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「混沌」

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しばらく何も書いていませんでした。この混沌とした情勢で語学の生徒さんが辞めていないか、わたしの近しいひとたちが心配してくださるのですが。
いろんな感情やご事情で学習をお休みされることはあっても、みんなはじめからそんなに薄っぺらな興味覚悟でこんなに負荷のかかる外国語の学習にいらしてないのは私のほうも重々承知であります。なにしろ外国語学習はどの言語も終わりがなく大変です。
戦争はいつか必ず終わるから。この表現は今苦しんでいるひとたちには絶望的に厳しい言葉かもしれません。今はなにもできなくても、平和を祈りましょう。これもひょっとしたら、当事者にとっては祈りなど必要ないかもしれません。けれども向こう10年、20年も今の政治指導者がNo,1で居続けることはちょっと考えにくいです。だから今はただ、自分の心の中を穏やかにして、近くの人に優しくしてあげてください。そして勉強しましょう。これは自戒です。

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4月中旬は自信をなくすことが色々とあり”もう私なんぞが人様に教えるの辞退したほうがいいのでは”状態だったのですが、恩師にご連絡をいただいてまた助けていただきました。

私が20代の時に一番お世話になった先生がしばらくぶりに連絡をくださいました。そして大変に貴重な情報を送ってくださいました。
本当にあの方は、私が海のものとも山のものともわからなかった19,20歳のころから(いま現在もわたしが何者であるのかというのは不明であります)、ほんとうにほんとうに、純粋無垢に、見返りを求めずたくさんのことをしてくださいました。あれだけの純真無垢な愛情というのを私はまだ縁のある方たちに返せたことがありません。
自分は20歳前後の頃本当に情緒不安定で、勘が強くて、生きるのが大変で、外国語の話にかぎらずその背景にある文化に対する謙虚な姿勢、仕事のこと、生死、信仰、哲学をめぐる問題、人間としてどうあるべきか、就職の相談や恋愛相談までいろんな話をきいていただきました。

そしてその日、下さったメッセージは、一目で、時間を惜しんで惜しんで気の遠くなるほど膨大な量の活字に本気で触れてきたことが一目でわかる文章で。PCからチャットに打たれた近況のメッセージなのに、品というか、その方の中にある広く深い、海のような世界観がふわっと見える文章でした。あんなに美しく勇気づけられる文章は見たことがありませんし、私は一生かかっても同じような印象のものは書けないと思います。

人を励ましたりお礼を伝える言葉というのは「がんばれ」とか「ありがとう」だけじゃないんですね。私は一体、その方と毎日お会いできていた20歳の時に何を見ていたのか、そしてその後一体自分は何をしてきたのかと頭を棍棒で殴られた思いで。

現在毎日その方の近くにいる学生たちが本当に羨ましいし、叶うならこの先生のそばで生きたいです。
先生はご自身が育った故郷にて教育をされるとのことで、数年前に西日本におかえりになったのですが、本当にありがたいことに、その先生の主宰される私塾にご招待いただきました。

塾のページを見ているだけで勇気づけられます。落ち着いたら高速バスに乗ってお邪魔させていただこうと思います。まずはモンゴル語ニューエクスプレスの通読から。


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お写真はみんなのフォトギャラリーから、オフィスぴの吉のウギャー先生のアゼルバイジャンの市場のものを借用いたしました。おいしそうですね。

Спасибо Вам большое:)♡!!! ありがとうございます:)♡!!!