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ボードレール『霧と雨』訳してみました|フランス詩🇫🇷


秋の終わりよ、冬よ、泥にぬかるむ春よ
悩みを鎮める季節たちよ! 私はおまえたちを愛し、たたえよう
我が心と脳とを このように
もやかすむ埋葬布まいそうふ冥々めいめいたる陰気さとで くるみ込むがゆえ

冷たき南西風オタンが揺れ、け遊ぶこの平原の広がりに
風見鶏かざみどりが長きをこめ かすれた声を上げている
このような折、我が魂は、煮え切らぬ春の頃合いよりもたくみに
翼を黒々と広げゆく 大鴉おおがらすのごとく

不吉なものどもで溢れかえったこの心
かねてより氷霧ひょうむの降り積もる心にとって
おお、青白い季節らよ! 風土をべる女王たちよ!

青ざめた闇の揺るがぬさまほど うましきものはあるまい
──ただ、巡り合わせた臥所ふしどの上で、ふたり寄り添い
苦痛を眠りにかせる、月なき夜を除くならば



✼·.・:* 原詩

Brumes et pluies

Ô fins d'automne, hivers, printemps trempés de boue,
Endormeuses saisons! je vous aime et vous loue
D'envelopper ainsi mon cœur et mon cerveau
D'un linceul vaporeux et d'un vague tombeau.

Dans cette grande plaine où l'autan froid se joue,
Où par les longues nuits la girouette s'enroue,
Mon âme mieux qu'au temps du tiède renouveau
Ouvrira largement ses ailes de corbeau.

Rien n'est plus doux au cœur plein de choses funèbres,
Et sur qui dès longtemps descendent les frimas,
Ô blafardes saisons, reines de nos climats,

Que l'aspect permanent de vos pâles ténèbres,
— Si ce n'est, par un soir sans lune, deux à deux,
D'endormir la douleur sur un lit hasardeux.


✼·.・:* 注釈


 今回は、オリジナル詩の体裁(4+4+3+3行)に揃えることを心に誓って訳しました。そのために、一度読んでも意味をとりづらいのではと思う箇所があるので、説明しておきます。
 第3連3行目(おお、青白い季節らよ! 風土をべる女王たちよ!)は、1行が丸々挿入句なので、意味をとる際にはいったん無いものとして読んでみてください。たぶん、脚韻形式の関係で、ここに配置されているのだと思います。
 なお、脚韻形式 aabb aabb cdd cee のソネ(14行詩)です。きっと作者様はドヤ顔だと思うので、ぜひ原詩にもご注目くださいね。うーん、整然として美しいではありませんか♡



✼·.・:* 訳してみて思ったこと

 先月まで、80行くらいの詩に悪戦苦闘していたのですが、ついに断念して、いったん14行詩(ソネ)に戻りました。

 霧と雨 / Brumes et pluies は、悪の華 / Les Fleurs du mal の中の パリの情景 / Tableaux Parisiens に納められています。

 時節柄、急に冷え込んできたし、かっこよさそうだったので、挑戦。いつものように行き詰まりながら、《悪の華》サイト(🇫🇷/🇬🇧)で英語訳も参照。この詩は7つの英訳が掲載されていました。それぞれ、小さな解釈の違いや創意工夫が見られます。その中から、共通する骨格部分を読み取って、私のフランス語力を補強してもらう、というのが最近のスタイル。日本語訳に頼るのは、引きずられたくないから、最終手段です。

 細かな単語の働き(関係詞節の主語とかそんなの)をきっちりと詰めていく作業がとにかく大変で、「なんで qui なの que じゃないの😭」。こうなると気になって夜も寝られず(ほんとに)辞書とにらめっこ。

 それでもある日、「できた〜🙌」と、心の地平に花火が打ち上がる。
 さっそくnote画面に貼り付けて読み返していたら、「あれ、この詩って相当暗いかも…?」と急に気になり始めます。個人的にはぜんぜんOKなのですが。

 そういえば、ボードレールの詩は読むと憂鬱になるから...って呟いている方をどこかのSNSでお見かけしたような…。spleenというフランス語、「憂鬱」という意味ですが、辞書を引くと用例にボードレールが出てくるの。Google検索しても、ボードレールがヒットするの。ボードレール⇒憂鬱ならわかるけれど、憂鬱⇒ボードレールはさすがにびっくり。
 そんなにまで憂鬱なお方なんですね...善哉よきかな善哉よきかな

 でもね、YouTube を見ていたら、この詩が歌になっていて、意外に明朗な曲調なのです。そして見事に《シャンソン》になってる♪
 懐かしさをこめた繊細な曲調であったり(2番目↓)、静かな力強さに満ちた道行きであったり(3番目↓)。
 朗読も、沈鬱なものもあれば、穏やかなもの(1番目↓)もある。

 どう受け取ってもいい、と言ってしまってはいけないのだとは思うけれど、真摯に向き合った上で、自分が受け取ったものを表すのなら、きっと許してもらえるのかな...と思いたい。

 ボードレールって、ふつうのひとが到達し得ないくらい、喜怒哀楽のレンジが広くて深い上に、毒舌や辛辣さも果てしないので、とある詩がどういう心持ちで記されたのか──どの〈彼〉が書いたのか──計り知れないところがあるんです。ピュアな恋愛讃歌見つけた♪と喜んで訳しても、もしかしたら「それ、ぜんぶカリカチュアなんだけど?」って言われてしまいそうなスリルが常にある。
 だから、受け手によっていろんな色合い、いろんな温度で読めてしまう。

 今回は、「沈痛」というよりは「かっこよく」なるように訳してみた結果が、冒頭に掲げた訳でした。ネルヴァルの「廃嫡者」をちょっと思い浮かべながら…。


✼·.・:* アフォリズム集『赤裸の心』より

 ボードレールについて、「現世に対する、偉大とさえ言えるほどの欠如感」を抱えていたのではないかとする評論があります。「憂鬱」というほど生易しい心持ちではなかったはず。まっすぐな人ほど生きづらい…というのは、いつの世も変わらないものなのですね・・・。

 新聞についても、このような辛辣な書きぶり。でも、もし仮に、誰もがこのような潔癖さと批判精神を持っていたら、最低限のルールとしての遵法精神も高まり、いい世の中になるんじゃないかしらと思ってしまいます。

 どんな新聞であろうと、 何年何月何日の日付のものであろうと、 一行ごとに、人間の持つこの上なくおぞましい頽廃の徴候と並んで、 実直さ、善良さ、慈善についてのこの上ない自惚れ、進歩や文明に関わるこれ以上ないほど厚かましい断言といったものを見出さずにいることは不可能だ。
 どの新聞も、最初の一行から最後の一行まで、ぞっとする事どもで溢れている。
 戦争、 殺人、盗み、 猥褻、拷問、君主の犯罪、諸国民の犯罪、 個人の犯罪だ。普遍的な残虐さの陶酔。
 文明人が毎朝の食事に供するのは、この不快な食前酒である。 この世界では、何もかもが犯罪の気配を滲ませている。 新聞も、市壁も、 人間の顔も。
 汚れなき手が、 不快さで痙攣することなく新聞に触れることができるなど、 私には理解できない。

『赤裸の心』より
訳文は「ジャーナリズムにおけるボードレールの詩的実践」から
日本フランス語フランス文学会中部支部研究論文集
(佐々木   稔)


 ネガティブとはすなわち誠実さの裏返し。ボードレールに限らず、そういう種類のネガティブさを抱えた人に魅かれるので、友人知人に、そういうひとが多めだったりもする私です。
 ほら、いまこれを読んで下さっている、そこのあなたもきっと──(◔‿◔)♡ (巻き込んでみる)


✼·.・:* 動画リンク







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