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20210413通勤快速と2019年

 最近仲良くしているネットの友人が、東京時代に使っていた電車を同時期に使っていて、しかも私を電車内で知覚したことがある可能性が出て来た。
 最初は知られている可能性に酷い嫌悪感を抱いていたが、東京で友達らしい友達も出来ず、漠然と生活を送っていた自分を見ていてくれた人がいるのだと思うと少し救われたような感覚がある。


 その電車を利用していた時期は特に、調子が悪い時期だった。
 投稿欄へコンスタントに作品を送れないが、ここで勝負をしなければ評価されるのは先になるということが明確に分かってしまった直後に決まった新しい職場だった。
 通勤時間も労働時間も長いこと、同居人との関係が悪化し、生活も詩も音を立てて崩れ始めていて、ギリギリの状態で頼れる人が居なくて1人の部屋で泣き続けていた。
 その路線は会社に行く時のことを思い出すから本当の事を言えば嫌い。帰りの電車の中で、1号車の運転席のガラスから動画を撮り、それを家に帰ってから何度も見返した。もう家に帰っていると自覚させなければ、生活に食い込む社会を拒絶した体が震え出す。
 電車に満足に乗れなくなって、何度か車内で倒れた。
 上司に謝罪の電話を入れ、1万円近くする診察代を払い病院を後にしながら、午後からある取引先との会議内容のことを考えつつ会社の最寄り駅まで行き、結局帰ってしまったこともある。会社に着いてから、トイレに駆け込んで幾度となく嘔吐した。
 朝、いつもの様に6時に目が覚めて、休むことを決めてから、上司が出社したであろうタイミングに合わせて連絡を入れるまでの3時間を何も出来ずに過ごして、電話越しに苛つきを受け取った後もまた、何も出来ない。
 昼休みに本を開けば白い目で見られ、ハロウィンの時には仮装しなければ罰則がある会社だった。
 朝の電車が怖くなったのは丁度、電車の中の広告に退職代行業者が出て来はじめた頃で、何度も携帯でそのサイトを眺めた。
 私が詩を書き少しの成果を出しても、会社の人が知ることは無かったし、言葉を交わさない電車の人は尚更知るはずも無くて、満員電車で虚ろになりながら、私のことを知って欲しいと思った。
 周りは思っているよりも自分のことなど気にしていない(見ていない)という言説はむしろ私を苦しめる。
 最後に満員電車に乗った時、私は19歳で、高校を途中で辞めて働いていて、詩を書いて、AB型で、6月生まれで、父親のことが嫌いで、でも今日地元に戻らないといけなくて、昨日自殺未遂をしました、って叫んで、自分が東京に住んでいたという証明を残したかった。ただの夢破れた若者になりたくないと思いながら、ちゃんと蔑みの対象になりつつある自分の存在に少しでも価値をもたせるために、他者に見て欲しかった。そして誰にも、惨めな自分を見て欲しくなかった。







 私のことを見ていてくれてありがとう。
 もう詩を書く特別を失って、普通以下の全てを晒しながら生活しています。詩が無くなった瞬間から私は無価値で、いつ死んで構わないほどに手元に切り札がありません。そしてそれを甘んじて受け入れています。
 もう過去です。私という人間への幻想は捨ててください。もう、詩は書きません。書けないのです。誰が言おうとも、私の中のもう1人の自分が諦めを残して眠った後から全て変わってしまって、色を消し去る光の中で静かに車を走らせています。こちらは良い天気。