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#177 ヤットというサッカー、遠藤保仁という時代



35歳を超えたサッカー選手は誰もが、強制的というよりも自動的にカウントダウンに突入するものだと思っている。そのくらいのタイミングでスパっと辞めるのか限界まで続けるのかは人によって異なるだろうが、それでもその年齢に達すれば否が応にも「それが明日でもおかしくはない」という状況に至るように思う。

それを覚悟と呼ぶのかどうかはわからないが、今日、事前報道もなく唐突に訪れた"その時"への心の準備はずっとしてきたつもりである。月末には44歳になる選手だ。普通に考えれば、40を超えても現役でやれている事の方がおかしい。


Jリーグと日本代表の出場記録を持つ男であれば、本来なら大々的かつ荘厳なほどの会見が行われるのが一般的である。それをYouTubeで、しかも相変わらずのテンションで、しまいには「バイバイ〜」で締めてしまう衝撃的なユルさ。磐田向けへのメッセージ動画では「パナスタに…じゃねぇや、吹田スタジアムか」と言っていたが、この手の動画であんなナチュラルな「じゃねぇや」なんて聞いたことがない。
一連の発表を見た時、ショックはかつて想像していたものよりも小さかった。それが一番最初の素直な感想だった。引退発表の仕方があまりにも遠藤保仁らしすぎる。しかもコーチとして即座にガンバにも帰ってきてくれる。らしさと未来を一つに詰め込んだ引退発表は、遠藤保仁の引退発表の仕方は、ガンバファンとしては最も理想的だったような気がする。遠藤保仁は最後まで遠藤保仁としてキャリアを終え、そしてパナスタに帰ってくる。それがきっと、感情として「思っていたよりもショックじゃない」「思っていたよりも寂しくない」という感覚を与えてくれたのだろう。

……そう思った事に嘘偽りはなく、それは本当に素直な感情だった。だが、そう思って消化してから2時間ぐらい、自分は完全に無になっていた。ショックは思ったより小さかった、思ったより寂しくないとは本心から思ったけれど、それでもやっぱりショックだったのだろう。


1997年生まれの私にとって、遠藤保仁は永遠の存在だと思っていた。それはガンバ大阪でも、日本代表でも。自分にとってのサッカー界は遠藤保仁を中心に回っていたような気がした。全ての物事は「遠藤保仁がいる」というところをスタートに始まっていた気さえしていたし、私は個サポではないが、それでもガンバ大阪は遠藤保仁のクラブだったように思う。ガンバ大阪のファンとしてみせてもらった景色の全てはNo.7なしにはどれも考えられなかった。
今もこうして、引退発表から何かNoteを書こうと思って編集画面を開いても、どういう文字の紡ぎ方をすればいいのかがわからない。遠藤保仁が引退を発表した1月9日の間に何かしらの想いを文字としてNoteに書いておきたいと思って文字を並べているが、自分でも何を書いて良いのかわからなくなっている。

実際のところ、喪失感というところで言えばそれは2020年10月の方が近い感覚を有していた。今はどちらかと言えば、一つの時代が終わったような感覚を覚えている。
橋本英郎の引退試合を見た時、ガンバ大阪'05のプレーを見た時、そこで感じた感覚はある種の「最終回感」だった。アニメで言えば、オールスターキャストの躍動に合わせて初回のオープニングテーマが流れてくるような感覚だろうか。実際にあの日の時点では引退は決まっていたのか、現役を続行する可能性があったのかはわからないのでこじ付けに過ぎないが、あの日パナスタで見た最終回感の正体みたいなものの答えが今日だったような気がしてならない。

時代は去り、ガンバ大阪の長い春は一つのピリオドを打つ。
私がガンバ大阪にのめり込んだきっかけは宮本恒靖と大黒将志だったが、遠藤保仁がいなければ、こうもしつこくサッカーに日常を溶かすような人間にはなっていなかっただろう。遠藤保仁が2つの青を纏ってプレーしていたた季節は私のサッカーライフの黄金期だった。「応援するクラブは変えられない」とはよく言うが、その運命の下であんなにも誇らしい季節を過ごせる幸運に恵まれた者は、無限に存在するサッカーファンですら多くはいないだろう。遠藤保仁がそこにいた時代は何物にも代えられない財産だと確信している。


遠藤保仁選手、お疲れ様でした。何よりもありがとうございました。
どんな時代が来ても、どんなスターが生まれても、貴方こそが最高の選手です。

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