ノーサイド...続き

いやあ、何でまた、と思われるかもしれませんが、何だかまことしやかに書かれていることがあって、違うだろ!、と思い、急遽続編を書くことになりました(笑)。

「ノーサイド」のイントロが「Auther’s Theme」のパクリだという話です。

しかも松任谷正隆さんが後で知ってがっくりした、とかいう本当か嘘か分からない話まであるようで...。

どこが似てるんだかさっぱり分からないです。

コード進行からしか捉えれば確かに「ノーサイド」と「Auther’s Theme」は似てはいますが、乗っているメロが違うし、そもそも強進行が続くパターンのイントロは結構多いはずです。そのことを理由に似ている似ていない、という話をするのはナンセンス極まりないです。

しかもそもそも違っているし(笑)。

当たり前ですが、強進行って続けると調性の「外」に出てしまうんですよ。調性の外に出ないためにはどこかしらで「強進行でない」部分が必要になります。

どちらも基本形はDmーGーCーFと進行しますが、Fの後も強進行を続けると調性の外に出てしまいます(7thは対比上省略しています)

「Auther’s Theme」は次まで強進行で進んで(B♭)でその後は強進行せず、Eに移る進行になっていますが、「ノーサイド」はFの後、強進行せずにBm7ー5に移って、その後Eに進みます。

で、次に来るのがAかつEが7thなので、ここまで聴くとこの曲の調性はAメジャーキーであることを想起させます。

ただ「Auther’s Theme」はこのままverseに入るのに対し、「ノーサイド」はここまでで半分ですよね。

ここからが大きな違いになります。

「Auther’s Theme」は基本Aメジャーキーであり、あくまでもそこに至るまでの過程としてのコード進行であるのに対し、「ノーサイド」は次の部分が反復的に使われながら、3度上の和声が使われている箇所が「多い」です。

で実際にはCで終わっています。これはこの曲がCメジャーキーだからです。基本が3度上の和声になっているのも、最終地点をCに落ち着かせるための「仕掛け」です。

最初は同じようなコード進行であっても、Aメジャーに帰結させるイントロとCメジャーに帰結させるための進行では意味が違うし、「パクリ」説は「ノーサイド」の後半部を「無視」した見解としか思えません。

「ノーサイド」がB♭ではなく、Bm7-5を使用しているのも、Cメジャーキーとしての性格をより強く持たせる、という意味合いが強いように感じます。

部分だけ聴けば「似ている曲」なんていくらでもあります。ただ曲は特定の部分だけで出来ているものではありません。

全体を通して聴く、このことが音楽にとって重要なはずです。なぜなら全体として一つの作品であって、特定の部分を切り取ってどうこう言うことに「意味」はありません。

あ、ちなみに「Auther’s Theme」ですが、日本では「ニューヨークシティ・セレナーデ」と呼ばれる曲です(笑)。

これだけ書いてやっとスッキリしたので明日は元の話に戻りたいと思います。

ほぼ書きたいことを書いていて、読んでいただけることも期待していませんが、もし波長が合えばサポートいただけると嬉しいです!。