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こんな時期ですが、法人成りしました

こんな時期ですが、法人成りしました。法務局に登記したのは4月14日でしたが、コロナ禍のおかげで、いや、そのせいだけにしてはいけない。元来事務手続きが苦手な上に、世の事務スピードもスローダウンしており、登記してから諸々時間がかかりました。世の中どうなるかもわからないのに株式会社?合同会社?個人事業主でいい?など自問もしました。借り入れや投資を受けて大きな事業を起こそうという起業ではないので、これまで通り個人事業という選択肢もあったのですが、今までとは違うやり方でやってみようかと思い始めたのは半年ほど前。個人事業主兼給与取得者でもあったので、その安定性はありがたくも、それがないことで得られる新しい機会、逆に重くなる責任や不確実性を天秤にかけて、迷った時はいつもどっちの後悔が大きいかを考えて決めます。

昔から転職癖があるわけではなく、でも、10年くらい経つとなんかうずうずして自分の位置を少しずらしたくなる。全く違うことをやるというのでもなくて、今までやって来たことを背負って引きずりながら、違う景色を見たくなる。一種の癖(へき)かもしれません。今回、踏み切ろう決めた矢先にコロナがやって来て、おいおい、なんで今来るかなと思いつつ、本当にやるのか再確認された気もしました。仮に状況が落ち着くまで、これまでをしばらく続ける?と思った途端、いやいやそれは絶対にないなと。自分が変わろうと思っていたら、社会がもっと凄い勢いで変わらざるを得ない状況になり、これはもう流れだと思うようになりました。首都圏もまだまだ不安定ですが、異常と思った生活に一部慣れ、普通と思っていたのが本当に普通なのか疑問になり、日常や経済活動が少しずつ動き始めています。ここらでコロナ禍で起業準備しながら思ったことを後々の自分に、そして、起業を考えている方に、何かしら役に立つことがあるかもしれないしないかもしれませんが書いておこうと思います。

生活のためと違う視点で仕事をしたい

綺麗事を言いたいわけではなく、時々会社っ何であるのだろうと思うことがあります。もうすぐ一万円札の顔になる渋沢栄一さんの著書「富と幸せをうむ知恵」にこんな言葉があります。会社にしようか考え始めた時に出合った言葉だったので、語りかけられたように感じました。

人がこの世に生まれてきた以上、自分のためだけでなく、何か世のためになるべきことをする義務がある。私はそう信じている。
金はたくさん持つな、仕事は愉快にやれ。

株式会社の創設や育成に精力的だった渋沢栄一さん、生涯で関わった企業は500以上だそうです。スケール感はまるで違っても、共感したのは、常々、自分が知り得たことは伝える義務があると考えてきたことです。得た情報の伝え方は、文字、話す、企画、コンサル、いろんな形がありますが、どこに、どんな情報をどういう形で伝えたら生きるのか、を考えるは好きです。それが世に役立てばなお良い。

私の場合、ここ10年強は飲食に関わる情報を扱ってきたし、今後もそれは大きくは変わることはないと思います。知り得たことをどこにどういう形で繋ぐか、その伝え先に適している場があれば、そこに動けるようにしておきたいし、相談を受けたら自分もなるべく応えたい。長く同じ場所にいると、生活や会社を言い訳に仕事をしている気分になってきてしまう。もちろん誰もが生活のために働くのですが、そう割り切った途端に面白味を失い、発想も変わってしまう。常々、好奇心は一番の栄養分と思っており、好奇心をもち続けられる環境をまずは自分に作りたい。リスクはあっても、「仕事は愉快にやれ」により近い方を選択したかった。タイプによっては所属することでより好きなことができる、という人もいると思います。それも真なりだと思います。

株式会社という形を選んだのは、これから信用というものが個人にとってますます重要になるであろう世の中で、自由だけで済まない責任を自分に課して信用は育つのだろうなということと、仕事を少し距離をもって、別人格を育てる感覚で見れるようにしたかったためです。個人事業だとどうしても100%自分フィルターになってしまう。そうしないためには、会社という形にした方がいいのだろうと思いました。

会社にすると、自分の給与を自分で決めて、給与を会社から受け取る形になります。当たり前なのでしょうが、これが新鮮でした。すごく不思議な感覚だなと思いながら、自分が極端に不足を感じることがない程度に生活する給与があれば、あとは会社の方に入れる。税金や保険料との兼ね合いがあるので、そこの塩梅がなかなか難しいのですが。自分で作った会社だから、自分の一部でもあるけれど、基本は別の存在。私は子供はいませんが、いないから余計に、何かを育てるという経験が会社を通じて体験できるかもしれないし、これはやってみないとわからない経験になるのだろうなと。

登記より、それ以外に時間がかかった

そんなこんなで3月下旬、東京でコロナが深刻化してきた頃に具体的な手続きを始めたわけですが、登記は2週間ほどでできると聞いていたので、登記さへ済めば4月以降に受注していた仕事の切り替えもうまくできるのかと思いきや全くそうではありませんでしたむしろ登記が終わってからの手続きに時間がかかりました。タイミングを間違ったなと思った手続きも色々ありました。

法務局 登記後の印鑑証明の交付など 登記自体、普段より事務員が少なく最悪1ヶ月はみておいて欲しいと申請時に言われました。これが3月下旬。通常は10日〜2週間。結局2週間弱だったのですが、登記の時に法務局が物凄く混んでいたので、ここでコロナの流れ弾に当たってはいけないと、登記後(登記できたかは自分で電話連絡しないと教えてくれない。しかも電話はなかなか通じない)に行う法人の印鑑証明の手続で、再び法務局に行くタイミングをかなり躊躇しました。ようやく行ったのがGW前。

保険の切り替えのタイミング  会社設立までの空白になる期間、一時的に国民保険に加入することになってしまいました。これは、前の会社の保険と新しい社会保険を切れ間ないようにうまくやる方法もあったなと思います。コロナが激しくなってきた時期だったので、保険なしの期間が生じるのは短期間でも非常に怖かったです。また、保険の切り替えに年金事務所に行くと、その時点で社会保険に切り替わり、国民保険よりも断然保険料が上がります。国民保険に暫定的に入るのであれば、会社の銀行口座を先にあけてから、社会保険の手続きをする方がよかったなと。というのは、会社口座に売上が入ってくる前に社会保険を支払う状態になってしまったので。

・銀行口座開設のタイミング 登記したら、社会保険よりもまずこっちをやるべきでした。大手の普通の銀行だと時間がかかりそうだし、窓口に出かけるのもコロナの中避けたかったので、ネットで申請できる法人銀行口座にしたのですが、それでも思ったより時間がかかりました。申請したのがGW前だったので時期も悪かったと思うのですが約1ヶ月。通常だと10日程度らしいのですが、コロナ禍の勤務体制もあるのか相当に時間がかかりました。

会社設立、会計などの一連のデジタル化 今回、会社設立の手続きからその後の会計や人事労務もネットで管理できるソフトを使うことにしました。まだまだ使い勝手が悪いなと思う部分も多々ありますが、それでも外注したらそれなりにかかるコストをかなり削減できたと思いますし、勉強にもなります。こういう事務作業がどんどん楽になるのは非常にありがたい。手続き業務や代行手数料でやっている職業は、今後どんどん淘汰されるか縮小して行くだろうなというのを肌身で感じました。

今回自分で一連の手続きをやってみて思ったのは、やっぱり手続き業務って摩訶不思議、なんで必要なの?ということが多々ありました。奇しくもコロナで企業の働き方がリモート化せざるを得なくなっているのと並行的にこの典型的な事務を体感していたので、仕事を生じさせるための事務みたいなものがいかに多いか。そのために足を運んだり、電話したり、印鑑もたくさん作って、これはやっぱりどうにかして欲しい。会計の書類作成とかもそうですが、こういうのは早くAI化されたら、起業してみようかなという世のマインドはもう少し高くなるのではないでしょうか。

そしてこんなことがしてみたい

あらためて自分がやりたいこと、自分が社会のためにできることを考えた時、15年前に最初の会社を辞めて食の分野でやっていこうと留学して戻って、その時に思っていたこととあまり変わっていないなと気づきました。

一言で言えば、食の情報伝達事業。食の役に立つ情報や体験を提供する。人生の中心に食があるのは幸せなことだと思います。そう考えて行動する人を増やしたい。そこにつながることは色々あるので、定款や役所に届ける項目に近いものを探してもなかない。便宜上、定款に入れないといけないので色々入れました。今は、これまでの仕事の流れもあり、BtoBのコンサルティング的な仕事やメディア業務からスタートしていますが、BtoCでできることを来年あたりからやっていきたいなと思っています。物販もやりたい。これまででできた人の繋がりやネットワークで、色々な専門を持っている仲間とチームを作りながらやりたい。

そして、情報伝達で一番大事にしているのが、社名にもしているKOTODAMAです。言霊と書くとおどろおどろしいのでローマ字にしましたが、伝えるということに関して、人は何かしらコミュニケーションの得意技を持っていると思います。映像、歌、絵や写真、楽器などなど。自分は言葉が持っている力を信じているし、KOTODAMAを大事に磨いていくのは一生かけてやっていきたいことです。

2月からは二拠点できる場所を持ちました。元レストラン兼住居で、場所は湯河原です。二拠点もまたずっとやりたい考えてきたスタイルで、東京とは頭を切り替えて、自然の中、土のある環境でものを考えたり活動する時間を作りたいと考えてきました。これまたコロナで出鼻をくじかれた感じではありますが、ここは自分の仕事でもプライベートでも近しい人たちと面白く使える場所にしていきたいし、企業の研修やミーティングで使うのもいいかなと思っています。今後、固定の場所を持たない料理人やサービス人、料理家の方々と一期一会な食体験ができる場所としても生かしていきたいと考えています。

本当は会社案内的なホームページを作った方がいいのかな思い、会社のアカウントはとったのですが、ホームページの完成度や更新など、それなりに手間暇がかかるので、当面はnoteのプロフィールページと、マガジンKOTODAMA PRESSに会社関係のことを上げていこうと思います。事足りればそのまま使用していくのも良いかと考えています。

そんなことで、あらためて今後とも宜しくお願い申し上げます。


今後の取材調査費に使わせていただきます。