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私の肩書き

自分の悩みに病名という肩書きが付いて、少し呼吸が楽になった気がした。私だけがおかしいものだと思い込んで、考え過ぎてしまう自分を憎むのはもう嫌だった。
初めて大きな病院に行った時、私はそう思った。

昔から、考え過ぎてしまう性格だった。
人と話すのは好きだし、クラスでも社交的な方だったと思う。面談では「娘さん、特に言うことないです」と担任の先生に言われるような。そんな私の、年齢にそぐわない「落ち着き」は、思春期の人格を形成する主軸となって、いつの間にかどんなに年上の大人を相手にしても、逼迫した状況下でも、自分の落ち着きを表面的に保つことが出来るようになっていた。だけど、そんな風に「見せている」だけで、実際私の頭の中は常に忙しなく動いていた。目の前にいる人とコミュニケーションを図るとき、相手の声色、仕草、表情全てに意識が集中して、自然と私の頭の中には相手が求めている言葉、嫌う言葉や人が、自分自身の感受性だけを根拠に流れてくるのだった。その情報を一つずつ整理しながら、その人といるときの私を作り上げる。私の言葉で、相手が喜んでくれると嬉しい。その一方で、自分の本心を飲み込んでしまうことも増えていった。今これを言ってしまうと、相手の気分を害するだろう。もしかしたら、私の言葉で相手が傷ついたかもしれない。そんな予期不安を抱えて、私は常に人と接する時「考える」ことが癖になってしまったのだと思う。学校から帰って家に着くと、ぐったりしてしまうことが増えた。そしていつもどこかで、「演技をしている」ような自分がいると感じていた。だけど、どれが本当の私なのか考えれば考えるほどわからなくなって、私のアイデンティティを保つものは何だろうという疑問まで抱いていた。

大学生になって1年目は、オンライン講義だった。人との繋がりが感じられない中、1人で履修登録をして、部屋でパソコンに向かって声を出す。オンライン講義が私は凄く苦手だった。先生に当てられて発言をする時、対面の時にはさほど気にならないような事にまで意識を向けなくてはならなかった。話す時の自分を他者にじっと見られているような感覚、自分の声が届いているのか、上手く話せているのかという通信上の不安、部屋には私以外誰もいないのに、自分だけが話しているという奇妙な感覚。この奇妙な感覚は、数ヶ月後慢性的な離人感へと繋がっていく。


それから、次第に症状が悪化して大きな病院に行った。
病院では血液検査や問診、色んなことをしてもらったけれど、離人症に作用する薬はないみたいだった。病院に通っていると、色んな患者さんとすれ違った。皆んな一見すれば、内面的な何かを抱えているようには見えないのに、何か理由があって病院に通っているのかと思うと、私は私だけではないような誠に勝手な安心感を抱いた。

そして、冒頭でも書いた病名という肩書きへの安心感も同様である。

近年では、私も含めSNSなどで精神疾患を抱える人同士が交流を深めるために、#を付けて病名や症状を公開する。それに対して同様の症状を持つ人がコメントすることもあれば、全くそうでない人が攻撃的なコメントをしているのを目にしたりもする。

その攻撃的なコメントの中によくあるのが、「何でもかんでも〇〇症って付けたがり」「思い込みだろ」というもの。
悲しいなぁ、と思う。
そんなに、「〇〇症」という言葉がいけないものなんだろうか。
そんなに、誰かに自分を知ってもらうための発信がいけないものなんだろうか。

SNSに発信するということは、そうした暴力と対面するリスクも付いてくるというのはわかっている。ただ私がここで言いたいのは、そういう攻撃的な言葉をいとも簡単に書き込んでしまえる人が存在するように、社会における内面疾患への認識があまりに乏しいのではないかということだ。
私自身、自分がこうした症状を持つようになって初めて、見えないものを抱える人へと目を向けるようになった。当事者でない限り、その人の症状を100%理解することは出来ない。心は何よりも難解な問だから、自分のことですらままならない。それでも、「見えないもの」に寄り添ってくれる人が少しでも増えたら。精神を病む人=弱いなんていう固定概念が払われて、自分の悩みを伝えられるようなそんな場所が増えたらと思う。

私は、私の症状を人に伝える為に「離人症」という言葉を使う。これが私の肩書きであり、逃げ道でもあり、同時に強さでもあると思いたい。

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