ループマシーン

突然なタイトルですみません。

週末に関ジャムで弾き語り特集やってたじゃないですか。

で、やたらとループマシーンが取り上げられてましたね。

確かに曲芸的に言えば凄いとは思います。

ただ、ああいう音楽、本当にいいんですかねえ。

全否定するつもりはないんですよ。

ただ、あれを使う=曲が循環コードで無くてはならない、ということなんですよ。

テンションノート位は入れられるでしょうが、基本的な進行は変えられない。

もちろん循環コードを否定するつもりはないです。

ただ、極論してしまうと、同じコード進行の繰り返しに対して単に「飾り付け」をしてるだけの話じゃないですか。

物凄く不自由な音楽としか思えない。

一定の枠を嵌めて、その中でどうするかだけの話。

なんで自由に出来るはずの音楽を鋳型に嵌めるのか、さっぱり分かりません。

不自由さの中で、どれだけ表現していくか、そういう発想も分からなくはないんですよ。

ただそれありきでいい音楽が作れるとは思えません。

循環コードってあくまでも結果的なものだと思っています。その進行が必要な時に使うものであって、「手段」の一つと言ってもいいかもしれない。

ただループマシーンありきになってしまうと、循環コード自体が目的になってしまうような気がします。

しかもあれを生でやって楽しいの、とかって感じるんですよね。

せっかく生でやるなら、他のミュージシャンとやればいいと思います。

そうすることによって生まれる、思いもよらない偶発的な音の方が遥かに魅惑的なのでは。

ループマシーンにはある意味「自己完結的」というか、「閉鎖的」なものを感じます。

自分が古い人間なんですかねえ。でもなんだか納得いかないんですよね。

ほぼ書きたいことを書いていて、読んでいただけることも期待していませんが、もし波長が合えばサポートいただけると嬉しいです!。