つ

ある言葉1つのせいで
人からどう見られているかが気になって、
狂気的だと思われるレベルで見た目に囚われてる自分を、
客観的に見た時すごく怖いと感じた
そんな自分を「それも私」として認めていいのか
グレーライン。ほぼ黒に近い。

スマホの履歴に残る整形に関するワード
目を伏せ見て見ぬ振りをして、履歴を消す
無駄に増えていく美容施術の知識
ずっとこの繰り返し

「かわいい」「美人」「イケメン」その他数多…
そういった見た目に関する言葉が消えない限りルッキズムは一生あり続けると思う。
というか、絶対消えない。うん。
美醜の概念は祖先の代から現代に至るまで刷り込まれてるし…
具体例でいうと顔採用が昔からあるし、
昔からある思想は、劇的な変化や一揆的なものが起こらない限り一生消えないのが事実。

でも、同じように苦しんでいる人がいたら
違うよ、って持ちつ持たれつ、生きていきたいな

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