blue but green

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時代に左右されない音楽作品を紡いで行きたいと考えて活動しています。 主な作品は各種ストアで配信中、YouTubeでは「blue but green Official YouTube Channel」という堅苦しいチャンネル名で活動中です。 よろしくお願いします!。

マガジン

  • tribute 2022/05

    • 7本

    音楽をシェアするマガジン tribute の2022年5月号です。 tributeに記事をシェアしてくださる方を募集しています。

  • tribute 2022/04

    • 5本

    音楽をシェアするマガジン tribute の2022年4月号です。 tributeに記事をシェアしてくださる方を募集しています。

最近の記事

作曲・編曲154

今日こそは「自分」と「他者」との関係性について書くつもりです。 つもりなだけで、実際書いてみないと分からないのですが(汗)。 これまで書いてきた通り、「他者」とは「他の人」ではなく、自分では即座に理解出来ない異質な存在、「自分」とは「その本人」ではなく、自分と共通認識を持つ、それこそ「以心伝心」が通じるような関係性のことを指しています。 この事は音楽以外でも言える話ですが、基本的に音楽の話しかここでは書かないことにしているのと、ただでさえ広げすぎた風呂敷がこれ以上広がる

    • 作曲・編曲153

      今タイトルを見て感じたのですが、記事の内容を反映していませんね(汗)。 ただ今更変えるのも変なのでこのままいきます(笑)。 今日は改めて「自分」と「他者」との関係性について考えてみたいと思います。 ここでいう「自分」とは、自分の属する集団のこと、「他者」とは未知の定かではない集団のことを指しています。 そう考えると「内輪」と「外部」という言い方のほうがいいのかもしれません。 なので「自分」のサイズは人それぞれなんですよ。 それこそ名前はあげませんがメジャーなミュー

      • 作曲・編曲152

        昨日の記事を読み直して、やはりまたこの曲に戻ります。 The Policeの「Every Breath You Take」です。 いい加減しつこいけど(笑)。 あの有名なミュートギターのアルペジオの部分、前にも触れた通り、極めて単純な循環コードです。 でも聴くとぞくっとするんですよね。 理由はやはりあの部分全てに使われているadd9というコードです。 普通の感覚だとadd9を全てのコードで使う、ということはそうそう思いつかない。 というより、あのアルペジオが先に

        • 作曲・編曲151

          今日は昨日に引き続き「自分」の「スキ」と他者の評価について考えてみたいと思います。 と思ったのですが、昨日の記事、良く考えるとまずい部分があることに気付きました。 「自分」の「スキ」と他者の「評価」が同じであれば問題ない、という部分です。 これって裏返すと「自分」がないのと一緒だからです。 やはり「自分」と「聴き手」には差異がある、というより、自分と人は違う存在であり、同じ感覚を持つはずがない。 もし同じ感覚で聴かれるのだとすれば、その作品が「安易」な「紋切り型」に

        作曲・編曲154

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        • tribute 2022/05
          7本
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        記事

          作曲・編曲150

          実は昨日記事を書きながら、少し引っかかっていることがあったので、今日も継続したテーマで書くことにしました。 本当に「自分」の「スキ」だけで音楽をやってよいのか、という問題です。 前言撤回みたいになりますが、やはりそれではダメなんですよ。 音楽はあくまでも「聴き手」あってのものです。 「自分」の「スキ」だけだとその観点が抜け落ちてしまう。 自分で聴くだけ、もしくは自分で制作することが目的ならそれでもいいのかもしれません。 でも、そういう方は少ないでしょう。他の方にも

          作曲・編曲150

          作曲・編曲149

          今日はミュージシャンが「オリジナリティ」との関係性の中で、どのように音楽制作を行えばよいのか、について考えてみたいと思います。 一つ言えるのは「何も考えない」のはまずいだろうということです。 極端な話「パクリ」やそれこそ「盗用」すらなりかねない。 やはり音楽制作にあたって、「何も考えない」でやってしまうと「何でもあり」になってしまいますから、さすがにこれはまずい。 ただ「過剰」に「オリジナリティ」を追求するのもやはり良くない。 これまで書いてきた通り、それで「オリジ

          作曲・編曲149

          作曲・編曲148

          今日は予告通り、ミュージシャンが「オリジナリティ」についてどう考えているのかについて書きたいと思います。 本質的にはあまり気にする必要はないと考えています。 所詮人が決めることだし。 ただ、この話って「そうは言っても」なんですよ。 実際に今この世の中で生きているのは間違いのないことです。 そのことだけは否定出来ない事実です。 時代に対して中立的であることは無理でしょう。程度の差こそあれ、今の世の中を全否定して生きることは難しい。 だから「オリジナリティ」を無視し

          作曲・編曲148

          作曲・編曲147

          今日は改めて作品における「オリジナリティ」の問題について考えてみたいと思います。 昨日は「オリジナリティ」を意識せず「オリジナリティ」が生まれてしまう 現象について書きました。 ただここで重要なことがあります。 「オリジナリティ」があるかどうかを判断するのは制作者ではない、ということです。 まあ当たり前の話と言えば当たり前の話で、作った本人がいかに「オリジナリティ」に溢れる作品だと思っていても、周りがそう考えなければ「オリジナリティ」のある作品とは認められない。 で

          作曲・編曲147

          作曲・編曲146

          すみません。昨日は書いている間に気分が高ぶってしてしまいました。 よく読むと、かなり論理が飛躍してますね(汗)。 間違っていないだけに余計厄介、すみませんでした。 今日は気持ちを切り替えて記事を書きたいと思います。 まずは一旦話を整理します。 12平均律というものはあくまでも「文法」なんですよね。当然そこから一定の制約は受けるでしょうが、当然そこから作り出される音楽が同じものである訳ではありません。 むしろ厄介なのは、例えばコードの機能性から離れたところで音楽制作

          作曲・編曲146

          作曲・編曲145

          今日からは、より根源的に「オリジナリティ」の高い作品を作る必要があるのか、という話について書きたいと思います。 と思ったのですが、そもそもなぜオリジナリティに括弧を付けているのか、について今日は書きたいと思います。 自分自身が「オリジナリティ」に懐疑的だからです。 前にも色々書いてはいるのですが、本当の意味での「オリジナリティ」などある訳がないからです。 当たり前ですが、音楽に限った話ではなく、ある作品の前には先行作品があって、その関係性の中でしか創作活動は不可能だか

          作曲・編曲145

          作曲・編曲144

          まとめを書こうとしたのですが、意外と大変なことに気付きました。 あまりにも記事にまとまりがなく、色々な方向に話がいってしまうので、前の記事を読まないと書けないんですよね。 なので、これから書くこともまとめになっているのかどうかも良く分からないし、抜け漏れがあるかもしれませんが、ざっくり感じていたことを書きたいと思います。 「オリジナリティ」の高い作品を作る方法としては次の3つが比較的容易な手法だと考えています(もちろんこの方法以外にもありますが、あくまでも一般論として考

          作曲・編曲144

          作曲・編曲143

          今日は予告通り既存の作品を切り刻んで別の作品を制作する「罠」について書きたいと思います。 昨日は刻みまくれ、と書きましたが、これが罠です。 原型がなくなるまで切り刻むと、ある意味単にオリジナル作品の制作に近くなってしまう、それが「罠」です。 素材として使っているつもりが、加工した曲とは別の曲に似たものになってしまう、という点がその「罠」にあたります。 「型通り」の作品、やはりある種の「強さ」を持っています。 知らない内にその「型」をなぞってしまう可能性、かなり強いん

          作曲・編曲143

          作曲・編曲142

          で、今日は予告通り、別のオリジナル作品を素材として加工した作品がオリジナリティを持つか、という点について考えてみたいと思います。 結論から言うと、オリジナリティが高くなる可能性はかなり高いと言っていいでしょう。 逆説的になりますが、加工をする時点で「オリジナル」を知っている訳です。 だからオリジナルを常に意識しているし、似たものを作ろうとはしないんですよ。それじゃあ切り刻む意味がない。 問われるのはその部分のセンスですから。 それで「聴ける作品」を作るというのはそれ

          作曲・編曲142

          作曲・編曲141

          今日は「オリジナリティ」のある音楽作品を生み出すための別の方法について書きたいと思います。 とは言っても、もう皆さんご存じの手法だとは思いますが。 それほど流行りのやり方になっている。 別のオリジナル作品の加工です。素材として既存の作品から別の作品を制作する手法です。 結構このような手法に対し否定的な考えを持つ方も多いとは思います。 自分自身好きではないし、やるつもりもありません。 ただ、昔から部分的かつ明らかな「引用」という手法はあるんですよ。 例えばStin

          作曲・編曲141

          作曲・編曲140

          よくタイトルを見ると、最近ほとんど編曲の話を書いていないことに気がつきました(汗)。 まあ話は続いているのでこのままいきます(笑)。 で、今日は「詩先」で音楽作品で制作することについてまとめたいと思います。 音楽面から見た「詩」というものは大別すると3つに分かれると考えています。 ①音楽とは無関係に制作された詩 ②曲を附ける目的で、曲の構造を踏まえた上で書かれる詩 ③曲を附ける目的で書かれているが、曲の構造に関してあまり考慮されていない詩 の3つです。 もちろ

          作曲・編曲140

          作曲・編曲139

          今日も予告通り、詩先で楽曲を制作する時、1コーラス目と2コーラス目で文字数が違う場合について考えたいと思います。 これって結構悩み所なんですよ。 「詩先」の場合、やはり1コーラス目を読んで作るのが普通だと思います。 ここで合っていないとどうしようもないですから。 ただそこでメロなりを付けて、2コーラス目を見てみると字数が合わないこと、やはり音楽に明るくない方の詩だと多いです。 もちろんこれまで書いてきたように無音、シンコペーション等で対処するのが普通です。 ただ、

          作曲・編曲139