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芸術と清貧


とある芸術で生計を立てることを志す友人が、「芸術と清貧が結び付けられるのが納得いかない。利益を追求しようとすると叩かれるか引かれる。」と言っていた。

概ね何の業種でも、今自分が生きている世界やその中で生きている個人などを、製品やサービス云々を媒介として少しでも何かいい方向に持っていくために、またそれに伴って利益を得るために、ああでもないこうでもない、とするわけで。

その目的に際して、企業などの組織に属するか、自分で組織を立ち上げるか、個人で事業を行うかするのがオーソドックスといったところだろうか。

(官公庁やそれに準ずる組織は財源が企業等と異なるけど、「表立った」目的は世の中の改善や維持だと思っている。語弊があるかもしれないが、自分自身も公的機関勤務なので内情とか諸々…以下略)

何が言いたいかというと、利益なら他業種も堂々と追求してるじゃん。
芸術もそれと同様に、フラットに見てくれ。

話が逸れたけど、清貧って芸術活動をしている本人がそれをモットーとする分には本人の自由。
でも、他人が芸術活動している本人へ向かって言ったり思ったりすることじゃない。

そもそも、芸術活動に資金が要るのは当たり前だ。
作品の材料費がかかる。
展覧会やステージやる形式なら、会場費用がかかる。
団体でやる形式の作品なら、演者さんにギャラ払う。
売れて本人の懐を豊かにしたいとか云々よりも前に、芸術活動を継続するための費用がかかる。

それらの費用まで込み込みで、更に自分の生活費も工面できてやっと生活できる仕事。

もし仕事を選ぶ自由があって、自由と責任がセットになってて、それを分かってて芸術活動をやっていたとしても、最低限の生活はあるわけで。

それでも尚、芸術活動を志す他人へ清貧が~とか思ったりするのなら、それより前に自分が推したい芸術家へ金銭として対価を支払うべきだと思う。

口だけの頑張れは本当の意味での応援とは言わない。
活動休止してから都合良く後悔しても遅い。   

ちょっと書いてて熱がこもりすぎた気がする。

でも、好きな芸術鑑賞を好きでい続けて、新しい作品を見たいなら、最低限のことだと思っている。




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